大きなガラス一枚張られた窓はわたしの指先を拒む。透明で向こう側が見えることが意地の悪いこと。いっそ、窓の向こう側なんて何も見えなければいいと思うのだけれど、お屋敷の窓を塞いでしまえば太陽も月も、空も海も何も見えなくなってしまう。閉じ込められたような生活の中で唯一の救い、楽しみであるというのにそれすら奪われてしまってはわたしがこの鳥籠に閉じ込められた小鳥のような生活にすら絶望するに違いなかった。
二階のテラスに出てみれば、わたしの夢のような時間が始まる。植木鉢を隅に避けて、一番眺めの良い位置に立った裸足のわたしはキョロキョロと見渡す。噴水のある広場ではこの時間になると、毎日のように子どもたちに紛れて大人の男の人が現れるのである。用事もない時にお屋敷から出ることを禁じられているわたしは遠目でしか見たことはないのだけれど、子どもたちと楽しそうに遊んだり、鍛錬を積んでいるのだ。決められたことを淡々とこなすわたしの日常に型破りな時間が飛び込んできたようで、胸が踊る。町娘たちのように自由に町をヒールとワンピースで歩けたのなら、真っ先にあの広場へと走っていくのに。テラスにとまっていた小鳥が広場に向かって飛んでいく様子を見ながら、絶対に起こりえないことを考えた。
空に舞う小鳥の羽根がわたしの手元に舞い降りてきたので、両手で受け皿を作るとゆっくりと降下してきた羽根を包み込むように捕まえる。直線距離は少しわたしが足を伸ばすことができれば、苦労もなく届くはずなのに足枷は外せない。足首には見えない枷が嵌められていて、鍵を持っていないわたしは自分から自由の身になることを許されない。お父様に懇願したところで許可が下りるはずもない。自分でお屋敷から抜け出す計画を立てたとしても、鋭い目を持った使用人たちに見つかって連れ戻されてしまう。これほど、家柄が憎いと思ったことはなかった。いわゆるお金持ちの家に生まれたわたしは小さい頃から英才教育を受けさせられ、現に婚約者まで決められている。両親の考えた道を歩かせられているのだ。一歩外れようものなら、厳しい躾と洗脳が待っている。外界との接触は断ち切られ、この狭い空間で今までも、これからも過ごすのだと思うと吐き気がしてしょうがないので、なるべく考えないようにしていた。







「お父様、お呼びでしょうか」
「おお、名前。最近この町は物騒でな。傭兵を雇ったのだ」



両親の前でも素の自分を出すことは許されない。誰と接するときも仮面を被ったように別人になってしまっていたわたしは、お父様に突然呼び出された。お父様のおっしゃる通り、この町では強盗事件や殺人事件が非常に多くなってきており、治安が悪くなってきていることは確かである。両親の会話に聞き耳を立てていた時に、この町を去ろうかという提案が出ていることも知っている。けれども、この町を去ってしまっては最後の希望であるわたしの楽しみもついに奪われてしまうことになる。その事態はなんとしても避けたいのであるが、わたしの力ひとつではどうすることもできない。傭兵とやらに頑張っていただきたいところだ。



「ここのお嬢さんか?俺はスノウ」



お父様の正面に座っていた傭兵の姿を目に入れたわたしは声を失ったように一言も発することができなかった。傭兵の目を盗むようにお父様はわたしを小突いたので、慌ててお辞儀をすると礼儀作法を身につけているにしては行儀の悪い振る舞いで椅子につく羽目になる。お父様がスノウさんにお屋敷のことを説明しているものの、わたしの頭には何も残らない。言葉が右耳から左耳へと流れていく感覚だけはあった。
わたしの足に巻きついている枷は一向に外れる様子を見せないけれど、その重さをあまり感じなくなったのはスノウさんがお屋敷で傭兵として雇われるようになったからかもしれない。次々とお屋敷に厄介事を持ち込んでくる両親を初めて恨むことなく、むしろ感謝をしたような気がする。外部から持ち込んでくる話で良かったことなんて、今までに記憶がない。



「名前、スノウさんと少しお話を。父さんは席を一旦外す」
「えっ、お父様?」
「契約の手続きがあるからな。くれぐれも粗相のないように」



大きな扉を閉めて出て行くお父様の背中を見つめたのは何年ぶりだろうか。スノウさんに視線を戻すと、彼は何か言いたげにわたしの顔をじっと見つめたまま、小さく唸っていた。一方的にわたしが見ていたけれど、初対面には間違いない。外の人間とこんな間近で関わることすら久しぶりのわたしはドレスの裾をぎゅっと掴んで、くちびるも噛むしかできなかった。



「お嬢さん、くちびるを噛むと跡になるぜ。それに俺はお嬢さんのこと、知らないわけじゃねえ。名前お嬢様?」
「…な、名前!」
「子どもたちから女の子がよく大きい屋敷から見てるって聞いてたからな、俺も確認してたわけ」



わたしが見ていることは広場の人々にとっては周知の事実だったらしく、それを聞かされたわたしはスノウさんの方を見ていられずに視線を落とす。指輪や腕輪が付けられた指や腕に汗が滲んでいるのが分かる。憧れだった人に近づくことができて、緊張しているのだろう。それに、顔も熱い。暖房が効きすぎているわけでもなく、身体の底から熱が上がってきているのだ。冷ます方法を今すぐ教えて欲しいのだけれど、こんな経験も今まで一度もしたことがないので対処法を知らない。お父様、早急にこの空間へ戻ってきて。





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