純白のドレスに身を包んで、真っ直ぐに彼の元へ歩いて行ったときは既に涙を堪えるために唇を噛んだりして、かなり変な顔になっていたに違いなかった。自分がこの場に立つなんてまだ何年も後だと思い込んでいたのに、少し前の友だちのブーケトスで自分の手に飛び込んできて、次は名前の番だねなんて言われていたのを思い出す。照れ隠しもあったけれど、冗談半分くらいに捉えていたわたしからすると、昨日の事が夢のようだった。次はわたしの番なんて言われたって、自分からプロポーズするつもりなど毛頭ないし、おまけに彼の言動を観察していたけれどそんな雰囲気を微塵も感じない。そう友人たちとのお茶会で暴露しては笑ったはずなのに、突然のプロポーズに、結婚式に、と事はあっという間に進んでしまっていた。
隣で枕に突っ込んだように寝ているのは紛れもなく彼で。わたしの新生活が始まることを実感させるのには充分だった。白い天井に自分の手を伸ばすと、もっと現実味を帯びる。薬指で煌くのは間違いない、結婚指輪。カタカタと震えながら指輪を嵌めてくれたときのことを思い出したわたしはくすりと笑った。あんなに堂々としているクセに、そんな彼でも緊張することはあるんだなあ、なんて。


「はじめ、」


髪の毛に軽く触れると、わたしはベッドから降りて散らかっていた洋服を拾い集めた。なんだか気恥ずかしくて、すぐに洗濯機に放り込むために洗面所に走る。わたしの目に入る家具は新品で、祝ってくれているような気になったし、もちろん自分の家から持ってきた家具もあるので少し懐かしさを覚えたり。ちょっぴり寂しくもあるけれど。







今日は二人とも仕事が休みになっていたため、出かけることになっていた。頭を掻きながら、大あくびをした気の抜けた彼を見ることなんてレアだと思っていたけれど、今からは当たり前の光景になる。わたしは彼が気を張っているところばかりを見てきたのだから、なんだか違和感。高校の部活のときも周りの部員たちの士気を上げるポジションで、彼自身が気を抜く場面なんてなかった。


「おはよう」
「ああ」
「ちゃんとおはようって言ってよね」
「お、おはよう」


わたしから目を逸らして椅子に座った彼は落ち着きのない様子で、焼きたての食パンに何も付けることなくかぶりついていた。目の前にジャムもはちみつもバターも用意しているのに何も付けないのかな。


「緊張してるの?」
「…悪いか」
「ふふ、可愛いね」


白いカーテンから差し込む光がわたしたちの朝を迎えてくれる。毎日おはようって言って、一緒に朝ご飯を食べて、明日からは仕事に行って、また帰ってきたら一緒に晩ご飯を食べて、同じベッドで吐息がお互いにかかりそうな距離で目を瞑る。夫婦になったわたしたちは当たり前になるのだろうけれど、学生時代のわたしたちはこのことを想像出来ただろうか。少なくともわたしは学生のときはその瞬間でいっぱいいっぱいだった。彼のことで笑って、泣いて、悩んで、時には喧嘩を吹っ掛けたことだってある。そんな過去の積み重ねがこうやって実を結んで花となって、形になっていることが嬉しくて堪らなかった。


「名前、変な顔してんぞ」
「いいの、しあわせに浸ってるだけなんだから。ほらほら、岩ちゃんまだ食パンもう一枚あるからね」
「お前も、み、名字一緒になったんだからそれやめろ」


彼の言葉に思わず箸をテーブルの下まで落としてしまった。箸を拾うフリをしてテーブルの下に身を隠していると、頭の上から彼の声が響く。早く椅子に座るように促す言葉だったけれど、さっきの言葉を声には出さずに口の形で繰り返しては手と共に箸を両頬に押し付けた。
名字、一緒だって。何気なく言った言葉だとは思うけれど、これはわたしにとって、とても大きな意味を持ったものだ。籍を入れたときから、わたしと彼は夫婦になる契りを交わしたことになる。改めて音にされると、響きだけで赤面してしまうのが分かった。さっきの彼の朝の挨拶に言い返す資格なんてわたしにはないと気づく。







「懐かしいね、ここ」
「部活終わってからちょっと寄ったりしたしな」
「あのときの岩ちゃ、いや、はじめ、さんは」
「ちょっと待て、さんは付けるな…」
「なんで?」
「…慣れねえ」


今日一日過ごしてよく分かったことがある。付き合っていたときの関係や景色と今のそれは全く違うこと。きっとわたしだけではなく、彼も同じことを感じているのではないのだろうか。そうだと考えると、今日何度目か分からないけれど頬が緩む。


「名前」
「なーに?」
「そろそろ帰らねえと晩飯の用意が」
「そうだね」
「…名前」
「んー?」


彼はわたしに背を向けると、赤く燃える夕焼けに顔を向ける。でも、彼の左手はわたしの方へ伸びてきていて。不思議に思いつつも自分の右手でちょんちょんと反応を返すと、マメが出来ているゴツゴツした手がわたしのそれを勢いよく、でも優しく捕まえた。


「帰るぞ、嫁」
「えっ」
「…な、なんでもねえ!」
「…帰りましょ、旦那さん」


照れているのはお互い様だね。





Title:イーハトーヴ

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