
終わらないショータイム
「臣くん」
「ん?」
「ご飯は、食べた?」
「ああ」
「……お風呂も?」
「もう入ってきたよ」
準備万端とも言える状態で来た臣くんはわたしの質問の意図をいまいち分かっていないようで、首を傾ける。無音のまま過ごすのもさすがに恥ずかしくなったわたしは、リモコンのスイッチを入れて適当なテレビ番組を付けた。すると、臣くんが声を上げたので画面へと目をやる。千秋楽を終えたばかりの秋組の皆さんです、と衣装のままインタビューを受けている臣くんたちの姿がある。本当に今、そこにいる臣くんはあのヴォルフで、デューイなのか。未だに信じられなかった。ガタイがよくて、威圧感も出せる伏見臣はこんなにも普段は穏やかで優しい人だから。
はは、と笑いながらテレビに釘付けになっている臣くんの横顔を見ながら、この人はどのタイミングで帰るのだろうかと必死に考える。いくら寮の傍とはいえ、こんな時間までわたしの家にいるのはさすがにまずいことではないのかな。でも、わたしには直接聞く勇気がなかった。というのも、これを聞いてしまうとまるで帰って欲しくないと言っているようにも聞こえてしまいそうだと思ったからだ。それに、わたしたちはお互いに言葉は交わしたけれど、これって恋人になったということでいいのだろうか。恋人、という響きに思わず頬を押さえていると、臣くんがハムスターみたいだといつの間にかわたしの方を見て笑っている。
「あっ、ねえ、臣くん課題どうするの?」
「そうだな。先延ばしにしてたけど、そろそろ本格的に取り組まないとな」
「明日にでもやる?」
「ああ。そうしような」
真面目な話題を持ってくれば、少しくらい頭が冷えるかなと思ったけれど、そう簡単には上手くいかないらしい。わたしと目線を合わせるためか、ほんの少し屈んだ臣くんの首元からチラリと見える鎖骨にドキリとした。喉仏の動きを自然と目で追っている自分に気づいて、なんて欲張りなんだろうと思う。今まで散々人を頼ることや甘えることを避けてきたのに、それを解除したらこの有り様だ。もっと、臣くんに甘やかして欲しいって言ったらどうなるんだろう。勝手な想像が止まることを知らない。
さて、と立ち上がる臣くんの腕を咄嗟に掴んだのは他の誰でもない、わたしだ。臣くんは困ったような顔を向ける。当たり前だと思って、手の力を緩めようとするのに、気持ちがそれを跳ね退けようとした。甘え方を知らないはずのわたしがこんなになったのは、臣くんのせいだ。
「……名前、そんな顔をしなくても、また明日会える」
「うん……」
恋人だろ、と言った臣くんをますます離したくなくなってしまった。先行する行動に気持ちが全く追いつかないままで、混乱し始めるわたしの頭を彼が撫でる。臣くんに撫でられるのは一体何回目になるのだろうか。ぼんやりと回数を思い返していれば、座り込んだ彼の瞳がわたしを射抜く。ああ、またこの瞳だ。臣くんは舞台上で見せる鋭く刺さるような瞳を向ける。わたしはこれにめっぽう弱いのだ。心を丸裸にされたような気分になってしまうのだから。
「……なあ、名前。このまま腕を離さないなら、都合良く受け取るぞ。そこまで鈍いわけじゃないんだ」
捕食者と形容すればいいのだろうか。随分と欲に濡れた瞳をしているように見えると、わたしの本能が知らせていた。手を離さなければ、臣くんは今晩ずっと一緒にいてくれるのだろう。わたしだって、恋人の男女が一晩過ごすことの意味くらい分かるつもりだ。それでも、この手を離したくなかった。
臣くん、一緒にいてください。わたしの零した言葉はシャボン玉のようにパチンと弾けたようだった。臣くんは何度か瞬きをすると、照れくさそうに頭を掻く。予想していなかった可愛らしい反応に思わず笑っていると、余裕があると思われたのか臣くんがぐいぐい迫ってくるものだから堪らず押し返した。けれど、わたしの力が彼に敵うはずもなく、あっという間にベッドへと誘導される。大きな身体で覆い被さろうとする臣くんは、部屋の明かりを塞ぐようにしてわたしの前に立つ。と、その時、臣くんのスマホが鳴り出した。ベランダを借りても構わないかな、打って変わった態度に若干戸惑いつつも、わたしはベランダの鍵を開けると洗面所へと駆け込む。歯ブラシを手に取って、歯磨き粉のチューブを握るといつもより格段に多い量が飛び出してきて、蛇口に白がポトッと落ちた。
「名前」
「は、はい!」
「予備の歯ブラシあるかな?」
急に顔を出した臣くんにびっくりしたけれど、来客用の新しい歯ブラシを棚から取り出して彼に渡す。歯磨き粉も渡すと、すぐにわたしの隣で歯磨きを始めた。あれ、さっきの臣くんは何者だったのだろうかと思うくらいだ。コロコロと表情を変える臣くんと鏡越しに目が合う。なんだか新婚みたいだな。ポロッと零した臣くんは至って普通で、わたしだけが激しく動揺していた。さっき恋人になったばかりなのに、まさか夫婦の例えをここで入れられるとは思っていなかったのだ。わたしが鏡に向かって、熟した林檎のような顔を披露していると、それに気づいた臣くんがあー、と言いながら目を逸らす。彼は前々から無意識なところがあるが、本当に振り回されそうだと思った。