あの子のうわさ


課題は毎回きちんと提出する。プレゼンやレジュメの発表の質もどんなに忙しくても落とさない。学部で成績トップ。当たり前以上のことに取り組むあの女の子は一匹狼。一人で何もかも熟せるから人の助けは必要ない。自分は助けてもらわなくても、周りで困っている人には手を差し伸べる。そんな噂が飛び交っている名前だが、俺から見ても大体間違ってはいない。
学部が同じで、たまたま講義で分けられたグループが一緒。些細なきっかけで、友人となった名前は講義で行われるグループ作業でも、効率的な方法でサクサクと進めていくものだから周りの人間はそれに従ってついていく。たまに彼女が話を振ってくれても、それでいいと思うよという一番楽な返答をするだけ。俺も優柔不断なところがあって、ついつい周りに合わせてしまいがちな人間だ。名前はそれならいいけど、と手を休めることなく作業を続ける。そんなこともあった。



「名前、この課題もう終わったか?」
「うん。次の日に終わらせたよ」
「……さすがだなあ」
「臣くんも余裕持って終わらせるタイプじゃん」
「まあ、そうだな」



図書館で資料探しをしていた名前の姿を見つけて、声を掛ける。今週に入って教授が出してきた課題を終わらせようと思って俺は来たのだが、その課題も既に終わっているという彼女は今日出た課題に着手しようとしているらしい。課題を期限ギリギリまでやらない人間に聞かせたら、揃って頭おかしいんじゃないのと言いそうだ。
ちょうど空いていた彼女の隣に腰掛けると、既に筆箱の隣には必要な資料と付箋が貼られたプリントが何枚か重ねられていた。マーカーも引かれていて、細かい書き込みがあることを見ると、この資料はもう目を通したということだろう。妥協という言葉は彼女に世界一似合わないと思った。教授から出された手帳にメモした課題の内容を確認しながら、鞄から必要な道具を取り出して机に置く。本はどこにあるか、と立ち上がって棚と棚の隙間を歩いていけば、名前がつまさき立ちになって、小さく唸っている姿を見つけた。



「俺が取るよ」
「ダメ!」
「……えっ?」
「いい。自分で取れるから大丈夫」



名前は俺に手出しをさせないとばかりの形相で、まるで威嚇された気分になった。どう考えても、彼女の身長ではあの本は手に入らないというのに。俺は身体が大きいから、高い位置にある物が届かず、困っている人に声を掛けると大体はお願いされる。だというのに、彼女は手助けを真っ向から拒否だ。どうするのだろうか、と事の収束を見守っていると、部屋の隅に置いてあった台を持って来たようで、それを目的物の下に置くと、いとも簡単に取れましたとばかりに満足気な表情をする。確かに、本は取れたかもしれないが、俺が取れるんだから頼ってくれてもいいのにな。
名前は何事もなかったかのように、すっと自分の席に戻るとその本を一心に読み始めたため、声を掛けることすら躊躇われた。彼女は一匹狼タイプに見えるのもしょうがないことなのかもしれない。でも、食堂では必ず誰かと一緒だし、楽しそうに喋っているところだって見る。噂というものは悪い面ばかりを持ち上げてしまうものだ。
目的の資料を見つけた俺も、彼女の邪魔にならないように気を遣いながらゆっくりと腰を下ろした。本を読みながら、時折頷く名前から熱心な様子が伺える。俺はシャーペンを持ったが、気持ちはカメラを構えているようだった。いい写真が撮れそうだと思ったのだ。その瞬間、パタンと本を閉じたものだから少しびっくりしたが、彼女は休むことなくその指でペンを摘まむと、ルーズリーフにつらつらと文字を書いていく。俺も負けてられないな。少し厚めの本だったが、なんだか頑張れそうな気がした。



「おーわーりー!」
「もう終わった?」
「臣くんも終わってるくせに」
「俺のは名前のより楽だしな」
「ふーん」



夕日が姿を見せ始めた頃、図書館の中は真っ赤な光がちらほらと差してきていた。思いっきり身体を伸ばす名前の手元には、きっちりと書かれた文字で埋まったルーズリーフがある。ほんの数時間前にみた姿とまるで違う。これを、パソコンに打ち込めば課題終わり、とウキウキした様子で呟く彼女は荷物を片付け始める。彼女の家は、MANKAIカンパニーの近くらしい。そう聞いていたからこそ、俺も自分の本を元の位置に戻すために立ち上がった。ついでに、彼女の本も返しておこうと思って、ちょうど俺と名前の間に置かれた本に手を伸ばすと、それよりも早く彼女の手が本を攫っていく。



「自分で片付けるから大丈夫」
「ついでなんだから遠慮することないぞ」
「遠慮とかしてないよ。自分のことは自分でやるから」



当たり前だとばかりに言葉を発した名前は使ったままの台に足を乗せて、本を元の場所へ戻す。そして台も、元あった場所へ。気を遣われているのだろうか。それとも彼女の性格がそうさせているのだろうか。本を返した俺は、全ての荷物を持つと、図書館の扉から先に出た。名前は、もともと荷物が多かったのか、見ているだけでも重そうだった。



「持つよ」
「え?」
「俺、今日そんなに荷物ないから」
「大丈夫だよー、わたし力持ちだし、これ毎日のことだから余裕余裕」



俺の前をスタスタと行ってしまう彼女の背中が小さく見える。絶対重いと思ったんだけどな。彼女のペースに乗せられて、結局荷物持ちの手伝いもさせてもらえなかった。まだ日が出ているとはいえ、ひとりで女の子を帰すのも危ない。だから、家まで送る旨を伝えれば、名前に頑なに拒まれてしまう。反対方向でもそんなに時間も変わらないんだから送っていくよ、と言っても、大丈夫の一点張りだ。バイバイ、と手を振る彼女はいつものように颯爽としていて凛々しかった。
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