きみをさがして


「ごめん、鍵かけたの、俺なんだ」



物の散乱する音が消えたと同時に、部屋の中に静かに響き渡る声。ふるり、と身体を震わせる名前は声を出すこともできずに、思わず腰の抜けてしまいそうな身体を必死に支えた。臣はそれっきり何も言わない。ただ、彼はドアと自分の間に彼女を挟み込んだ上に鍵まで掛け、まるで逃がさないとも言わんばかりだった。彼女の背中が震えていることに気づいていた臣は、口を開いてまた閉じる。喉まで出てきた言葉を唾と共に飲み込むと、ドアに付けていた手を外して、床に散らばった物を掻き集め出す。離れて行った彼の腕に、一体何が起こったか整理もついていない彼女だったが、臣の姿を見て、同じく鞄から零れていった物を拾い集める。無言の空間が酷く痛々しく思えたのは、普段から仲の良い二人だからこそであった。
ある程度拾い終わった後、臣がドアの鍵を開ける。その真意が全く分からなかった名前だったが、ようやく解放されそうだとほっと息をついた。ゆっくりとドアを開いた臣は、彼女を先に部屋から出し、玄関へと向かって行く彼女の後を追う。その間も、二人には言葉がない。玄関に綺麗に並べられていた靴はすっかり乾いており、するりと履くことのできた彼女はくるりと振り返る。さすがに無言でここを出るわけにはいかないと思ったのだ。



「名前、さっきはごめんな。びっくりしただろ?」
「……えっ!?だ、大丈夫だよ」
「ちょっと躓いて、バランス取ろうとしたらああなったんだ。驚かせて悪かった」
「そ、そっか。大丈夫?」
「……ああ」



何事もなかったかのように喋り出す臣に拍子抜けした名前だったが、彼との会話が成り立つようにひとつずつ言葉を返す。鍵もきっと臣くんの考えがあってだろう。彼は触れなかったが、彼女は勝手に解釈をし、理解することに努めた。玄関の段差でより一段と大きく見える臣は、彼女の高さまで腰を折るといつものように優しく笑う。どこか圧力を掛けているようにも思えたが、名前はお邪魔しましたと頭を下げる。きっちりと目が合うことはないままに彼女は玄関の扉を開き、歩いて行く。
バタン。風によって少し勢いよくしまった扉を確認した臣はその場に座り込んだ。己の行動を振り返るためだ。鍵を閉めたこと、ドアと自身で名前を挟み込んだことの理由は臣がよく分かっている。だが、彼を思い止まらせるに至ったのは、自分が掴んだ物を失うことが怖いと思ってしまったからであった。臣は自己を犠牲にして、周りを先に考えてしまうきらいがある。手を伸ばすことは、今の自分にはできない。臣は、項垂れて玄関の床をじっと見つめる。



「……大事にしたいのに、俺なんかの傍にいたら」



その言霊が臣を縛り付けて離してはくれない。クセはなかなか抜けないものだと臣は、自嘲気味に大きな溜め息を吐いた。その途端に大きな声と共に扉が開いたため、臣は驚いてその主を見る。三角が目を丸くして、彼の前に立っている。後ろにはいづみたちの姿が見えた。すっかり臣からは時間の感覚が抜けて落ちていたのだ。玄関に座り込んでいる彼の姿を異常に思った劇団員たちが次々と声を掛ける。いづみもとても心配そうに臣の顔を覗き込んだ。



「おみ〜?」
「伏見、何かあったのか」
「主演のことで何か悩んでいることがあるの?いつでも聞くからね!」
「臣が玄関に座り込んでいるのは珍しいね。ボクも話聞くよ」



すっと立ち上がった臣は、今日の夕飯を考えていただけだと適当な嘘をついて、その場を逃げるように部屋と戻って行く。日が迫って来ている秋組の第二回公演の演技で臣は、周りから助けられていた。だが、今、その公演以外で彼らに迷惑をかけることは避けたいと瞬時に思ったのである。伏見臣として一皮剥けたんじゃなかったのか。両頬をバチンと叩いた彼は自室の扉を開けて、ふと床に転がっている物に気づく。これは、と拾い上げてみると自分の姿が収められたブロマイドであった。初心者にして結構美味しい役であると臣が思った、悪役デューイの姿がそこにある。怖い顔と悪い顔の区別をしっかり付けて、本番までに悪い顔の練習をしたことがもう既に懐かしく思えた。このブロマイドはというと、少しでも話題性を持たせ注目してもらうために一成が提案したものである。今ではすっかりお馴染みの物となっている。臣が持っているブロマイドは、その中でもいわゆる限定盤といったものだ。この部屋の臣や太一は記念に貰っていたが、彼の手の中のブロマイドは二人の物でないことは明らかだった。壁に背をつけて座り込んだ臣は、矛盾が発生していることに気づく。
名前は今度の観劇が初めてだと言った。劇団員も初めて見たような素振りだった。しかし、このブロマイドは限定盤。持っているということはかなりコアなファンである。つまり、少なくとも秋組の初めての公演を知っているわけだ。それに彼女がぽろっと零したいづみとの繋がりも非常に気になるところである。よくよく考えてみれば、公演を観に来たりしない限りは、監督であるいづみとの接触もほぼないだろう。もしかしたら嘘をついているのかもしれない名前が、よく分からない。臣はブロマイドを自分の机の上に置いて、いづみの元へと向かうのだった。



「カントク」
「あれ、臣くん?どうかした」
「……あの、名前のことなんだ」
「名前ちゃん?」
「カントクはどうして名前のことを前から知ってたんだ?」
「だって彼女、臣くんの公演のことを直接聞きに来たよ」



いづみは、その時に臣と友人であることを聞いたと言う。この劇団に入りたての頃、名前に臣は少しだけ話をしていたことがある。季節ごとの四組に分かれた内の秋組に所属したこと。入ったばかりでもすぐに舞台に上がること。雑談の時とあまり変わらない様子で聞いていた彼女だったため、そこまで興味はないのかと臣は思っていた。いづみの話を聞きながら、彼は名前がどうしてそこまで隠そうとしているのか、とても気になって仕方なくなる。どうしてあの時、観劇が初めてだと告げたのか。彼の中で、どうして、が積み重なっていく。
知らないところで彼女なりに応援してくれていたことをいづみから聞かされた臣は、再度部屋に戻るとじっとブロマイドを見つめる。普段の臣でも、狂狼の臣でもない、舞台上の彼はあの時確かにデューイであった。名前に偉そうに語ったことを思い出しながら、その言葉は実は自分にも刺さるような言葉であることに臣は気づく。そうか、俺も一人で抱えていたことがあったからこそ、あの言葉を彼女に言えたのか。臣は手帳にそっとブロマイドを挟むと、大学用の鞄にしまい込んだ。
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