騒がしいのは君の心臓だけじゃない
*女の子≠プロデューサー
深い青に沈みゆく赤を眺めている名前ちゃんは、掬うと水のように落ちていく砂の中から小さな貝殻を手にすると、僕の前に差し出す。色を変える空が穏やかな風を運んできた。僕の足元まで寄せてきた小波は、ちゃぷんと音を立ててはまた逃げて行く。静かな波の音は僕たちの密会を見守るようだった。親指と人差し指で摘まみ上げた貝殻は、トリコロールのうちの一色にそっくりなくらい綺麗で透き通っている。サラサラとした砂をその上から彼女がふりかける様は、まるで装飾するようだった。
昔から僕のことをずっと知っている名前ちゃんの手を引いたのは、ほんの数時間前のことだった。少し前にユニットの撮影で訪れたこの場所は昔、自分がレコーディングをしたときに思い浮かべたような場所とそっくりで、息を呑んだことを覚えている。彼女を連れて再度訪れてみたいな。そう思った僕は名前ちゃんを呼び出して、早めの夕食を済ませてからここにやって来た。
砂浜の上に腰を下ろした僕は、貝殻を波に乗せる。サンダルの中まで浸食する冷たい水に、名前ちゃんは嬉しそうに子どもっぽくはしゃぎながら、同じように座り込む。ねえ、ちょっと目を瞑って。僕の言葉に首を傾げながらも、指示通りにその瞳を閉じる彼女を見ながら、砂を掴んだり離したりする両手を眼鏡の淵に掛けると、ゆっくりと取り去る。きっと今、目からの情報を遮断された彼女に提供されるのは耳からの情報だけだ。人の声のしないこの場には、ひたすら波の打ち付ける音だけが響く。彼女の無防備な様子に、思わず手を伸ばしかけて途中で止める。その代わり、膝の上に乗せられていた手に触れてみる。ぴくっと、全身が反応したことに気づいた僕は海の向こうへと視線を逸らした。指の隙間に入ってくる彼女の熱を感じながら。
「名前ちゃん、まだ瞑ってて」
「……涼くん」
誰の目にも触れられない、この二人だけの世界は秘密のもの。余計な言葉は僕たちには必要ない。震えている睫毛に、僕はそっと顔を寄せる。この瞳も今は誰も映していない。真っ暗な世界が視えているはず。なら、僕がそこに色を付けてあげる。海の底から水面を見つめる色とりどりの珊瑚礁のように。
人差し指でそっと触れた彼女の睫毛。瞑られた瞳の端っこから、じんわりと滲み出る雫をひと掬い。そんなに不安にならなくていいんだ。僕は確かにアイドルだけど、名前ちゃんのことを忘れたことは一度だってない。仲良しな女の子の一人だ。それ以上の想いを抱えていることだって、きっと気づいちゃってる。心配をさせないために、そして不安にさせないために僕は名前ちゃんをここに連れてきた。僕との秘密は彼女だけが知ってくれていればいいんだ。
「目、開けてみて」
拭い取ったおかげで、涙は決して落ちることがない。これからも僕が掬い取ってあげるから、泣きたい時は僕の前で泣いてね。突然差し込んできた光が眩しいようで、彼女は目を細めている。彼女の濡れた瞳と、僕の早い鼓動。新しいスタートを切ったようだった。夕日の沈んでしまう前に、僕たちの影はゆっくりと重なり合う。
Title:誰そ彼
Image song:ヒミツの珊瑚礁/秋月涼