丞さんが座って、紬さんがその斜め前に座った。座ることが出来るのは、それぞれの隣である。丞さんが湯気の上がる紙コップに口を付けるのを見ながら、その視線を紬さんに移せば、丞の隣に座りなよと言いたげな瞳がこちらを見ていた。ピンク色の苺味のラテを手に持った紬さんの透き通るような瞳が、わたしの悩んでいた心を読み取ってしまう。その勢いに優しく押されるように、丞さんの隣にある椅子に手を掛けた。自然に、何気なくを装いながら椅子を引いて丞さんの隣に座れば、一瞬だけ見られたものの、何も言わずにグイグイと飲み干す勢いで彼はコーヒーを飲み続ける。
喉の出っ張りが、上下する。喉仏がはっきりと動くのに惚けていたわたしは、慌てて自分の頼んだ飲み物にストローを突き刺した。動揺は隠さなくてはいけない。丞さんに気づかれないようにしないと。わたしに好意を持ってくれるなんて夢のまた夢の話なのだから、こうやって片想いをひたすら募らせ続ける方がお互いにとって良いのだ。それに、わたしは丞さんの近くでいつも通りいられるならば、この想いを隠し通すことも厭わない。
「名前ちゃん今年度で卒業だっけ?」
「そうですよ」
「お前、単位は大丈夫なんだろうな」
「しっかりしてますから!」
「……どうだか」
隣にいる丞さんの腕を軽く小突けば、何をするんだとばかりの瞳が返ってくる。こうやって構ってもらえるだけで充分だ。少女漫画に出てくるような完璧な人じゃなくていい。優しさの塊のような人にも魅力はあるかもしれないけれど、わたしは丞さんみたいな人に惹かれるばかりだ。彼は全ての言動が優しいわけではないし、どちらかというと厳しい面が多いと思う。それにストイックだ。
これまでのやり取りからわたしのことを女の子として見てくれているかと考えても、辿り着く答えはバツマークだ。間に紬さんがいるから関係が続いているようなもので、きっと彼がいなければ丞さんはわたしに時間を割くことはないだろう。なぜなら、丞さんにメリットが微塵もないからだ。それならば、大好きなお芝居に時間を当てるべき。わたしもそう思う。交際相手がいたという話は紬さんから聞いたこともあるけれど、今の彼にはそんな必要はないのだろう。だからこそ、わたしの勝利は望めない。
「あ、そういえばこの前の劇!紬さんびっくりしましたよー。普段のイメージと違いすぎて!」
「あはは、それは良かった。役を研究した甲斐があったよ」
「当たり前だ。あれは紬であって紬じゃないからな」
「そういう丞さんはすっごい優しいお兄さんって感じで、思わず惚れそうに……」
「は?」
「かっこいいじゃないですか!好きです!」
「ああいう役だからな」
「付き合いたい!」
「紬、もう帰るぞ」
「待って!冗談です冗談!」
口ではあんな風に言いながらも、わたしの話を遮ったり、聞かないといった態度は絶対に取らない。それに立ち上がる素振りすら見せない。そんな丞さんにますます惹かれてしまっている。面倒な女なら切り捨てればいいのに、彼は決してそういうことはしなかった。必ず最後まで言わせてくれるし、聞いてくれる。同時にいつまでもゼロの可能性に縋って、引き摺ることにもなるのだけど。
紬さんは相変わらず穏やかな調子で、二人は仲が良いねと言う。ストローに口を付けたままのわたしは、さぞかし瞳をキラキラさせていただろう。一方の丞さんは飲み干したコーヒーの紙コップを軽く潰しながら、息を吐き出していた。
紬さんと丞さんの演劇を観に行くのは、何度目になるのだろう。二人で舞台に立っている姿をまた見ることが出来て、本当に嬉しく思う。大学時代に演劇サークルで楽しそうにお芝居をやっていたあの二人は、周りの人たちよりもうんとのめり込んでいることが素人であるわたしの目からでも分かった。そして、紬さんが一旦離れた時もよく覚えている。でも、わたしは何も出来ずにただただ、紬さんに会いに行った。その時、ひとりで丞さんに会いに行く勇気はなかったから、こっそりGOD座の演劇を観に行ったことがある。舞台の上で演じる丞さんはまるでパズルのピースを探しているような、そんな印象が垣間見えてしまった。お客さんは最高の高遠丞が見られたと思っているかもしれない。劇団にとっても素晴らしい演者だったかもしれない。けれど、わたしには寂しく映ったのだ。
この間の演劇は雪白東さんという冬組の綺麗な男の人が主演で、その準主演が丞さん。五人で演じている姿を見ながら、やっぱりお芝居って素敵なものだなあとわたしは思った。上手く言葉には出来ないけれど、心の中にすっと入ってきて、見ている世界が一瞬に変わってしまう魔法を掛けられてしまう。
「名前ちゃんは丞の、どこの演技がいちばん好きだった?」
「もちろん東さんとのやり取りですよ!」
「良かったね、丞」
「東さんとのシーンは特に稽古を重ねたし、いろいろあったしな」
「いろいろ?」
「苗字は知らなくていいことだ」
「企業秘密かな」
「いいなあ……そういうの。羨ましいです」
秘密という響きが特別に思えるのは、なんでだろう。わたしはいつもその秘密、自分の心の内に隠していることを守るために嘘を吐く。けれど、目の前の二人を含めた冬組の人たちはその秘密を共有しているらしい。いいなあ、そういうの。わたしも秘密を相手にきちんと話すことが出来たら、少しは自分自身を変えることが出来るのだろうか。周りにばかり変わって欲しいと思うのは、ただの傲慢なのだ。紬さんのように、秘密を共有する前にバレちゃっているのはノーカウントとして。
やっぱり、わたしは秘密を全力の嘘で塗り固めて見えなくしてしまっている。さっきだって、丞さんのことが好きだと口にしたクセに、すぐ冗談だと被せるように発言した。まさにこれだ。そして、相手も冗談の方を本気にしている。今までのわたしが作り上げてしまったイメージのせいだ。つまるところ、今の関係を作り上げた自分が原因なのである。壊すことは怖くて出来ないから、いつまでもこのままなのだ。
「苗字」
「はい?」
「いつにもまして変な顔してるぞ」
「またそういうこと言うー!」
「戻った。忙しい奴だな」
「たーちゃん、名前ちゃんで遊んでるでしょ」
Title:やさしい怪獣