机に両肘をついて教卓で来週の連絡事項について口早に喋る担任を見ていた。もちろん、内容は耳に入って反対の耳から出ていく。聞いているフリをしているだけだ。普段はメモを取るくらい真面目に聞いているのだけれど、今はそんな気分になれずに居る。机から肘を浮かせたところで帰りの挨拶が始まった。周りのクラスメイトが立ち上がると共にわたしも重たい腰を上げる。教師も生徒も明日は休日ということで心なしか幸せそうな顔つきに見える。 さようなら、という言葉が教室に響き渡ったかと思えば、廊下に飛び出していく部活着の男子。帰りにお茶でもしないかと笑いながら団体で出ていく女子。わたしは未だに自分の机から動けずに居た。もう一度、椅子に座ると机に突っ伏す。 昨日菅原くんから話を聞いたのがはじまりだった。充実した部活動が出来ているということは部活の主将本人からも聞いている。バレー部は様々な個性を持った人の集まりで、今年は特に後輩たちが恵まれた才能を持ち合わせているらしい。羨ましいと心底思ったことが何度もある、そう菅原くんが呟いていた。菅原くんの話だけで終わるかと思えば、それに留まることなく、主将の話になったわけで。大地くんはわたしと居るとき、バレーの話をするけれど、自分の話はほとんどしない。同級生や後輩のことばかり口にして、自分のことは彼女であるわたしにちっとも言ってくれないし、主将の立場にある彼は悩みを抱えていても全く話してくれなかった。部の話をするときに、ちょっぴり悔しそうな顔をしたり、自信の無さそうな顔をするのに。表情に出ているクセに言葉にはしない。確かにわたしは部外者。でも、大地くんと付き合っている彼女。少しくらい、わたしを頼ってくれたって。 菅原くんは三年生で大地を支えていくのは当たり前だけど、名前ちゃんもあいつを支えてやって、そう最後に言っていた。何にも知らないわたしがどうやって大地くんを支えたらいいの。大地くんの状況さえ把握していない。その場は分かったと一言で返したけれど、本当は一番今の自分が彼を支えることが出来ないと痛感していた。 「…大地くんはわたしの知らないことだらけだ」 顔を上げたわたしは黒板に向かってそう言葉を飛ばしていた。言ってくれなきゃ分からない、なんて台詞は少女漫画で何度も目にしたことがあるけれど、今ならその主人公の気持ちがよく分かる。わたしが仮にバレー部のマネージャーだとするならば、大地くんが言葉にしなくとも察することが出来るかもしれない。でも、わたしはマネージャーではない。机の中に手を突っ込むと、教科書や筆箱で押し込まれてグシャグシャに丸まった紙が手に触れた。まるでわたしの心を具現化したようなそれを掴むと、遠くに置いてあったごみ箱に向かって思いっきり投げつける。乱暴に投げられた紙くずは机の上を越えていったけれど、ごみ箱に入ることなく、近くに落ちた。物を投げてはいけませんと常に言っていた人が物を投げるなんて。入らなかった紙くずを見て、わたしは自嘲気味に窓の外を見た。 「名前はいつも物を投げてはいけませんって言うのにな」 「あ…!だ、大地、くん」 「何かあったか?」 よりによって彼氏の前で醜態を晒してしまうとは思わなかったわたしは開いた口が塞がらない。大地くんはわたしの口癖を覚えていて、いつも名前が言うから俺にも移ったなんて言う。普段の行動からはあり得ないわたしのことを心配する言葉も忘れないところが大地くんらしいけれど。 わたしはこんなに支えてもらっているのに、大地くんのことはやっぱり一つも支えられていない。菅原くんたち三年生の仲間に本音を話せるのは当たり前だとは思うけれど、それでもわたしにも少しくらい話してくれてもいいのに。わたしは大地くんの傍に駆け寄ると、制服の裾を引っ張った。ストレートに話を振って喋ってくれるか分からなかったこともあって、何か言うのは躊躇われたけれど、何よりも少しでも頼ってくれなかったことが悔しくて、寂しくてたまらない。ぐいぐいと制服を引っ張るわたしを見て、大地くんは困った顔をしていた。それでも駄々を捏ねる小さな子どものように、裾を離さない。 「名前、何か言ってくれ」 「…それは!」 「え?」 「それは…っ、わたしの台詞です!」 ぐるぐると心の中で渦を巻くこの感情の名をわたしはよく知っている。これも少女漫画で得た知識だけれど、まさか自分が抱くことになるなんて思いもしなかった。大地くんが話をしたい人にきちんと言葉で伝えることが出来ているのだから、わたしが口を出すようなことはないし、心配をすることもない。けれど、すきな人だからこそ気になってしまう。いつでも彼にとって特別な存在でいたいと思ってしまう。 「大地くん、バレーのこともっと話して」 「俺は名前に結構話していると思うけど…」 「ううん、大地くんのことをもっと話して。わたし、わたし、大地くんのこと知らないことばかりだって気づいたの。菅原くんたちだけにしか話せないこともあるかもしれないけど、少しくらい、わたしにも相談して欲しい…!力になれないかもしれないけど、聞くことは出来るからっ、」 「名前…」 「ずるいよ…わたしの知らない大地くんが増えるなんて」 吐き出した言葉は大地くんにとって迷惑極まりないものかもしれない。彼女の想いが重すぎると言われてしまうかもしれない。けれど、心の声を形にしなかったのなら、もうくちびるにファスナーを付けられて音にして出すことが出来なくなってしまうだろう。タイミングを逃して後悔するよりも幻滅されてもいいから、わたしの言いたいことを知って欲しかった。下を向いていたけれど、勢いよく顔を上げる。どんな表情をしているか怖かったけれど、現実と向き合う勇気を抱いて、わたしはじっと見た。大地くんはなぜか手を口に当てている。目は泳いでいた。 「…もしかして、」 「ご、ごめんなさい、困らせたよね。重いよね。ごめんなさい…!」 「いや、名前、俺嬉しいんだ」 「え?」 「…お前がやきもち焼いてるみたいでさ」 口元を押さえていた大地くんの手はわたしの腰に回ってきて、裾を掴んで距離を取っていたわたしは彼の方へ引き寄せられる。ぴたりとくっついた身体は温かい。チームの大黒柱がいかに安心出来る存在なのか思い知らされる。口元を隠していたのは綻んでいる表情を隠したかったらしい。大地くんがぼそぼそと呟く言葉から、そう推測出来た。 やっぱり、わたし、やきもちを焼いているんだ。誰よりも傍に居ると思っていた彼から頼ってもらえなくて、寂しかった。菅原くんたちが羨ましいと思っていた。 片腕に抱かれたわたしは身動きもせずに、そのぬくもりを独占するようにおとなしくしていた。わたしにはこんなに頼れる人が居て、しあわせなのだと改めて思う。さっきゴミ箱にシュートし損ねた紙くずが風に吹かれてコロコロと足元まで転がってきた。それを手にした大地くんはわたしから離れるとゴミ箱にきちんと捨てる。 「名前、俺、話したいことがある」 「うん。聞かせて」 自分の知らない彼をまたひとつ知ることが出来ることがどれだけ嬉しいことなのかは、ドクンドクンと脈打つ鼓動が物語っていた。胸に手を当てなくても、頭まで響くように早まる鼓動。例え、悩み事に解決策を見出すことが出来なくても許してね。大地くんの思いを共有出来たら、わたしは満たされる。背負っている重さを少しでも一緒に背負うことが出来たらいいなって、そう思っているよ。同じ立場ではないにしても、傍にいるから。 何かを言い出そうとした大地くんはコート上の表情でこちらを見ている。真剣な瞳、勝ちに行くことしか頭になさそうで、けれどもチームメイトのことを誰よりも大切に思っている表情にわたしの心臓が射抜かれないわけがなかった。 Title:さよならの惑星 |