「重要任務だと言ったのですがね…」



真っ昼間、自分の執務室から出たジェイドはため息交じりに小さく呟いた。先日、ガイとルークに任務遂行を頼んだものの連絡が一つも無いのだ。陛下からの勅命であるというのに、あの二人は一体全体何をやっているのだろうか。確かに急ぐ必要はないとは言ったものの、こうも連絡がないとは思わなかったとばかりに頭を抱えたジェイドは、自分の足でガイの屋敷に向かうことにしたのである。信頼を置いている者に頼んだつもりだったのだが、とんだ期待外れであった。



「私も暇じゃないんです。この忙しい中で時間を割いているのですから、二人にはキツイお仕置きをして差し上げなければね」



口元を綻ばせながら、足を進めていくと前方にガイの屋敷が目に入った。ここで何時もジェイドが思うことが一つある。これ程大きな屋敷に一人で住むというのは聊か勿体ない、ということだ。早く妻を娶って、独り身を解消すれば良いのではないだろうか。只、彼には女性恐怖症という厄介なものがあるため、前途多難ではあるが。
門を開き、庭を見渡しながら、玄関の扉を見据えて仕置きの内容を考えていると、今までとは踏みしめる感触が違ったため、ジェイドは首を傾げる。しかし声色はどこか楽しんでいるようにさえ思えた。



「…おかしいですねー?こんなところに何かありましたっけ」
「…う、ジェイドか」
「足の下から声がしますねー。頭でも打ったのでしょうか」
「どこまでも冷酷な奴だな…」
「ところで、ガイ。あなたは何をしているのですか。女性にでも引っ掻かれたんですか、その爪痕」



ガイの顔をちらりと見ると、彼の頬には痛々しい程の切り傷ができている。痛そうですねー、と言葉が喉まで出てきたその瞬間、殺気を感じたジェイドはその場を飛び退いて臨戦態勢に入った。背筋が凍るような感触が息を呑むくらいのほんの一時したのである。譜術を唱えることの出来る構えで、その元凶と思われる殺気を纏う生き物の方を見た。



「…魔物、ですか。なるほど、ガイはあれに」
「違うんだ、大佐。あれはうちのネコだ」
「きゅるっ…」
「飼いネコを飼い慣らせていないのですか」



飼いネコと判明したため、臨戦態勢を解除したジェイドは深くひとつ息を吐く。彼が眼鏡越しに鋭い目線をネコに送ると、エリは驚愕したように踵を返して屋敷の方へと走って行ったのであった。動物の本能的にジェイドは危ない存在であるとでも察知したのだろう。そんなエリの後ろ姿を見ながら、ガイは倒れた身体を起こそうと腕を動かし始めた。



「エリ、なかなか手強いんだ」



ボロボロの体で立ち上がったガイが疲れきった顔でジェイドに言った。妻を娶れば、と考えていたジェイドはガイの現状を見て、これでは到底無理だと小さく笑う。飼いネコでさえ、一緒に住むことがままならないこの男に妻となる女性と住め、なんて無謀にも等しい。随分先のことになりそうだと思うと、ジェイドの笑いは止まらない。もしかしたら、このまま独り身である可能性も否めない。



「何を笑ってるんだ?」
「いえ、こちらの話です。ところで、ガイ。私が頼んだ件についてなのですが」
「…悪い、すっかり忘れちまってた」



暗雲など空に立ち込めてはいない筈だが、閑静な場に轟く稲妻が走る。大きな金棒を担いだ鬼神が召喚されたのか、古龍が大口で目の前の人間を喰らうのか。そんな比喩が似合う程に眼鏡の男は殺気を滲ませていた。エリとは天秤にかけても比べることができないくらいに。ジェイドは笑っているようで、目は笑っていなかった。ガイの全身から冷や汗が噴き出る。



「ガーイ、なんと」
「まままま待て!悪かった!!奢るから許してくれ!」
「…全く、しょうがないですね。女性だらけの場に放り込んでやろうと思っていたのですがね」
「…恐ろしいな」
「甘いかもしれません、私も」
「やめてくれ」







「おや、この前のウエイトレスがいますよ、ガイ」
「なぜ俺に振るんだ」
「気になっていると思いまして」



夕日が顔を隠す時間、先日訪れたレストランに二人は再度来ていた。なんとかジェイドの怒りを沈めたガイの顔色には少し疲れが見えるが、自業自得である。二人が初めて一緒に訪れた時よりも客はまだ少なく、ピークを迎えてはいないようだった。それでも客足が途絶えることはなく、店内はオーダーの声が飛び交っている。
ガイはテーブルに置かれたメニュー表に目を通していたが、ジェイドに彼女の話を振られて困ったように彼の目線の先を追う。お冷を持ってくる名前の姿が目に入ったジェイドは楽しそうで仕方ない様子だった。心なしか、彼女の姿が成長しているようだとガイは思う。



「お冷をお持ちしました、お客様」
「ありがとうございます」
「あ…大佐ではありませんか」
「覚えてくださっていたようで光栄です」
「いえ、こちらこそ」



お冷をゆっくりと置いた名前の手からは怒られていたあの日の震えが消えていた。まだどこか緊張した面持ちではあったが、短期間にかなりの成長を遂げたらしい。言葉も途切れ途切れではなく、はっきりとした喋り方になっている。漸くスタート時点に立ったのではないだろうか。
ガイの知らぬ間に二人は仲を深めていたようだ。蚊帳の外に出されたように感じて、ちょっと面白くなかったが、自分は女性恐怖症。彼女と進展を図るのは難儀なことである。近づきすぎてはいけない距離があるのだ。ガイはテーブルの下で拳を握った。



「ガイさん、でしたよね」
「…俺の、名前」
「あっ、えっと、」
「有名人かな、グランコクマでは」
「そ、そうですね!」



適当に助け舟を出したものの、ガイがグランコクマで有名だから知っているとは考えにくかった。ガイの目の前に威厳を持って座っているような、誰もが知るジェイドとは違うのだ。確かに所有している屋敷は大きく、グランコクマでも目立つ建物ではあるかもしれないが、建物だけが独り歩きをして、所有者の名前までは知られない。
その話題を流すように名前が注文を取り始めたので、ガイはそれ以上追及することはしなかった。黒と白のコントラストが映える彼女は先にジェイド、後にガイの注文を聞くとお待ちくださいねと余裕さえ感じさせるような笑みを残していく。



「エリ、どうしてるかな」
「ネコですか?」
「ああ」
「…あんなにも冷たい目をしたネコは初めてでしたね」
「ジェイドに言われたくないと思うけどな」
「何か言いましたー?」
「ははは、別に」


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