エリと暮らすようになってから、屋敷の隅に小さな入り口を設けてみた。ネコは気まぐれとよく言うし、屋敷に閉じ込められてばかりでは退屈するかと思ったからである。俺は嫌われているし、もしかしたら一日で居なくなるかもしれないと思っていたので、ちょっとした賭けでもあったが、エリはちゃんと屋敷に戻ってくる。一応は認められているのかな、なんて自惚れてみたり。
ただ、一つ気になることがある。エリは一日のうち、ある時間に姿を晦ますのである。気にかかることではあったが、ネコという動物の性質上、特に深く悩むことはないのかもしれないと水を喉に流し込んだ。



「ガイ、少し席を外しますよ」
「ああ」



テーブルに一人、ぽつり。
周りの客の賑やかな声を聞きながら、エリについてぼんやり考え続ける。ネコという生き物は実に気まぐれだということを痛感した俺は、本を何冊か読んでみたのだが、人間に友好的なネコもいれば、ひたすらそっとしておいて欲しいネコもいるらしい。まるで人間と同じだと思った。俺たち人間も様々な性格の人がいて、その中で人間関係を作り上げていく。上手くいかないことだって多々ある。エリと俺の関係が未だ上手くいかないのも、しょうがないことなのかもしれない。元々、気の合わない奴だって世界には数知れずと言ったところだ。
カタン、と椅子を引く音がして顔を上げてみれば、ウエイトレスがひとりジェイドの代わりのように立っていた。てっきり、ジェイドが戻ってきたと思っていたものだから、慌てて服装を整え、背筋を伸ばす。自然体で構いませんよ、と名前ちゃんは笑った。テーブルに置かれたままで、ジェイドが手を付けていないコップの水が揺れる。



「ガイさん」
「名前ちゃん…?仕事はどうしたんだい」
「今、休憩もらってきたんです。ガイさんがひとりだったので」
「ははは、優しいんだね、キミは」
「ひとりは寂しいですし!」
「そうだな」
「あと、ガイさんぼーっとしてたので気になって」
「飼いネコのことを考えてたんだよ」



彼女の眉がぴくりと動く。ネコが好きなのだろうか。興味深々の瞳をした彼女は俺の方に乗り出してきそうな程の勢いで、驚いた俺は若干椅子をテーブルから遠ざける。女性恐怖症というのを悟られないくらいに、ほんの少し。俺は作り笑いを浮かべて、話を続ける。



「なかなか懐いてくれなくてね」
「…ガイさん飼いネコのこと、可愛がっているんですね」
「当たり前だよ、だって家族なんだ。気難しい子だけどね、俺にとっては家族の一人さ」
「そのネコちゃん幸せでしょうね、さぞかし」



慈しむ様な笑顔だった。
天から舞い降りた天使が地上に生きる全てのものに向ける慈愛で一杯であるような、そんな気がした。柔らかな雰囲気はその場を和ませるようで、彼女はきっとこのウエイトレスという仕事が似合っている。最初の不慣れな姿を思い出すと、思わず笑いが零れて変な目で見られていたけれど、なんでもないよとばかりに手を振る。



「ネコ好きなんだな、俺の屋敷に来たら紹介するよ」
「ええ、ありがとうございます」



では、と言って席を立つ彼女。チーフが遠くで睨んでいる様子を見つけた彼女は苦笑いだった。どうやら休憩時間の全てを俺のために割いてくれたらしい。申し訳ない気持ちもあったものの、俺の話を喜んで聞いてくれたみたいでなんだかあっという間の夢のような時間だった。



「名前ちゃん」
「はい」
「今日はありがとう」



はにかんだ笑顔の彼女はくるりと俺に背を向けるとカウンターの奥へと戻って行った。初めて会ったときの背中とはまた随分印象が違う。弱々しいものではなく、少し自信を付けた新人という風に目に映った。







「なるほど、まだ確信はありませんが…」
「アニスちゃんの情報は確かですよ〜大佐!」



機密情報を持ってきたというアニスが近くにいると連絡を貰ったジェイドはグランコクマの入り口で彼女と話をしていた。暗闇の中、街灯に照らされた眼鏡が反射してキラリと光る。ツインテールの少女は忙しくなく、ジェイドの周りを跳ねながら一周回ると、彼の前に立って両手を懸命に伸ばし訴え掛ける。



「変な音素反応がこの辺りにあるんですよう」
「音素が集まっているということですね」
「この前の実験が行われていた場所を調査していたときにカルテを見つけちゃったんです!」
「それに記されていたと?」
「はい!」



アニスは鞄から一枚の紙をジェイドに手渡した。一通り目を通したジェイドは眉間に皺を寄せると、小さく唸り声を上げる。アニスの差し出したカルテには簡素な実験の中身や関係のある音素のことがつらつらと並べられている。音素が集まる存在を感知しているため、譜術使いであることが予測される。



「厄介な事件になりそうですね…」
「大佐がいるから大丈夫ですよ〜」



からんからん、と渇いた音が少し離れた場所で響く。静けさに包まれた中のため、ジェイドやアニスの耳にもしっかりと届いた。アニスと話している時間が結構長いものであると判断したジェイドは、この音を立てた者が先程まで自分と会話を交わしていた人物であろうと考え、アニスに釘を刺すように口を開く。



「あっ!ガイだ〜」
「アニス」
「なんですかー?」
「ガイにはまだ何も言わないでくださいね」
「分かってますよう」



金髪が見えたアニスは一目散に目標に向かって全速力で駆けて行くのだった。再度情報の欠片が散らばる紙をじっくり読んだジェイドは苦虫を噛み潰したような顔をする。彼の中でもまだ予測の範囲であって、確実なものではなかったが可能性としては考えられないものでもなかった。過去の自分が関わった複写機音機関に似たような何かを感じており、また世の中に生み出してはいけない物を広げようとする輩がいるのでは、と首を傾げる。それにしては安易な理論立てであり、方法も杜撰なものである。ここでひとつ分かったことは良い方向へと向かう実験では絶対にないということだ。ジェイドは最後の一行を見て、思わず紙に触れている手に力が入った。
この事実を関わっている者全員に告げていいものか。知らないまま、自分が処理してしまうことで公にならずに済むのならそれが最良だ。紙に記されているのは、それは残酷な現実で。思わず目を背けてしまうけれど、自分と同じ人間が犯した罪であるのは間違いないのである。



「私の推測が本当だとすれば、これは…」



手を下してやるのも、また人間なのである。間違った方向へ進む輩を正してやらねばならないのだ。







「ガイ〜」
「アニス…?おおおっと、それ以上は近づかないでくれよ!?」
「も〜、アニスちゃんが会いに来てあげてるのに、またそれ?」
「しょうがないだろ」



久しぶりに会ったお転婆娘は何時もと変わらずだった。ツインテールがふわふわと風に揺れたかと思えば、くるりと一回転する。俺の女性恐怖症を把握している彼女はつまんないの、と愚痴を零すように不機嫌な顔を見せたが、きちんと距離を取っていた。根本的な理解を示してくれることは素直に嬉しい。



「ピオニー陛下に呼ばれて来ちゃった〜」
「そうだったのか」
「暫くグランコクマに居るからよろしくー。奢って〜?」
「…さっきジェイドに奢ったばっかだよ」
「アニスちゃんはー?ねー、アニスちゃんにも!!」



とは言え、有利な状況に持って行くには相手の弱点を上手く扱うのが一番だ。距離を少しずつ縮めてくる彼女は確信犯である。こうすれば、俺が何にも出来ないって知っているからわざとだろう。



「アニスっ!」
「…ちっ」
「そんなことしなくても奢ってやるって」
「わあ〜。ガイってば優しい〜」



表情をコロコロと変えるこの少女には旅の間でも驚かされたもので、相手を探るのが上手く、自分の手の平で転がすところまで持っていくのだ。いつも元気な笑顔でパーティを明るくしてくれたのも事実だが。途中で聞こえた舌打ちについては触れないようにしておこう。
アニスと睨めっこの状態が続いていると、その後ろから背後霊のようにゆらりと現れたジェイドが手を軽く二度叩いた。驚いたアニスは振り返って、自分の後ろにいた人物を確認すると安心したように胸を撫で下ろしていた。



「さあ夜も遅いですし、今日は解散にしましょう」
「ジェイド、あの話は」
「また日を改めて」


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