つまみ食いした恋のこと
*女の子≠プロデューサー
小さな劇場からオファーを貰っていた卯月の姿は、天井から降る光のシャワーを浴びた舞台の上にあった。劇中とはいえ、実際にケーキを作ることにいくらか慣れている彼は、まるで料理に必要な器具や材料がそこにあるように観客に思わせる。卯月の手の中で、クリーム、砂糖、蜂蜜が踊るように混ぜられていく。本物は舞台の上にないにも関わらず、辺りが甘い匂いで包まれたかのようであった。
目を覚まさない姫のためにケーキを作る王子の役である卯月は、様々なケーキの名前を紡ぎながら、次々と完成させていく。魔法でも使ったかのようにテーブルにてんこ盛りにされたケーキを何度かつまみ食いする王子は、観客から笑いを頂戴していた。姫、というキーワードに動きを停止させた彼は、あ、そうだと大きな声で笑う。お姫様にはガラスの靴が必要。ついでに、自分で作っちゃおう。普段の卯月も言いそうな台詞にうっとりとした女性が、舞台のすぐ下で目を奪われたかのように固まっていた。
姫の眠る部屋へ大量のケーキを運んできた王子は、最後のつまみ食いをしようと手を伸ばす。しかし、食べかけのケーキが彼の手から逃げるように零れていってしまう。息を呑む演技につられるように、会場の空気も止まる。ベッドに横たわった姫のくちびるに触れたケーキは、彼らの間に落ちていった。その瞬間、姫の睫毛がピクリと動く。演技とは分かっているが、役に入り込んでいた卯月は一瞬だけ自分の姿が戻ってきたような気がしていた。とても自然で、でも役として入り込んでいる姫の苗字には見習うことばかりなのだ。演技の経験も随分とある彼女だが、歳は卯月と変わらない。いつだったか、差し入れにと持ってきたケーキを苗字は満面の笑みで食べてくれた。ケーキについての話もたくさん聞いてくれていた。演技としての先輩、だけではない感情を卯月はいつからか持ち始めていたことに自分でも薄々気づいていた。ぱっちり、と開かれた姫の瞳は、驚いた様子の王子を射抜くように向けられる。
「貴方が、私を助けてくださったのですね」
伸びてくる手が王子の指先を掠めたかと思えば、彼女の手を取ったのは彼だった。ふんわりとした笑顔を浮かべた王子は、そのまま姫が身体を起こそうとするのを手伝い、用意していたガラスの靴を彼女の前へと差し出す。菓子の材料で作られたものだというのに、見事な靴は本物のようだった。甘い香りのする靴など、世界にひとつしかない。姫は足をゆっくりと靴へと沈めていく。つっかえることもなく、まるで彼女に履かれる運命だったかのように馴染む。そこで王子が、姫に顔を近づけていく。照明がだんだんと暗くなっていき、幕は下りた。鳴り止まない拍手に、王子と姫のくちびるは暗闇の中で弧を描く。
「卯月くん、お疲れ様でした」
「苗字さんもお疲れ様でした」
「あのね、この近くに実は」
「俺知ってますよ、美味しいケーキ屋さんがあるんですよね?食べに行きましょう!」
苗字はケーキが大好きだという卯月の話を聞いていたために事前調査をしていた。しかし、彼女の言葉を遮る彼は流石というべきだろうか。呆気にとられていた彼女だったが、すぐさま彼の提案に頷く。王子様の役が似合うと感じさせる彼は、現実でもケーキの王子様なのかもしれない。眩しい彼の笑顔に、舞台の上ではないのに息を呑んだ苗字は小さく息を吸って吐いて、を何度か繰り返すと、スキップしながら部屋を出ていく卯月の後を追いかけるのだった。
Title:誰そ彼
Image song:おかしな国のおかし屋さん/三村かな子