
ブレンドのお味は
太一の持っていた三脚とカメラを持った臣は、夕食を作り終えた後、玄関に立っていた。昼間、写真撮影をした秋組といづみがそんな彼の背中を見守るように見つめる。自分の過去に全て向き合った臣は、これから過去を含めて前へ進んでいく。いづみは、臣の成長を肌で感じることで、一層監督業に身が入るようであったし、秋組の他の人間への影響も大きかったようだ。
臣は見送る側の方が割と多いため、今朝のこの光景は彼の心を擽った。少しハニカミながらも、いってきます、と五人に向かって笑顔を浮かべる臣に太一といづみはブンブンと手を振る。万里は控えめに手を上げ、左京と十座は臣をじっと見ていた。千秋楽を終えて一週間が経ったが、臣は自身の中に燻る最後の想いをどうにかせねばならないのである。秋組、東、至、綴、一成、いづみと最初は不思議な面子だけが知っていたこの臣の行方を、今では誰もが応援していた。
夜の帳が下りている。一人歩く大柄な男は、一瞬だけ空を見上げた。雲に隠れることなく、小さな星々が煌めいている。一つひとつの輝きは大きく、臣の行く夜道を明るく照らしてくれた。カメラや三脚を持った彼は、星月の撮影に向かうようにも見える。だが、彼が今このレンズに捉えたいと思っているのは星でも月でも、ない。
気持ちを整えることも待ってくれない程に近い、彼女の住む場所。部屋の前で立ち止まった臣は、深呼吸のあと、インターホンをゆっくりと押した。日時も指定しているため、名前もそれなりの心構えをしているだろうと思っていたが、臣は今までになく心が落ち着かないでいる。那智に見られたら笑い飛ばされそうなくらいには。
「はい」
「名前」
「……うん、上がって」
以前見たことのある部屋着に身を包んでいた名前が、扉から現れる。風呂に入った後のようで、少し上気する頬と半乾きになっている髪の毛が臣の目に入った。それから目を逸らすように靴を脱ぐと、二度目の床を踏む。あの時は、どうしようもなく入った部屋だったが、今日は違う。臣は、荷物を部屋の隅に置くと、テーブルを挟んで名前を見る。喉はカラカラであるものの、何か飲む気にはなれない。だが気を紛らわすつもりで、彼女が用意した麦茶のグラスに手を伸ばす。溶けかかった氷の入ったグラスに触れるその時、名前が臣の手に触れた。随分積極的な彼女に調子を狂わせられそうだと思った臣はテーブルから離れると、彼女の隣に腰を下ろす。
グラスは向き合っているのに、人間は隣り合って座っているという奇妙な光景ができあがっていたが、臣はさきほど自分に触れた手を今度は彼から捕まえる。絡んだ視線は千秋楽ぶりである。
「名前」
「……臣くん」
「俺の言いたいこと、バレてるかもしれないが」
「わたしの心の中だって、臣くん知ってるんでしょ」
「……はは。お互い様か」
「うん」
躊躇いなど、もうそこには必要なかった。臣は名前の肩を掴むと、勢いよく引き寄せる。その波に乗るように、彼女も臣の背中に腕を回した。強がることも隠すこともやめた、名前。過去を受け止め、自分のわがままを言えるようになった、臣。それぞれ別の場所で己を成長させた彼らは、ようやく互いに想いを吐き出すことができたのであった。
友達で、ファンであるつもりがいつの間にか恋へと変わっていた彼女は、その胸の内を臣の腕の中で静かに語り出す。デューイのブロマイドを貰って嬉しかったこと、臣が頼っていいと言ってくれたこと、公演で胸を打つような演技を見せてもらったこと。数えきれない程のエピソードは、臣を赤面させる勢いだった。彼女の口からまるで物語を綴るように溢れていく。舞台の上で演じる臣のようだった。それに負けじと、臣は彼女の日頃の姿、自分を応援してくれていること、弱った時に素直に頼ってくれたことを話す。一瞬、一瞬が二人にとってはかけがえのないものになっていたのである。そこに喜怒哀楽、どの感情があっても決して捨て去ってはいけない。全て彼らの生きてきた証なのだ。
「名前、これからずっと、そばにいて欲しい」
「わたしも、臣くんにそばにいて欲しいって、思ったよ」
素直な言葉が小さな部屋の中に、二人の想いを乗せて膨らんでいく。身体を離した二人は、互いの熱を共有していた。濡れた瞳が四つ。見つめ合う時間がどれだけのものであったかは、臣と名前にしか分からない。勢いで抱き合った時よりも、幾分冷静になってきていた彼女は臣から距離を空けると正座のまま動かなくなる。そんな様子を横目に、臣はカメラのセッティングを始めた。サークルに入っているのは名前もよく知っていたが、こうやってカメラを弄る姿を直接見るのは初めてのことだった。口元が緩んでいる彼につられて、彼女もほんのりと笑う。
臣は自分が写真に写ることよりも、誰かの写真を残すことの方が何よりも優先だった。写真を撮る側としては間違っていないのだろうが、思い出を形に残すためにそこに自分も写ることがいつでも許されていることにもう気づかされていた。昼間に撮った写真のデータを見返しながら、三脚にカメラをセットし、タイマーを掛ける。いきなり二人で撮るの、慌てたような彼女の大きな声に聞こえないフリをした臣は、さっきの場所へ戻ると名前の手を引いた。バランスを崩して倒れそうな彼女の身体を支えたところで、フラッシュが二人に降り掛かる。どんな姿でもいい、ただその姿を残せたら。臣は笑いながら、もう一度名前を思いっきり抱きしめたのだった。
「ねえ、臣くん」
「ん?」
「わたしが風邪ひいてた、講義。あの時なんて、言ったの?」
「講義中……うーん、覚えてないなあ」
「……すっとぼけるとか、ずるい」