隣を歩く奏馬先輩はいつもさりげなく歩幅を合わせて歩く。長身な彼とわたしでは一歩が大きく違うので、普通に歩いていると置いてきぼりになってしまうのだ。段々と夜の色に染まっていく空を見上げては、また視線を落としてちらりと奏馬先輩を盗み見る。そして、横顔から更に視線を落として、いつも空いていない手を見た。テスト前はさすがにトランペットを持って帰って練習することは控えるようで、今日はそのケースを持っていない。



「せ、先輩」
「ん?」
「トランペットのケースは」
「名前ちゃんは聞かなくても知っているくせに」



理由を知っているにも関わらず、無意味に聞いてしまったのは手を少しでも意識してもらえないかなと思ったから。クスクスと笑う先輩の横顔は凛々しい吹奏楽の部長としての顔ではなくて、わたしの隣に居てくれる男の人としての顔だった。でも、そんな先輩も気づいてくれないかもしれない。
わたしが手を伸ばせば触れることが出来る、その大きな手は空いたまま。思い切って指でトントンと部活のときにトランペットを握っている手をノックすると、奏馬先輩がどうしたと言わんばかりにわたしを見る。言わなくちゃ、言わなくちゃ、そう心に言い聞かせるけれど、やっぱり言葉は出てこなかった。
すると、隣の彼は立ち止まって眉を下げて困ったように笑う。奏馬先輩が立ち止まったことに気づいたわたしが振り返ると、その表情がよく見えた。途端に自分の頬が熱を持って、熱くなっていくのが分かる。だって、あの顔は先輩がわたしに触れるときによく見せる顔だもの。
再び足を進め始めた奏馬先輩は先程から寂しげにしていたわたしの手をそっと握って、車道を行き交う車を見ていた。彼の手が微かに震えていたのは緊張しているからだろうか。



「先輩」
「…こ、こういうことだよな?」
「はい。嬉しいです」



繋がれた手を離して欲しくなかった。このまま、わたしのことをどこかへ引っ張って行って連れ去ってしまって欲しいだなんて、ファンタジー小説のお姫様のようなことを考えて一人で笑う。奏馬先輩はそんな風に攫ったりなんて似合わないと分かっていたのに。彼は正面から堂々と迎えに来てくれるタイプだと思う。



「名前ちゃんさっきからずっとこうしたかった?」
「…はい」
「オレにもっと言いたいことを言ってもいいんだけどな」
「いいえ。わたしは十分奏馬先輩にわがままを言って困らせているので」
「これってわがままじゃないと思うよ。だって、手を繋ぐこと自体、オレは好き、だし…」
「…今度からは頑張って言います」



薄暗い中でも奏馬先輩が顔を赤くしたことだけは分かったし、それにわたしの耳に手を繋ぐことは好きだと確かに聞こえた。わたしも好き。言わないけど。



「それにさ、オレの役目でありたいから」



その言葉に立ち止まって動けなくなったわたしを奏馬先輩が心配して、一人焦っていた。
もうすぐ、夜がやって来る。



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