「カムイ様!聞いてください!」 「またレオンのことか?」 「そうなんです!レオン様あんなにデレデレしちゃって」 わたしは暗夜王国に仕えていて、今現在は目の前で呑気に戦略図を眺めているカムイ様の臣下として日々働いている。冷静でいられないわたしが扉を大きな音を立てて開けたものだから、カムイ様のお部屋の角に置いてある鳥籠の小鳥が驚愕して、忙しなく羽をはためかせ、狭い空間の中を暴れまわっていた。ところがその主人は見事に取り乱すことなく、わたしの姿を見るなり少し溜め息をつくと、話題にしようとしていた人物の名前をさらりと口に出す。レオン様はカムイ様の弟だけれど、こんなにも違う。一緒に過ごしてきた時間が長いと段々似てくる点もあるはずなのに、レオン様とはちっとも似ていない。 「だから俺は前から名前に言っているだろう。レオンに直接言うべきだと」 「で、でも、レオン様に言ったからといって周りの女の子が減るわけじゃないんですよ!?」 「名前、毎回同じようなアドバイスを俺はしてきたつもりだったが、本人が肝心なことに気づいていないことが分かった」 「そうですよね!」 「いやレオンじゃない。名前のことだ」 「わ、わたし?」 カムイ様は自分の隣にあった椅子をわたしに座るように向けると、手招きをする。大人しくそれに従うように動き、椅子に腰掛けた。今まで気づかなかったけれど、靴の中のつま先がキンキンに冷えていたことが分かる。ようやく、心を落ち着けることが出来るようになってきたというところだろうか。わたしが言うのもなんだけれど、カムイ様は本当に扱いが上手だ。どんな話題を抱えてこのカムイ様の部屋へやって来たとしても、カムイ様のペースに乗せられたようになってしまう。手のひらで転がされているとはまさにこのことだと思う。わたしが椅子に座ったと同時くらいにバサバサとうるさかった羽音もやっと静まった。カムイ様の愛鳥はわたしの心の中を実体化したような存在かもしれない。 「名前はレオンの周りに女性がたくさんいるのが嫌なんだろう?」 「もちろん!」 「それはなぜか、考えたことがあるか?」 「う、うーん…」 「名前はレオンのことが好きなんだと思うが」 カムイ様の言葉を聞いた瞬間にはわたしは立ち上がって、カーペットに足を取られながらも一目散にお部屋を飛び出した。行儀悪くも言葉にならない叫びをあげながら、城の廊下を走り抜ける。途中でカミラ様やエリーゼ様に何か声をかけられたけれど、それどころではなく、とにかく思いつくままに駆け回った。でも、一ヵ所だけは故意的に避けて走る。レオン様の私室だけには近づけなかった。廊下を満足いくまで走った後はそのまま庭へと飛び出し、そこでやっと足を止めて一度空を見上げる。 レオン様の取り巻きがずっと心に引っ掛かっていたわけではなくて、その取り巻きに笑顔で対応しているレオン様がわたしの心を揺さぶっていた。これが真実。普段、カムイ様の臣下として応対するわけだけれど、あんなに優しく微笑みかけてもらったことなんて一度もない。あったとしてもそれはカムイ様に向けられたものであり、決してわたしではなかった。走り回って体力を使ったことで息が切れて苦しいのもあったけれど、本心に気づいてしまったわたしはその場でくちびるを固く結ぶ。 「名前?」 嫌だった。今の顔なんてとても見せることが出来ない。嫉妬という黒い感情に囚われたわたしの表情は真っ暗で、闇を孕んでいるに違いなかった。黒魔術でも放ってしまえそうなくらい。恋をしているから綺麗という言葉とはかけ離れたそのドロドロで汚い感情を吐き出してしまいたいけれど、恋心を自覚したわたしの前には大きな壁が立ちはだかっている。身分を弁えよ、意地の悪いニヤついた表情をしたような壁が迫ってくるようだった。 「…僕から逃げる気?」 冷え切っていたつま先はいつの間にか熱を帯びていて、今では必死に熱を逃がそうとしているようだった。先程通り過ぎて来た道を引き返そうと身体を翻して、その足を動かしたつもりだったけれど地面から急に現れた絡み付く植物によってそれは阻止される。その場で植物から逃げるために手足を動かして暴れても、絡み付いた植物はまるで深い森に迷い込んだ悪い子どもを逃がすまいとする森の主のようだった。ズルズルと引き摺って連れて行かれた先は庭近くの城壁で、金糸雀のように美しい色をした髪の毛が目の前でさらりと揺れる。植物はわたしを壁に固定したことを確認するとそのまま動かなくなってしまった。まるで自分が植物の一部となったかのように錯覚する。 「ねえ、僕から逃げられると思ったの?」 わたしより幾分背の高いレオン様の手が伸びてくるのが見えて思わず目を瞑ったけれど、鼻に優しく棘が刺さったような感覚に目を開けざるを得なかった。繊細な指先の整えられた爪がわたしを突いたらしく、その手は顔の横に最終的に壁をつく形で収まる。輪郭の線が滑らかな、まるで女性を思わせる美しい少年の顔がすぐ傍にあった。その少年のくちびるが弧を描く。身体を動かすことの出来ないわたしに残されたのは瞳を動かすこと、くちびるを動かすこと、この静けさに包まれた空間で息をすることだけだった。端正でいて、どこか獲物を狩るような猛々しい姿にすっかり魅せられたわたしは唯一の息をすることでさえ忘れてしまいそう。 壁についた方ではない手の指がわたしの髪の毛をなぞっては、ゆっくりと肩に落ちていく。レオン様はふふっ、と上機嫌に笑うと艶やかなくちびるで言葉を綴った。 「逃げようなんて悪い子だよね。せっかく僕が気を引こうとしているのに。ちょっと裏目に出てしまったかな…あと、カムイ兄さんに何か吹き込まれたでしょ?」 「か、カムイ様は…!」 「まあいいや…それよりも、ここで君は他の男の名前は出さないで。例え兄さんであったとしても、ね」 「レオン様が出したくせに!女の子に囲まれて鼻の下を伸ばしてるあなたにそんなこと注意されたくありません!」 「…名前、静かにしなよ」 鋭い眼光に射抜かれたわたしはたまらず目線を落とす。足元の植物はいつの間にやら多くの花をその場で咲かせていた。それには棘もあったけれど、不思議なことに痛みはない。どうやら、わたしの身体には一切触れていないようだった。一つの花からトロリと甘そうな蜜が零れ落ちる瞬間を目撃したわたしは、なんとなく瞼を下ろす。 「君が嫌と言っても僕は逃がすつもりなんてさらさらないし、それに君も逃げられなくなっているんだろう?認めてしまえばこんなにも楽になれる。ねえ、名前」 もう、わたしたちの間に言葉なんてなかった。 |