雨の運んできた濡れ鼠


テーマ設定も太一の勉強も終わって、寮を出る名前を世話になった団員とカントクが見送る。カントクが夜遅いし、名前ちゃんを送っていってあげてと言うように仕向けたのは俺だ。俺が言っても、きっとまた遠慮されてしまうことは目に見えていたから。ならばと思って先手を打っておいたのだが、それでも彼女は大丈夫ですと言い張る。しかし、周りの団員たちは次々にそれは危ないと口にしてくれたおかげで、名前は負けたようだった。
ふう、と息を吐いた俺のことを見る名前は臣くんもしかして、と言いかけてその口を噤んだ。早速バレているようだが、気にしないようにして課題へと話題を逸らす。今日決めたテーマで進めていくためには互いに持っている以上の資料が必要である。それに発表までがセットなため、その準備をする時間も確保しなければならない。発表資料作りも同時進行できないかな、と名前が言っていたことを思い出す。



「どこでやる?」
「うーん、今持ってる資料にも使えるものはあるし、とりあえず近いうちに作業したいね。図書館は静かすぎるし、といって大学内だとうるさいところが多いし……」
「それならまた寮でやるか?」
「臣くんの部屋?」
「正確に言うと、俺と太一の部屋だな」



二人分の部屋はかなりスペースがあるため、資料を広げたくらいでは埋まらない。充分な広さが確保できるのは間違いなかった。部屋に来たことのある彼女も想像できるだろう。明日の授業は休講だし、それに平日の昼間というと寮にいるのは大人組たちだ。静かな環境で集中してできるはず。そのことを提案してみると、効率の良さに目を輝かせた名前は考える余地もないとばかりに、そうしようと言ってきた。彼女を送って行ったら、太一に散らかしているところを少し片付けてもらおう。
ここのアパートの一室を借りているという彼女の言葉に足を止める。ここが名前の住んでいるところか。本当に寮から近いことに驚いていると、彼女はだから言ったでしょと笑っていた。明日の予定を決めた後に、玄関に駆け込んでいく名前は最後にくるりと俺の方を向くと、視線は合わないながらもおやすみ、と小さな声で零す。突然照れてどうしたんだろうか。はは、おやすみ。思わず笑うと、ぷくっと頬を膨らませたあと、背中を見せた彼女はヒールを響かせながら姿を消した。







朝食の片付けをしながら、時計を見やる。約束した時間をもうすぐ針が指し示そうとしているところだった。カントクと大人組の何人かは、貰ったチケットの劇を勉強がてら観に行くということで学生組と同じくらいの時間に出て行った。今、寮に残っているのは至さんと昼から大学があるという綴くらいである。至さんは休日だということでゲームを昨夜からぶっ続けでやっているらしい。綴がそう言っていた。
談話室に現れた綴も、俺たちと同じように課題に追われているらしくノートパソコンを開いて文字を打ち始めた。その隣には付箋のついた資料が積み上げられている。それに限らず、画面の端にも様々な色の付箋がくっつけられていた。部屋でやらないのかと尋ねれば、たまには環境を変えてやろうと思ってと言う。そういう伏見さんも今日ここを使うんすよね、と質問を投げかけられた。どうして俺がここを使うと断定できるのかよく分からなかったが、いや部屋でするよと返す。すると、綴が素っ頓狂な声を上げるものだから思わず真顔になってしまった。



「ふ、伏見さん……今日、名前さんと課題するんですよね?」
「もうすぐ名前が来るはずだけど」
「……今日は太一がいないっすよ?」
「ああ、そうだな」
「えっ、あの……あーっ、えーと」



頭を抱えながら耳を染める綴に首を傾げながら、窓の外を見ればいつの間にやら雨が降ってきていた。小さな雫が窓にちょんちょんとくっついているのを見ていると、その雨粒は大きい物になり、打ち付けてくるようになった。突然の土砂降りに、雷が鳴り出す。天気予報とは全く違う空の様子に、学生組は今日傘を持って行っただろうかと呑気に考える。綴は相変わらず、一人でボソボソと呟いていたが、ひどい雨のせいで上手く聞き取れなかった。その時、ピンポーンとインターホンが鳴る。
勢い良く、いらっしゃいと玄関の扉を開けて唖然とした。全身濡れた彼女がそこに突っ立っていたのである。どうも運悪く、あの短い距離で雨に打たれてしまったようだった。ちょうど中間地点の辺りで大雨になっちゃって。そう言った彼女の肩から少し透けて見える薄いピンク色の紐を見つけた俺は、彼女から目線を外しながら綴にタオルを持ってきてくれと叫ぶ。荷物は濡れないように守ったから、と胸を張って言う彼女だったが、それよりも濡れたままでは風邪をひいてしまうのだから、自分の心配をして欲しいと思った。



「はい、伏見さん。って、うわ……」
「あっ、綴くんありがとうございます」
「……名前、そのまま、シャワーを浴びてきてくれ」
「タオルで大丈夫だから!」
「いや、風邪をひくといけないから」
「名前さん、早くこっちに」



こんなところで意地を張られては困るとばかりに、名前を脱衣所に押し込んだ。目のやり場に困っている男がここに二人いるのだ。一刻も早く彼女に着替えてもらわなければと思ったのは俺も綴も同じだったらしい。ドアを閉めた俺たちは顔を見合わせる。綴の頬に朱が差していることには触れないでおこう。見当はつくから。



「監督がいないから女物の服ないっすね……勝手に部屋に入るのも悪いし」
「うーん、とりあえず俺のでもいいかな。大きいからワンピースみたいになるかもしれないけど」
「……えっ、あの」
「うん?」
「な、なんでもないっす……」
「綴、さっきからどうした?」
「……俺はさっきから伏見さんの無意識なところが」
「無意識?」
「いや、やっぱり本当になんでもないっす」
ALICE+