小さな命を身籠った際に、自分のお腹の中で懸命に生きていると思うと、生命の繋がりを強く感じた。マークス様との間に出来た子は暗夜の人々から大変期待されることとなる。懐妊の知らせを聞いた国民たちはそれはもうお祭り騒ぎだった。わたしがマークス様の妻となることを国中に知らせた際も同じような光景を目の当たりにしたように思う。同時にこの子は重圧を背負って生きていくというのもまた、確かなことだ。今はもう命を宿していないお腹を擦りながら、部屋の中を駆け回る我が子を見る。まだ小さなジークベルトは国民の目のことなど頭にない。毎日、自分中心で生きているというものだ。時の流れが違う秘境に預けているということも大きく影響しているのかもしれない。いつか、暗夜王国に帰る日は必ずやって来る。息子は国に帰れば、国を治める偉大なマークス様の子息として見られるのだ。ジークベルト、としてではなく。



「ははうえ、げんきですか」
「母は元気ですよ、ジークベルト」



暗い表情を無意識にしてしまっていたのだろうか。ジークベルトがいつの間にか、わたしの顔を覗き込んでいた。目の前に突然現れた息子に大丈夫とばかりに笑顔を浮かべ、頭をゆっくりと撫でる。成長していく息子は小さくとも、他人を心配出来るほどの余裕を持っていた。その顔つきはマークス様を彷彿させる。自分が思うよりもジークベルトは王の器となるべく、日々成長しているのかもしれない。



「もうすぐ、マークス様が来てくださいますからね」
「ちちうえが!ほんとうですか!?」
「はい。今朝、こちらへいらっしゃると」
「きょうはちちうえとははうえがいるのですね。うれしいです」



屈託のない笑顔は父と母と息子、家族全員が集まることを心から喜んでいるようだった。時間に余裕のないマークス様はなかなか家族の時間を確保することが出来ないでいるが、少しの時間でもあれば秘境に顔を出す。それがジークベルトにとって、どれだけ嬉しいことか。わたしが来るだけでも夜眠れない程に心を躍らせるようだけれど、更に来る頻度の少ないマークス様が会いに来ると言えば、落ち着かない様子だ。ここのところ公務の忙しいマークス様はジークベルトに会いに来るのはもちろんのこと、わたしと過ごす夫婦の時間さえ削られている。子どものように駄々をこねるわけにもいかないが、わたしだって夫の顔を見ない日々が続けば寂しさに襲われるわけで。こっそりと部屋まで覗きに行ったことがある。ペンを走らせるマークス様の顔は疲弊を隠そうと必死な様子が見て取れた。ここでわたしが会いに行ってしまうと、マークス様は一層疲れを見せまいと振る舞うだろう。そういう人だと分かっているわたしは静かに部屋に戻るのだった。だからこそ、ジークベルトに負けないくらい、わたしも楽しみにしている。



「名前、ジークベルト」
「ちちうえ!」
「マークス様」



扉が開いたと同時に心待ちにしていた声が聞こえてくる。振り向けば、数日前に言葉を交わしたきりのマークス様が微笑んでいた。国の長としての顔ではなく、わたしの夫でありジークベルトの父の顔。駆け寄ったジークベルトは両手をめいいっぱい伸ばし、まだまだ届かない父へ懸命に近づこうとする。ふっと笑ったマークス様はジークベルトを易々と抱き上げた。目線が一気に高くなり、父との距離がぐっと近づいたジークベルトは満面の笑みを浮かべる。この時を心待ちにしていましたとばかりに。わたしはティーカップをもう一つ運んで、テーブルの上に置く。傾けたポットから注がれる液体は綺麗に弧を描いて、カップへと移っていった。ジークベルトのコップにはまだミルクが残っている。



「ははうえ、ぼく、いえ…わたしは」
「どうかしましたか?」
「わたしは、ははうえともぎゅっとしたいです」



ジークベルトが座るであろう場所の前にコップをそっと置くと、スカートの裾を引っ張りながら可愛らしいことを口にする息子がわたしを見上げていた。先程からずっと一緒にいるのに子どもながらに我慢をしていたのだろうか。マークス様が来てから随分と甘えたになってしまったようだ。家族に遠慮なんていらないのに。
ジークベルトの背中をゆっくりと撫でているともう片方の腕を掴まれる。息子の手にしては大きすぎるため、犯人はあの人しかいない。マークス様の方を見れば、なんだか子どもっぽい顔をしていて、今度はマークス様がジークベルトに似ていると思った。息子ばかりに構わずに夫にも構って欲しい、なんて思っていたら可愛いけれどマークス様は大人なのだから、わたしの考えすぎに違いない。



「名前、私にはないのか」
「マークス様?」
「抱擁をしたいと思うのは息子だけではないということだ」
「…相手は息子ですよ。そんなに焦ったような顔をしないでください」
「ちちうえ?」
「ジークベルト、私の言葉をよく覚えておくのだ」
「はい、ちちうえ!」
「名前は確かにお前の母だ。しかし、それ以前に私の妻」
「しっています。ちちうえ、なんだかへんです」
「私の妻であるということは、私の女ということだ」
「ははうえ、ちちうえのいっているいみがよくわかりません」
「…そ、そう、」
「ははうえ?そんなにかおをあかくして、どうしたのですか?」



ジークベルトを撫でていたはずの手はいつの間にか小さな両手に包まれるように捕らえられていた。同時に反対の腕を掴んだマークス様は息子を威嚇するかのように、言葉を発する。もちろん、マークス様の言いたいこと全てがジークベルトに今は伝わるはずもない。言葉の真意を尋ねられ、息子に答えを用意することが出来ずにいたわたしは思わず視線を逸らす。紅茶の入った大きなカップとミルクの入った小さなコップが並んでいて、カップからはゆらりと湯気が立ち上っていた。



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