職員室のドアを軽くノックして開け、礼をしたわたしは足を進めた。自分の教室や廊下と違って快適に過ごすことが出来る職員室は意味もなく、第二の避難場所として定着しつつある。勿論、用事が無いのに職員室を訪れると教師たちに睨まれてしまうのだろうけれど、わたしはこの学校で生徒会の一員として役を担っているので、職員室には他の生徒よりは気軽に居ることが出来た。仕事が大変なのは間違いない。でも、生徒会室と職員室という過ごしやすい場を確保出来たのは学生生活最後の一年としては大きな収穫である。 書類を担当の教師に運んできたわたしは所定の位置に紙の山を置くと、近くにあった椅子に座った。書類運びのついでに少し休憩していこう、そんな風に思いながら、スカートを綺麗に整える。放課後の職員室というのは部屋全体が落ち着かない。居残り組、部活の主将と副主将、自分の仕事に励む教師たち、いろんな人がひっきりなしに職員室を出入りするのだ。 元気な声と共に職員室のドアを開けたのはバレー部の主将である澤村大地くん。と、後ろについてきている柔らかい雰囲気を醸し出している副主将の菅原孝支くん。実を言うと、あの副主将さんはお付き合いの相手、だったりする。毎日勉学と部活に励む彼の姿は学校でよく見かける。その姿はバレー部の副主将、烏野高校三年生、でしかないのだけれど。部活の顧問の方へ歩いていく後ろ姿を少し眺めた後、わたしは入れ替わるようにして職員室を後にしたのだった。さて、生徒会室に戻らないと会長様に怒られてしまう。 生徒会室はもぬけの殻で、全開にされた窓から涼しい風が吹き込んでは机上の紙を辺りに吹き飛ばしていた。溜め息を大きくついたわたしは床に落ちた紙を一枚ずつ拾う。わたしがこの部屋を出るまで作業していた会長は忽然と姿を消していた。本当に自由気ままな会長様だとつくづく思う。 自分の仕事は一段落ついたので今日は早めに帰ろうかな、なんて思ったわたしは鞄を持って生徒会専用ソファに腰を下ろす。このソファは学校で一番座り心地の良いもので、一度座ると立ち上がれなくなってしまうという大袈裟な噂が生徒たちの間で飛び交っているものだ。そんな魔法などかけられていないのだけど、立ち上がることが億劫になるのはあながち間違いでも無い。連日の睡眠不足のせいで眠気に襲われたわたしはそのまま身体を横たえて暫し休息を取ることに決めた。自分の仕事から開放されて達成感でいっぱいだ。 目を閉じて寝転がったわたしは手探りで近くにあった小さな毛布を引っ張って、変な寝方になってもスカートの中身が見えないようにそれを上から被る。孝支くんは今頃、バレーの練習を頑張っているんだろうなあ。でも、ここ最近、恋人として会う回数はめっきり減ってしまって、孝支くんから告白される前に戻ってしまったような錯覚さえあった。ただの、学年の同じ、男の子。それだけの関係。毛布を握る手にぐっと力を入れると、ぐしゃりと形が歪んだ。 重い瞼が開いたのはそれからどのくらい時間が経った頃だろうか。被っていた毛布をゆっくりと押し上げると、スカートは捲れ上がっており、慌てて整える。生徒会の誰かが戻ってきた形跡はなく、時計を見るとあれから二時間程の時が過ぎていることが分かった。もうすぐ、夕飯の支度が出来上がってお母さんが待っている。もう、帰らなくちゃ。そう思って、毛布を畳んで立ち上がると窓を閉める音がした。 「おはよう」 「…お、おはよう?」 「生徒会室の電気が点きっぱなしだったから何かと思って」 窓の鍵を掛けて振り返った孝支くんの髪の毛がふわりと揺れる。部活終わりの筈なのに、汗を感じさせない爽やかさは何処から生まれるのだろうか。首に掛けられたタオルを見るからに汗をかいているのだとは思う。だって、あんなに気迫の篭った激しい練習だもの。体育館はいつ訪れてもキラキラした景色で溢れているのだ。 「名前、俺が職員室行ったら逃げたでしょ」 「逃げてなんかないよ」 「そう?俺にはそう見えなかったけどなー」 「仕事が終わったからこっちに来ただけだもん」 首からタオルを外した孝支くんはそれで自分の額を軽く拭く。職員室にわたしが居たこと、気づかれていたんだ。入れ替わるように動いたつもりだったので、わたしは気づかれていないとばかり。孝支くんはそのままわたしの隣を通り過ぎて行き、生徒会室の唯一の出入り口で立ち止まった。ぱちり。明かりも消えてしまったその部屋は廊下の微かな光が差し込むだけで、あまりよく見えない。 「名前」 「はい?」 「ごめん」 「な、なんで謝るの」 「…おいで」 暗闇でよく見えなかったけれど、きっと孝支くんは眉を下げて困ったような、寂しそうな顔をしているとわたしは思った。同時に寂しかったのは自分自身だと気づく。孝支くんは毎日忙しい、わたしは生徒会の仕事が大量にある、だからしょうがないことだと自分で理由を付けてここまでやって来ている。優しい孝支くんのことだから、職員室でわたしの姿を見つけたら構ってくれるに違いない、そう思ったから負担にならないようにと自然に職員室の外へと足が向いた。さっき、表情を想像したけれど、きっとそんな顔をしているのは他でも無い、このわたし。 鞄を放り投げて、腕を広げた孝支くんの元に飛ぶように走った。寂しかった、そう素直に口にしながら。我慢も必要だけれど、たまにはこうやって構って欲しかった。でも、言葉に出来ないわたしのことを孝支くんは気づいていてくれたから、もうそれでいいの。 |