静寂に包まれた闇の中、孤独を象徴するように煌く月。水音だけが木霊している中を一人の男が黙々と歩いていた。月光は雲に遮られない限り、光を失うことはない。それに照らされた男の上品な金の髪が光によって、高貴な雰囲気を一層強める。金髪の男がレストランの前に目を向けると、入り口の壁に眼鏡をかけた長髪の男が寄りかかっているのが見えた。暗闇の中ながらもお互いに気づいたようで、片手をゆっくり上げる一方の男は弧を描くように唇を歪めた。 「すみませんねー、夜分遅くに呼び出してしまって」 「気にしていないさ。ところでなんだい、話したいことって。ジェイドの旦那」 ジェイドはガイを先導するようにレストランの前の段差を一段、二段と上り、仕事を終えた大人たちの笑い声が漏れ出るレストランの扉を開ける。ガイに話を通す場所としてここを選択し、あらかじめ予約していたようだ。扉が開いて、客の顔が見えたところで一礼し、出迎えたウエイターにジェイドは声を掛ける。予約の確認を彼が取っている間に、ガイは入り口近くで緊張した面持ちのウエイトレスに微笑むとジェイドの後を追った。 「全く…そういうところは欠かさないですね。尊敬に値するかもしれません」 「はは、なんていったって女性は大好きだからな」 大きく溜め息をついたジェイドは案内された席に座る。それとは相対して、胸を張って言い放つガイも向き合うように座った。 グランコクマの民からすれば、知らぬ人はいないというこのレストランは今日も賑わっていた。酒を交わす兵に、書類を集めて話し合いを行う研究者たち。テーブルに置かれたものを見れば、各々の目的の目処が大体つくといったところである。勿論、ガイとジェイドもまた、その中の一組に過ぎなかった。 「実はですね、魔物の実験で禁忌に触れた輩がいるようでして、ルークとガイに後始末の要請をと、ピオニー陛下が直々に」 「最近は雑用ばっかだな」 「平和、ってことですよ」 「こら名前!お客様へお出しするときの作法をあれだけ教えましたのに!」 「す、すみませ、」 「新人だからって甘やかすつもりはありませんからね」 詳細を話しますと言ったジェイドが口早に説明する中にはピオニーへのちょっとした愚痴も交じっており、ガイは彼の話になると半分聞き流していた。ジェイドも気苦労が絶えないのだなと思いながら、ふと視線をカウンターの方へ逸らすと彼の視野内に見知らぬ顔が飛び込んできた。何度かレストランを利用したことのあるガイは見たことのないウエイトレスに首を傾げる。 このレストランの新人教育者として名高く、一種の名物にもなりそうなチーフがその新人を叱っていた。新人のウエイトレスは何度も頭を下げながら、謝っている様子が見てとれる。 「新しい季節になるな…」 コーヒーをゆっくりと口に運びながら、ガイはくすりと笑った。自分も使用人として駆け出しの頃はよく怒鳴られたものだからである。また剣術を師から習う際も同じく、だ。彼が昔を振り返っていると、ピオニーの愚痴を全く聞いていないことを悟って途中から喋ることを止めていたジェイドが口を開いた。 「新人を教育するのはいいですが、客に見えない配慮が欲しいですね」 「ははは…まあ確かに」 ジェイドの指摘は的確だった。二人の周りのテーブルについている客も、カウンター辺りが気になるようでそちらに気を取られているようである。しかし幸いなことに、この中にはクレームを出すような人はいなかった。大騒ぎになることはない。 一方、ガイは新人ウエイトレスの名前が名前であることを知ってラッキーだったかもなと、プラスに捉えていた。先程チーフからの注意の中に彼女の名前が出ていたのである。レストランをかなりの頻度で利用するならば、名前くらい知っておくのが紳士の嗜みだと勝手に思っていた。 「ガイは嬉しそうに見えますがね」 ジェイドが面白そうな物でも見つけた悪戯っ子のように笑ったので、これは暫くネタにされるかもしれないとガイは身が縮む思いだった。旅の途中でも、他人の弱みを握った彼は本人さえそのことを忘れてしまっているのではないかという時に突然掘り返すように攻撃するのである。自分のことは棚に上げておき、他人を笑うことを楽しみにしていた。ガイも女性恐怖症のことを何度も指摘されては、彼に笑われている。もちろん、ジェイドも分を弁えているため、それ以上は踏み込んではならないという線引きはきちんとしていた。だが、今回のは彼にとっては美味しい収穫に違いない、ガイはそう思いながらジェイドに苦笑いを返す。 「次はあのお客様ですよ、名前」 「は、はいっ」 名前と呼ばれたウエイトレスは制服に着られているようで、経験の浅さを物語っていた。足取りもどこか覚束なく、表情も硬い。あれは本当に最近入ったばかりの子ですねえ、とジェイドが零した。 「お、お客様お待たせ、いたしました。こちらが、天使のふわとろ、オムライスになります」 「俺だな、お嬢さん」 「あっ、はい」 慎重にテーブルの上に皿を乗せるウエイトレスの震える手は、まるで自分を鏡に映したようだとガイは思った。震える理由は違うにしろ。他人からこういう風に見えるのだなと。カタン、と小さな音を立てて彼女の手はテーブルから遠ざかっていく。手から皿が離れても小刻みな震えは止まらない。ウエイトレスに目を移すと、彼女は失礼しますと早口で言う。揺れる瞳がジェイドやガイの姿を捉えることはなかった。そして、すぐさま背を向けてカウンターの奥へ消えていく。 「あなたが何か彼女に言うかとヒヤヒヤしましたよ」 「どういう意味だ」 「女性恐怖症のくせして、女性を落とすのは上手いですからね。ましてや、今の彼女にそれをされては私の料理が運ばれて来ないかもしれませんし」 「…言い方が嫌味だな」 「私はガイを褒めたんですよ」 意地の悪いネクロマンサーは芝居に出てくる悪役のように笑うと、眼鏡をくいっと持ち上げてはゆっくりと下ろす。ガイはウエイトレスに少し同情を覚えるのだった。 磨かれた銀色のフォークとナイフとスプーンがナプキンの上に並べられ、ガイの食事はほとんど用意ができていたが、ジェイドの注文した料理はまだ運ばれてこない。目の前のオムライスは今すぐにでも食べてしまいたいくらい、ガイを誘うような香りを漂わせており、彼はゴクリと唾を飲み込んだ。そわそわするガイを見たジェイドは先程のウエイトレスの話を続ける。 「しかし、あの女性。からかい甲斐は大いにありそうですね」 ジェイドの重要な話は食事を済ませ、内容を深く話そうとしているようで食事までに任務要請の話はこれっきり出てこなかった。ガイをからかう方法がひとつ増えたことに喜んだジェイドの料理も、彼女の手によって約三分後に運ばれることになる。 |