白夜、暗夜どちらにも属さないとされるイズモ公国。イザナ公王が治めるその国は肩入れすることなく、長年中立を守ってきた。公王の明るく朗らかな性格、悪く言えば楽観的すぎる面もあるが、それでもこの国は干渉することなく独立して今まで一つの国として成っているのである。
名前はイズモ公国で菓子屋を営む家庭に生まれ、幼い頃から親に菓子の作り方から店の運営まで叩き込まれていた。一人娘の名前は菓子職人になることが当たり前だと思い込んでいたため、両親はとても喜んだという。違う道に進んでも良いんだぞ、と父が名前に言ったこともあったが、それでも彼女は自分の育った菓子屋を守りたいという気持ちが大きく、その場ですぐに返答したそうだ。お父さん、お母さん、名前は絶対にこの菓子屋を継いで、伝統ある菓子を守っていくと。涙ぐんだ両親は一層、彼女への指導に力を入れる。そのおかげもあり、大きくなった彼女は店を切り盛りすることができるくらいの力を備え、両親が現役であっても店を任せられることも多くなっていった。両親の後を一生懸命ついて行っていた白夜王国、暗夜王国にだって今では一人で行くことができる。彼女の愛馬は家でいつも待機しているので、どんな注文であっても届けることが可能だった。昔から両国を訪れる機会も充分にあったため、名前は顔を出せば認識して貰える。ただし難点としては戦う術を持たないということだ。もし賊などに襲われたのならば、一目散に逃げるしかない。自分の命は自分自身で守るのしかないのだから。







白夜王国の入り口に差し掛かったとき、風で大きく揺れる束ねられた長髪が目に留まった。あの方はわたしもよく知っている王族の血筋の方である。



「タクミ様、お菓子をお持ちしました」
「…ふん」



お菓子を白夜に持ってきたとき、タクミ様はいつも素っ気ない態度でわたしと接するのだけど、これが彼の普通だって知っているので落ち込むことなど無い。むしろ、タクミ様がこの調子ではないと変な感じがするものだ。バスケットに詰め込んだお菓子を近くにあった台座の上に広げると、タクミ様の眉がぴくりと動く。わたしはいつもこの瞬間を待っていたりする。表情を崩さまいと必死な彼なのだけれど、お菓子を目の前にするとどうも表情が柔らかくなってしまうようで子どもっぽさが垣間見えるのだ。和菓子を多めに持ってきたのはいつも和菓子が取り合いになるとリョウマ様が教えてくれたからである。その取り合いの中でタクミ様もお菓子のために張り合っているのかな、なんて場面を思い浮かべてみたけれど、なんだか彼らしくなくて思わず笑ってしまった。



「名前、なんで笑うの?」
「いえ、あの、ちょっとタクミ様のこと考えてまして…」
「…え」
「可愛らしくて」



ふいっとお菓子から顔を逸らしたタクミ様は着物の裾を乱暴に引っ張るような形で整えようとしていたけれど、それでは逆効果ではないだろうか。わたしはタクミ様の目の前にくるりと回ると、じっと彼の顔を見て、失礼いたしますと一言。裾に手を伸ばすと、一瞬だけタクミ様が抵抗して動こうとしたのが分かったけれど、気になってしょうがないわたしはそれを無視して裾に集中した。
わたしがタクミ様と初めて会ったときにはこんなに背丈の差など無かったはずなのに、今ではすっかり彼を見上げる形になってしまっている。年月というものはあっという間に経つものだ。わたしのお菓子作りの腕がここまで上がったのも修行の時間を詰んできた結果の一つだと思うと、嬉しくて仕方ない。こうやって、国を訪ねてお菓子を売ることができるくらいに成長しているのだから。



「はい、タクミ様。綺麗になりましたよ」
「…別に頼んでないよ」
「わかってます。わたしが勝手にやったのですから」



持参したお菓子の説明に戻ると、タクミ様は黙ってしまった。説明も本当に聞いてくれているのか怪しいところだが、そこを追及する勇気など持ち合わせていないのでわたしは淡々と話を続ける。間を置くたびにお菓子から目線を外してはタクミ様の方を盗み見るのだけど、途中からお菓子ではなくわたしの方を見ていたのが分かった。なぜかというと、単純に目が合ってしまったから。弓を射るあの一瞬の素早い動きのように、目を逸らされる。何か気に入らない点に口を開きたかったけれど、次から次へと流れるお菓子の話の間には入ることができずにいる、そんなところだろうか。



「タクミ様」
「もう終わったなら帰っていいよ」
「…何か言いたいことがあったのではないですか?」
「別に」
「そうですか。ではまたご注文があればいつでも伺いますのでお気軽に。ありがとうございました!」



今日は他の方々の姿が見えなかったけれど、タクミ様に全てを言付けたのであまり気にすることはないだろう。白夜王国に贔屓して頂いている身とはいえ、中立国の者に間違いはないのでタクミ様のように警戒心を最初から最後まで解かない方だっている。サクラ様は警戒心が無さ過ぎてタクミ様に指摘されていたけれど。
それでもわたしはお菓子の職人。自分の仕事に誇りを持ってやり遂げることがわたしの生きがいなのだ。他人にどう思われようとも、自分の信じた道を行く。信念を貫き通すのだ。



「待って、名前」



入り口に待たせておいた馬に跨ったときにタクミ様が駆け寄ってきたので、わたしは急いで馬を降りた。愛馬は主人が一度背に乗ったのに、すぐ降りたことに疑問を感じていたようで鼻を鳴らす。わたしは馬の顎をするりと撫で、おとなしくするように言い聞かせた。王族の方に上から話すなんて言語道断。わたしの身分なんて、王族の方の足元にも及ばない、ちっぽけなものなのだから。



「はい」
「あのさ、いつも菓子持ってきてくれるだろ…?」
「わたしの仕事ですからね」
「…仕事、そうだね。仕事だね」
「もちろんです」
「ねえ、名前。これ、受け取ってよ」
「そんな!タクミ様から頂き物なんて恐れ多いです…!」
「ほ、ほら、お礼だよ。お礼」
「…」
「さっさと受け取って帰ってよね」
「…あ、ありがとうございます」



タクミ様の手がわたしの手首を捕まえる。ゴツゴツしたその手は毎日弓を射る修行を絶えず行っていることを物語っていた。わたしのような身分の者が高貴な身分の方と触れ合ってはいけないと分かっているのに、タクミ様が捕まえて離してくれない。それにお願い紛いのことをされては断れるはずも無かった。
暫くの間されるがままになっていると、手首に和菓子のイメージを思わせるような飾りが出来上がる。小さく出来た結び目の部分の紐の結び方がちょうど目に入ったタクミ様の結い糸の結び方を全く同じで、本当に彼が結んでくれたことを強く思わせた。



「腕飾りだよ。いい?僕があんたに渡したからね!」
「はい。ありがとうございます!」
「…気をつけて帰りなよ」



大きく一礼すると、タクミ様はくるりと体を半回転させてその逞しい背中をわたしに見せた。リョウマ様に追いつこうと必死なのではないのかな、なんて勝手に考えたけれどこれを本人に言うと怒られてしまうかもしれないので口を噤む。タクミ様の背中を見送るとわたしは先程からつまんないと言わんばかりの態度の愛馬に跨って、自国へ馬を飛ばした。
一度、仕事場に戻ってお菓子を調達した後にそのまま暗夜王国へ向かわなければならないのだ。仕事に精が出るというものだけど、流石に疲れも溜まる。考えるよりも動こう、そう決めたわたしは馬の手綱を強く握り直した。


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