誰だって初めから何もかも器用にこなすことができるわけではない。勿論、神から授けられた才能が最初から開花することはあるので、もし名前に菓子作りの能力が生まれたときから備わっていたのなら話は別だ。名前はその才能には恵まれなかったものの、菓子作りの修行をすることで技能を身につける道を選び、その成果は毎日少しずつだが芽を出し、やがて花を咲かせることになる。挫けて逃げてしまう道も彼女には幾つも用意されていたが、それでも選んだ道を外れずにただ真っ直ぐに走り続けた。結果の伴わないことも多々あったが、菓子作りの先に待っている客の笑顔が彼女の力の源であり、そのために菓子作りに励んだといっても過言ではない。 ただ一言、「美味しい」という言葉が欲しかった。ただ少しだけ、「笑顔」を見たかった。 未熟な腕でもその一言と笑顔が貰えたのなら、また次からも頑張ろうという気になれた。至極単純な人間かと思われるかもしれないが、心からの笑顔と味に対する評価だけで名前は自分の手で甘かったり、苦かったりする菓子を生み出すことを止めることなど出来なかったのである。そして修行の日々は続いていく。一人前と両親に認められたあの日も彼女にとっては一つのゴールであり、また新しいスタートでしかなかった。いつまで経っても世界では一人前などと認められることはこないのだろうと思いながら。時は止めどなく流れゆく、人々の生活も移り変わっていく、季節だって何巡とする。その度に、認められるものは変わっていくのだ。だから立ち止まっていては菓子職人としてはいつまでも半人前。高みへ高みへ、上を目指してひたすら努力を続けることは必要なのだ。間違っても今の状態で満足してはいけない。 店を後にしたわたしは先程訪ねた白夜王国とは反対に位置する暗夜王国に馬を走らせていた。たまにこうやって二国同時に注文が入ることがあるのだけど、実はこれが今では一番疲労の溜まる仕事プランだったりする。端と端で対立し合っている国なものだから、移動も大変なのだ。両国手を結んで、もっと近くに国を造ってくれたのならわたしとしては大助かりなのだけど、わたし如きが大国の対立に口を挟んでいいわけが無い。せっかく確立した今の生活を自ら壊すことになってしまいかねない。 暗夜王国自体に苦手なイメージは特に持っていないし、白夜と暗夜どちらも贔屓にしてくれる相手として平等に接するのが当たり前だ。けれど、暗夜王国を訪問する際はどうして白夜と比較してしまうことが一つだけある。王国が悪いわけではないが、その道中である。戦う術を持たないわたしとしては、もう少し明るい道を行きたいのだが暗夜へ通じる道はこの道しかないし、王国が近くになるにつれて薄暗くなっていくのだ。時間の感覚が狂ってしまいそうになるが、ちょっとだけ普通と違うのだと言い聞かせながら通っていたら今では気にならなくなってきている。慣れというものは怖い。賊が出てきてもおかしくない薄暗さ、周りの不気味な立ち木の並び、人気を感じさせない足元の悪い道。全てが詰まって、恐怖心を呼び起こしているのだと思う。 「あ!」 暗夜王国の入り口には暗闇の中で光る金髪が座り込んで、書物を読み耽っているのが見えた。あの方もタクミ様同様、わたしもよく知っている王族の血筋の方である。 「レオン様、お菓子をお持ちしました」 「遅いよ。待ち疲れたじゃないか」 パタンと本を閉じたレオン様は立ち上がると、わたしの方へ手をゆっくりと伸ばす。表情は少しも変わっていないのだけど、この方はとても優しい方なのだ。でも王族の方に手を煩わせるわけにはいかないので、レオン様お気遣いありがとうございます、大丈夫ですから気にしないでくださいと言うと、すっと手を引っ込めてはわたしにくるりと背を向ける。これは暗夜王国にお菓子を届けに来た際の一連のやり取りだ。 マークス様から時折話を聞く機会があるのだが、その時にレオン様がトマトを好んでいるという情報を手に入れたわたしは先をズンズン歩いていくレオン様の前に躍り出て、赤みがかったお菓子を取り出してはニコリと笑った。 「名前、どうして笑っているの?」 「いえ、あの、これレオン様のことを考えてですね…」 「えっ」 「トマトがお好きと伺いましたので」 わたしの指に挟まれていたお菓子は直後にレオン様の手に渡っていて、あまりの速さに驚いたけれど、それだけ好きなのだなということが分かった。トマトをお菓子に使ってみるというのは初めての試みだったものの、試作品を幾つか重ねることで上手くお菓子という形として完成し、歓喜したのは記憶に新しい。 興味深く観察しているレオン様の瞳は嬉しそうに細められていて、なんだかわたしまで嬉しさが伝染した。くるくると外見を一周眺めてから、こちらに目を向けたのでこれは食べてもいいのか了承を得たいのだと思ったわたしは大きく頷く。王族の方の頼みを断れるはずなど無いから、了承なんて取る必要はないのに。レオン様が控えめに口を開いて、新作お菓子にかぶりついた姿はまるで絵になるように高貴で、麗しい王子だと思った。けれど、その後あることに気づいてしまったわたしはやっぱりまだまだ子どもっぽさも残るのだな、なんて微笑ましくなる。 「…名前、どうしたの」 「法衣が逆ではないかと」 彼の大好物と並べても違和感のないくらいに赤く染まった頬をしたレオン様は、見るなと言わんばかりに法衣を隠そうとするけれど隠しきれていない。口の中に詰め込んだお菓子を咀嚼しながら、わたしの視界からあっという間に消えていった。 その間にわたしは献上するお菓子を別の袋にまとめておく作業に入った。バスケットは道中、形を崩さないための必需品に間違いないので、このまま渡すわけにはいかないのである。わたしがいつもお菓子を持ってくるとレオン様の他にもエリーゼ様が駆け寄って来て、その場でいくつかお菓子をたいらげてしまうのだが、今日は珍しく姿を現さなかった。 「もう、気づいていたらすぐに教えてよ!」 「わたしもさっき気づいたものでして…すみません」 「…こんな姿を見せるはずじゃなかったのに」 表面上は打ち解けて接しているように見えるけれど、本当のことをわたしは知っている。贔屓してもらっている、ただのお菓子職人なのだ。中立国の者に間違いはないのでレオン様のように警戒心を最初から最後まで解かない方だっている。レオン様の表に出す感情が本心と必ずしも一致するわけでないのだ。 お菓子の詰まった袋をレオン様に渡すときに一緒にお菓子の説明書も渡した。どのお菓子がどのような物かしっかり説明書という形で残しておきたいという暗夜王国からの要望である。自分のお菓子が大切に思われていることを実感するわたしはこれからも精進しようと心に言い聞かせた。 「ちょっと待ってよ、名前」 入り口に待たせておいた愛馬と目が一瞬合ったが、その大きな瞳がまばたきをする。まるで、またかと言わんばかりでわたしは苦笑いをするとレオン様の方へ向き直った。レオン様はわたしの顔を見ずに、何やら自分の手元を見つめたまま、こちらに向かって歩いてくる。目の前で立ち止まるかと思えば、わたしの横をすっと通り抜けて行って後ろから不意に髪の毛を優しく掴まれた。 「長い髪って、菓子作りのときは結ぶんだよね?」 「ええ」 「名前はどうして菓子を持ってくるの?」 「それは勿論、仕事ですからね」 「…そうだね。ねえ、名前、これ報酬」 「いえ、報酬はいつも頂いていますのでそんなにお気になさらず」 「い、いいんだ、今回は特別だと思ってくれたら…」 「…」 「いいから」 「…すみません、ありがとうございます」 レオン様の手がわたしの広がった髪を一つに集める。繊細で美しい指が掠める度に、彼の手はいつも難解な文字を唱和し、それを操っているのだなと思わせる。剣を持っていることは知っているが、あまり使わないのではないだろうか。髪を弄っていることと先程の質問から、髪を結んでいるのだろうが、わたしのような身分の者が手の届かない身分である方にさせるわけにはいかなかった。けれども、レオン様は夢中になっていて手を離そうとは決してしなかった。 暫くして目の前に差し出された鏡に自分の姿が映る。髪を束ねた髪留めを鏡に映すために頭を動かそうとしたが、それよりも前にレオン様がわたしに髪留めが見えるようにしてくれた。髪留めは派手でも地味でも無いけれど、どこかレオン様の雰囲気を思わせるようなもので、わたしは頭を下げる。 「髪留めだよ。分かってる?僕がお前に渡したからね!」 「はい、ありがとうございます!」 レオン様は片手に書物、反対にお菓子の袋を持って背をわたしに向けた。マークス様という立派な兄の背中を追っているのだろうか、なんて勝手に考えたけれどこれを本人に零すと何を言われるか分からないので口を噤む。レオン様の背中を見送ると、待ち疲れたという態度を隠そうともせずに大っぴらに見せつけてくる愛馬に跨って、自国へ馬を飛ばした。 今日の仕事は店に戻って、残りの営業時間を両親と共に全うするだけだ。 |