そわそわ、そわそわ。 落ち着かないわたしは噴水の周りをぐるぐると歩きながら、ワンピースの裾を引っ張ったり、鞄の中身を漁ったりと手を忙しなく動かしていた。何かに触れていないと心は浮き立つばかり。腕時計を確認すると、時計の針がもうすぐ約束の時間を指そうとしていた。また一周噴水を回ると、いきなり水飛沫が大きく上がって髪の毛や顔に少しかかる。母親の謝罪の声が飛んできたのが分かって、噴水を覗くと小さな子どもが冷たい水を浴びて満面の笑みを浮かべていた。その子の母親に気にしないでくださいとの旨を伝え、近くのベンチに座る。小さな天使のおかげでわたしはちょっぴり落ちつくことができたかもしれない。 「名前ちゃん」 不意に呼ばれた名前に化粧ポーチから顔を上げると、トランペットケースを持った奏馬先輩が立っていた。制服姿は見慣れたはずなのに、学校では学年も違うし普段は先輩だって友だちと一緒に居るのだから顔を合わせることが少ないために、制服姿をまじまじと見る機会は意外と無い。部活だって終わる時間が違うのだから、放課後一緒に帰ることもあまりないし、帰宅途中はもう日が暮れていてよく見えなかった。 背の高い奏馬先輩は制服がよく映える。同級生も彼以外の上級生だって同じ制服を着ているけれど、わたしの目には同様に映っていない。うーん、とその場で唸ると、ぐうーと気の抜けるような音が聞こえた。 「…ごめん、お腹空いてて」 「い、いえっ、早く食べに行きましょう」 照れたように笑った奏馬先輩はお腹の辺りを擦りながら、わたしが立ち上がるのを待っているようだった。急いで荷物を纏めたわたしは彼の腕をツンツンとつついて準備が出来たことを知らせる。 「今日も練習お疲れ様です」 「ありがとう。名前ちゃんは何をしていたんだ?」 「課題をしていました」 「ははは」 「なっ、なんで笑うんですか!?」 「いつも真面目な返事しかしないから」 「本当のことなんですから、しょうがないです!」 「君は全く…」 適当に町通りを歩いて、奏馬先輩と会話を交わすとなぜか笑われてしまった。わたしは事実を伝えただけなのに。君は全く、の言葉に続くであろう彼の声を待っていたけれど、いつまで経ってもそれは聞こえてこなかった。確実に何かを言いかけたはずなのに、呑み込んでしまったらしく、次の言葉には一つも繋がりを感じることは出来ない。 「名前ちゃん食べたいものはある?」 「今日は部活で頑張った先輩が決めて欲しいです」 「そんなこと言ってるけど、実は選ぶのに迷うとかいう理由だろ」 「…先輩早く早く!」 扉を開くと可愛らしいベルが来客を知らせた。結局、奏馬先輩が決めた場所に行くことになってわたしはひと安心。会話の途中でどうしてわたしが選択権を自ら捨てようとしているのか見破られてしまったけれど、それでも負けずに彼に決めてもらおうと思って半ば選択権を押し付ける形になった。優柔不断なわたしが過去にご飯のお店を決めようとしたときに掛かった時間は計り知れない。更に今日は奏馬先輩が既にお腹ペコペコの状態だと分かっていたので、最後まで粘ったというわけだ。 「パンケーキ!」 お店に入ってから甘い香りに誘われつつあったが、メニュー表を見て確信した。ふわふわなパンケーキの上に豊かに果肉が添えられ、真っ白のクリームがふんわりとかけられている。メニュー表を見て、向き合う形で座っている奏馬先輩の顔を見ると目が合った。 「喜んでくれたみたいで良かった」 「え!先輩が食べたいものじゃなかったんですか!?」 「オレは君に喜んでもらえるといいかな、って思って…」 奏馬先輩はそう言いながら、彼の前に置いてあったメニュー表で顔を遮ってしまったのでわたしからは表情が見えなかった。メニュー表の最後に載っているドリンクの種類しか目に入らなくなってしまったわたしは、彼と同じようにメニュー表で顔を覆う。二枚隔てた向こう側で今、奏馬先輩はどんな顔をしているのだろう。少なくとも、わたしは今見せられるような顔ではない。だって、彼がわたしのことを考えてこのお店を選んでくれたという事実に顔が緩んでしょうがないから。 メニュー表から見える範囲でお店を見渡すと、比較的女の人が多いように思う。ここである疑問がわたしの頭の中を占めた。このお店のことを最初から知っていたのかということだ。男の人たちはパンケーキ屋にあまり来店しているイメージが無いため、このようなお店自体も知らない人が多いと思う。あくまでわたしの勝手な考えだけど。 「先輩、このお店を前から知っていたんですか?」 「いや知らないよ」 「じゃあ、なんで?」 「…秘密だ」 くぐもった声が前から聞こえてくる。話をしているというのに顔が見えないだけでこんなに寂しい気持ちになるなんて。わたしはよく恥ずかしさから顔を隠したり背けたりしてしまうことが多かったのだけど、今度からは気を付けようと思う。奏馬先輩も同じような気持ちになっているかもしれないから。 「先輩!注文しましょう」 「そうだな」 わたしたちは同じタイミングでメニュー表から顔を出したのだった。 ほら、やっぱり顔が見えると嬉しいの。 |