愛をささやく夢はアプリコットカラーに沈む


*女の子≠プロデューサー



大学に通いながら講義のない日は親の手伝いをしているわたしは、林檎を眺めながら溜め息をつく。林檎にはなんの罪もないけれど、果物を目にする度に募っていくこの想いをどうにかして欲しかった。というのも、親の売っている果物を贔屓にしてくれているカフェがあって、オーナーさん共々直接果物を引き取りに来たりすることがあるのだ。親の後ろにこっそり隠れて、いつも挨拶する姿を見ている。優しそうな雰囲気のオーナーさんは、言葉遣いも丁寧で姿勢が綺麗な人だ。指先は繊細で、紳士という言葉が似合う。毎回ここに来た時、隣の人が迷子エピソードを話してくれることも印象に残っている。
名前、神谷さんたちがもうすぐ見えるわよー。母の言葉にベッドから勢いよく飛び起きたわたしは、持っている洋服の中でもとびっきり可愛いと思う洋服をベッドに広げたあと、バタバタと廊下を走る。途中で会った父に注意されたが、そんなことに構っていられない。早く顔を洗って、化粧をして、髪型を整えないと。



「お母さん、なんで昨日寝る前に教えてくれなかったの!」
「カレンダーに書いてるでしょ」
「もー!」



タオルで顔の水分をトントンと拭き取ると、保湿のためのクリームや化粧水を棚から取り出して顔に馴染ませていく。一通り終わったら、また自室に戻ってさっき用意した洋服に着替えた。髪の毛を編み込んでいくわたしは大学に行くよりも遥かに気合いが入っている。それもそうだ。だって、神谷さんに会うんだもん。下地、ファンデーション、チーク、マスカラ、アイラインと化粧品を鏡台の前に並べて、少し急ぎ目に、でも丁寧に、を心がけて化粧を進める。わたしがバッチリと決めている姿を見ても、母と父は何も言わない。気を遣っているのか、それとも別に気にならないのか。親の心情なんて分からないが、わたしは触れられない方が気は楽だ。
朝食の片付けが終わった頃、インターホンが鳴る。玄関に出て行ったのは父で、果物の入った箱を抱えた母がわたしにも持つようにと言ってきた。玄関を出たところに箱を運んでいけば、父と神谷さんと東雲さんが会話をしている姿が見える。母の何歩か後を歩きながら、果樹園へと案内する父たちを追う。そして、わたしはいつの間にか、神谷さんの影を踏む距離を保って歩いていた。新記録だ。父の話をニコニコとしながら聞いているのだろうか、神谷さんの表情は見えないが、うんうんと頷いている様子は背中からでもよく分かった。それがなんだか気恥ずかしくて、自分の足元を見ながら彼らの後を追う。母があっ、と声を上げた時はもう遅かった。



「名前さん、大丈夫かい?」



ぶつかってしまった、どうしようと顔面蒼白になったわたしに優しく触れた神谷さんが目の前で笑っている。心の中に埋まっていた想いが一気に花開くように溢れ出した。神谷さんがわたしを見てくれている。果物ではなくて、わたしを。よしよし、と頭を何度か撫でた彼からは甘い匂いがする。好きな人に触れるなんて恐れ多くてわたしにはできないけれど、なんとその想い人本人から触れられている。もし、わたしが恋愛マスターの人間だったら彼をドキッとさせてしまうような駆け引きができるのかもしれない。でも、恋愛に疎いわたしにはレベルの高すぎる話だ。今のわたしは会話をすることすら難しいのだから。



「あ……っ、はい」
「ごめんね。俺がいきなり立ち止まってしまったから」



右手を背中に隠して、左手はフラフラと宙を泳がせる。本当はどさくさに紛れて、神谷さんに触ってしまえばいいのに。でも、やっぱり無理。すると、行こうか、と言った神谷さんがわたしの左手を捕まえる。え、と思って彼の顔を見た時、この人が好きだと改めて思った。言葉で表現するなら、林檎が熟して甘くて蕩けるような蜜を零すかのように。高まって温まった気持ちは止められない。誰よりも神谷さんのことが好きな自信だけはある。握られた手をゆっくりと引かれながら、わたしは果樹園近くを飛び回る蝶々に思いを馳せる。ここまで育て上げた想いを羽ばたかせてくれるのは神谷さん。いつか、この手がわたしの全てに触ってくれるようになってくれるといいな。まだドキドキと止まない心臓に右手をそっと当てた。



Title:誰そ彼
Image song: 初恋バタフライ/宮尾美也
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