どこにでもあるようなラブストーリーのはじまりはじまり
*女の子≠プロデューサー
日の当たる階段に座って、猫を撫でているのは夏来くんだ。わたしはというと、こっそり物陰から覗いている状態で、彼の元へ歩いて行くことも、声を掛けることもできずにいる。高校生になって今まで以上に恋愛事に興味が湧いたわたしは、雑誌の恋愛コラムを読むのが好きで堪らなかった。男の子のことが綴られている文章はどれが本当なのか見分けることなど到底できないけれど。初めて手を繋いだ感触だとか、抱きしめてもらった時に彼女はどんな行動を取るのは正解なのかとか、キスをした場所とか、わたしの知らない世界が広がっているのだ。彼氏は欲しいし、ドキドキするいろんなこともしてみたい。王子様が現れるのを待っている女ではいけないのだ。
でも、踏み出すには勇気が圧倒的に足りない。もし、わたしの手元にキューピッドの矢があれば、夏来くんの胸を一心不乱に撃ち抜くのに。魔法にかけられた彼はわたしの方を振り向いてくれて、互いに好きを交わし合うことができる。最初から定められたレールの上を行くように、ストーリーが淡々と進んで結ばれてしまえばいいのに。でも、魔法はファンタジーの世界にしか存在しないもので、現実世界を生きるわたしには一生使えない。
「……誰か、いる?」
夏来くんの声が響く。わたしの前を彼に撫でられていた猫が横切って行く。突然飛び出してきた猫に驚いたわたしは思わず、小さな悲鳴を上げて口を押さえる。でも、既に声は夏来くんに届いていたらしく、全く意味はないようだ。立ち上がった彼はわたしを視界に捉えると、再度その場にゆっくりと座った。夏来くんは基本的にいろんなものに関心を持っていないように見えるけれど、彼のアイドル姿を見ればその考え方は彼方へ葬られてしまう。それは単純な印象であって、涼しい表情の心の奥には熱が眠っているのだ。
夏来くんと話をするか、今の状況から逃げ出すか。そもそも、わたしがなぜこの場所にやって来たかというと、実は部活が最近上手くいっていなくて地味に落ち込んでいたからである。すきな人の姿を見れば、少しでも活力が湧いてくるかな、と思った。
「名前、来ないの……?」
名前を呼ぶ夏来くんに心臓がバクバクと大きな音を立てる。矢が刺さっているのはわたしの方ではないかと錯覚するくらいに。夏来くんとはクラスが一緒なだけで、彼と話すことも数える程しかない。片手にぶら下げた袋がスカートに当たる。来ないの、なんて狡い言葉だ。命令ではないその言葉は、わたしに決断を任せる。でも、夏来くんに言われたことで自然と足が動いた。
「夏来くん、あの」
「……そのまま、来て」
一歩進むごとに、夏来くんの座っている階段へと近付いていく。心の距離もこう簡単に縮まったのなら苦労なんてしないのに。部活で失敗した時、テストの点数が思うように取れなかった時、家で嫌なことがあった時、夏来くんが弱ったわたしを助けたりしてくれないかな、なんて夢を見る。
柑橘系の匂いが薫る。初夏の日差しは、身体をじんわりと蝕むようで段々と思考回路が鈍くなる。甘酸っぱい青春を送りたいと思う、健全な女子高生のわたしは現実を受け止められずにいた。わたしの目線よりも高いところから見下ろしてきていたはずの夏来くんが、猫がじゃれるようにくっついてきたのだ。自分の身体をくっつけて所有物であることを周りにアピールするように。
「……俺を選んでくれたの?」
「え、えっ」
「……俺の、勝ち。まだ、足りない?もっと……いる?」
口説き落とすような言葉をつらつらと並べる夏来くんに、わたしは言葉を返すことができなかった。勝負事なんて彼としたつもりはないけれど、別の熱でパンクしそうな頭でなんとか考える。もしかして、さっきのは駆け引きだったのだろうか。興味を持った対象に押せ押せではなくて、引いてみたのかもしれない。それもわたしの好意を見透かして、だ。カタン、カタン、と階段を綺麗に落ちていくのは果物の詰められたケースの入った袋だった。
Title:誰そ彼
Image song:ストロベリー・キューピッド/高槻やよい