「ガイー!」
「お、ルークか。お前が朝早いなんて珍しいな。何かあるのか…?」
「なっ!」
「ははは、冗談だよ」



昨晩はウエイトレスの話で散々弄ばれたものの、ジェイドはガイに任務の内容を事細かに伝えていた。書類の中から引っ張り出された地図で見当のついている範囲を指定され、この場所を見回って欲しいと彼は言う。緊急の任務ではあるが、そこまで早急に取り組む必要はないらしい。しかし、早めに解決したいという表情のジェイドに、ガイはすぐにやる意思を伝える。帰り際にあの新人さんにちょっかいを出さなくてもいいのですか、と面白い物を見つけた大人の悪い顔を見せるジェイドだったが、ガイは彼の背中を急かすようにレストランから押し出したのだった。
ガイが簡潔に用件をルークに伝えると、彼は遠くからでも目立つ焔の色の髪を揺らしながら、静かに相槌を打つ。話の区切りがついた後、ルークは早めに終わらせちまおうぜと最初の返答をガイに送った。ガイは意外な答えが返ってきたものだったから呆然とする。面倒だから後回しにしようとする昔の彼はいない。物事に真剣に向き合っていく姿は本物で凛々しかった。眩しいくらいに。
今日は天気が良いな、とガイが青空を見上げて背伸びをすると、この場にいる人間ではない声がした。動物か魔物の鳴き声だとガイはルークを見やる。



「きゅう…」
「あっ、そうだった!ガイ、こんな奴拾ったんだよ」



ガイが辺りを少し警戒する素振りを見せた。グランコクマ内とはいえ、魔物が入り込んでくることも決して珍しいことではない。彼は普段の警護の役目も引き受けているため、剣の鞘に慎重に指を触れさせる。突然飛び出してくる魔物に対しても遅れを取ることのないように。
先程の鳴き声の原因を既に知っているルークは、慌てながらもガイの前に一匹の生き物を差し出した。彼の頭上からひょっこり顔を出したミュウが続ける。



「ご主人様が歩いてここに来る途中に居たですの〜」
「きゅ、きゅうう…」



ほら、とルークが抱いている生き物を見るように促してきたので、ガイはじっくりと観察に徹する。身体を丸め込んで小さく震えており、敵意もないように彼の目には映った。さらにルークの腕の中で大人しく抱かれているために大丈夫だと判断したガイは、そっと手を伸ばす。整えられた指先がゆっくりと向かう先にいる毛皮に覆われた生き物は、あと一秒程で彼の手が触れるといったところで途端に様子を一変させた。全身の毛を逆立てて、拒絶の意を示す。油断していたガイが手を引っ込めるのも一歩遅く、容赦なく牙が食い込む。小さく悲鳴をあげたガイの姿は間抜けなものだったが、ルークは噛み付いた生き物を見て顔を青くしたのだった。







「まさかいきなり噛みつかれるとはな」
「おっかしーな。俺のときは別に噛んだりしなかったから大丈夫だと思ってたのに」



くっきりと残る歯型に俺は苦笑しながら、用心のためにと購入しておいたパッケージに手を伸ばした。まさかこんな形で包帯を使うだなんて夢にも思っていなかったのである。以前纏めて買った傷薬が沁みて表情に出そうだったが、若干歯を食いしばることで我慢して薬を塗り込み、包帯をぐるぐると巻いた。引き攣るルークの顔を見ていたお蔭で、少し痛みが和らいだ気もしないこともない。



「お前、噛んじゃだめだぞ」
「ガイさん痛そうですの〜」
「そうだぞ!噛むならこっちにしとけよ」
「ご、ご主人様酷いですの!」
「ははっ、冗談だっての」



じゃれあうようにミュウの耳を軽く引っ張るルークを見ていた生き物は、まるで自分は悪いことなんてしていませんとばかりに目をきょろきょろとさせるものの、俺の方は一度も見ようとしなかった。拾ってきた初対面のルークは噛み付かれなかったが、同じく初対面である俺は容赦なく思いっきり噛み付かれた。手に大きく歯型を残しているのは俺だけという事実もあるし、嫌われているという可能性が否めない。理由は分からないけれど。
厄介事に巻き込まれるのは運命なのだろうかと溜め息をついた。包帯の部分を押さえながら、痛みの状況を確認する。もし、この生き物がなんらかの病原菌を持っていれば影響が出てきてもおかしくない。



「ガイ、こいつ、」
「ルーク。こいつは野生か?」
「いや、たぶん、違う!と思う」
「証拠は?」
「…これ。こいつに付いてたプレートなんだ」



差し出された少し古びたプレート。擦れているが何か文字が書いている所を見ると、どうやら飼い主が居るようである。俺には見当も付かないが、きっと意味を持つであろう数字も同じく擦れてはいたが見つけることができた。しかし、全ての数字は読み取れない。一部の数字の跡だけがほんの少し残っているだけだった。飼い主捜索のための手掛かりが見つかって、ほっとした俺は再度、蠢く生き物の様子を伺う。
飼い主がルークに似ていて、嫌いな奴に俺が酷似しているから、態度があんなにも違う可能性も生まれた。目が合ったかと思えば、ふいっと逸らされる。全くもって可愛くない態度だ。



「『エリカ』って書いてあるな…」
「そうなんだよ。だから、俺はこいつを『エリ』って名づけたんだ。こっちの方が呼びやすいし」
「きゅう!」



エリはルークの言葉に反応して嬉しそうに跳ね上がった。飼い主が見つかるまでは彼の自由にさせてやろう、そう思った。不安で押しつぶされそうになって彷徨っているところに、ルークが救いの手を伸ばしてくれたことをエリは感謝していることだろう。動物と言葉を交わすことのできない人間だが、彼らのふれあいが短い時間の中で築いた関係を物語っているように見える。ルークもエリも喜んでいるのだから。



「ご主人様はエリをガイさんに預けに来たですの〜」
「そうなんだ。ガイ。俺の所では世話出来ねえと思うから」



微笑ましく見守っていた俺は突然暖かな場所から極寒の地へ放り投げられたような気分になった。背筋が凍ったように冷たい。忘れていたはずの傷口がじんじんと痛み出す。今の話を聞く限り、ルークが世話をする流れではなかったのか。どう考えても、俺が世話をするのは得策ではない。



「ネコっぽいし、メスだし、ほら、可愛いしさ!頼む!」
「おいおい、ちょっと待ってくれ、理由になってないぞ…!」
「ガイさん、ボクからもお願いするですの!」
「きゅ…?」



ルークが仮にあのネコ、エリを俺に預けたとしよう。攻撃を仕掛けて来るのはまず間違いない。つい数分前に先制攻撃を食らったばっかりだ。これで俺とエリだけになったら非常にまずいに決まっている。今はルークがいるからこそ大人しいのだ。裏の顔は恐ろしいというのを純粋なルークはきっと知らない。疑うことすらしようとしないのだから。



「エリと生活を始めたら、屋敷の中が血だらけに…」



小さく呟いた言葉はルークの耳には届かなかったのだろうが、エリに睨まれた気がしてならない。動物相手だというのに、まるで女性が近づいてくるような錯覚さえ起こしそうだった。考えただけでも悍ましい。



「じゃー、よろしくな!ガイ!」
「よろしくですの〜」



ルークの勢いに引っ張られて連れて来られた我が屋敷の前で、俺はただ呆然と立つことしかできない。ご丁寧にも彼は扉を開きっぱなしにして、まるでお入りくださいと導くようだ。エリは身震いをすると、俺から距離を取っている。エリ、と呼ぶのも躊躇ってしまった俺は取り敢えずコーヒーでも淹れようとキッチンに向かうのだった。生きていられるのか、そう零して。我が屋敷も拒否されるのではないかと心底不安だったが、その心配は不要だったようでエリは俺との距離を大きく空けて、屋敷へそろりそろりと足を踏み入れている。思春期の少女のようなネコと暮らすという事実を未だに受け入れられないでいるが、もうどうしようもない。
ジェイドからの重要な任務の件も今日はすっかりお流れになってしまったため、彼からも攻撃を食らうに違いない。身も心もボロボロになる日は近そうだ。


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