広い屋敷の中は、いつもはいない者たちの騒ぎ声で溢れていた。キッチンでコーヒーやらジュースやらを用意するガイはちょっぴり口を緩める。生活に不自由しているわけでもないが、やはりどこか寂しいという気持ちがあるのは間違いなかった。エリがやって来たときも嬉しかったものである。屋敷にいても、自分以外の存在が必ずあって関わりを持つことが出来る。この屋敷を貰ってから、初めての事だった。トレイの上には普段よりも多くカップが乗っているし、冷蔵庫にもガイが飲むはずのない飲み物がある。運ばれる最中に揺れてちゃぷちゃぷと立つ音は彼にとって愉快だった。
ひとり、というのはこんなにも淋しく辛いものだったのか、そうガイは自問した。と同時に、名前の言葉を思い出して足を止める。先日、彼女の休憩時間に自分の元へ来てくれた理由は、寂しそうだったからだと言っていた。つまり、彼女もこのひとりという環境を経験しているわけで、痛い程分かっていたから、あの言葉が自然と零れたのだろう。
近くに誰かが居てくれるだけでこんなにも違う、とガイは思った。彼女のことは何も知らないけれど、きっとひとりなのだろう。でなければ、あんな言葉が口から出てくるはずがない。



「エリは俺の生活を明るく変えてくれたんだな…」



最初は正直、面倒だと思っていた。
今になって思い返せば、エリはガイの転機を運んできた存在だったのである。







夢中になってエリと遊ぶティアの姿はキラキラしていた。自分のことを隠さずに曝け出すというのはその人自身の人柄をどんな時よりも正確に映し出す。ガイはそんな彼女の姿を輝いているようだと形容していた。ネコと人の戯れる姿はその場の雰囲気さえも癒しの暖かなオーラで包んでくれる。その近くのソファでくつろぐルークは若干不機嫌ながらもテレビを見ていた。



「ティアを取られて寂しいんだろ?」
「は、はあ!?な、何言ってんだよガイ!」
「お前の顔にそう書いてあるぞ」
「ご主人様、ティアさんのこと…みゅ!?」



ミュウが嬉しそうに話し出したかと思えば、目にも止まらぬ速さでルークが口を押さえにかかっていた。ガイはそれを見て、ティアの方を横目でちらりと見たが彼女は相変わらずエリしか目に入っていないようで、こちらの話などこれっぽっちも聞いていないようである。
ぶつぶつと独り言を零しながら、頬を染めたルークは再びテレビの方へ向く。誰が見ても、ガイやミュウの言わんとしたことを肯定しているようだった。



「今日、夕飯はどうするんだい?」
「ガイが迷惑でなければ、ここで食べていきたい、なんてな」
「別に俺は構わないさ」
「ご飯楽しみですの〜!」
「じゃあまずは買い物だな」



コーヒーを一杯飲みきったガイは椅子から立ち上がると、窓の外をじっと見つめた。ほんのり赤みの差した空が見えていた。楽しい時間というのは本当にあっという間だなと残念に思う。そして、空がこんな風に時刻を告げるということは、と楽しく遊んでいるであろうティアの方を見た。



「あっ、エリ!」



途端にティアのハイトーン。エリは専用出口に一直線に向かっている所だった。定時の散歩だとティアに告げると、彼女はひと安心したように笑う。嫌われたわけじゃないのね、と。そして、ガイは自分が少しずつエリのことを把握しているような気がして、ティアと違う意味で笑い返した。



「さ、俺たちも夕飯の支度しようか」
「ええ。材料は買いに行かなくてはならないのでしょう?」
「さっき買い物に行くって言っただろ?」
「ごめんなさい…!私、何も聞いてなくて、」
「ティアは可愛いもんに弱いもんな」
「そうですの!僕のことも可愛いって言ってくれるですの〜」
「ミュウ…とても、可愛いのですもの」



会話を耳にしながら、ガイは腕を組んで出て行ったエリのことを考えていた。エリは決まった時間に出て行く。そして屋敷に居る時間も全く同じだった。タイムスケジュールはきっちりとしていて、まるで人間のよう。飼い主のガイからすれば、とても有難い事ではあるのだが、それでも気にせずにはいられなかった。例え、彼女のことを把握しているとはいえ、飼い主としては心配な面もあるのである。



「ガイ、貴方は屋敷に居て。迷惑かけている身だし、買い物はルークとわたしだけで行ってくるわ」
「へっ!?」
「僕もついていくですの〜」



ルークが一人慌てているようだったが、このティアの提案はガイにとっても都合良いものだった。思いっきり彼をからかってやりたいところだったが、エリのことも知っておきたいガイは大きく頷く。招いている客人を屋敷で放っておくにはいかなかったが、屋敷を皆が空けるのならば問題はないだろうとガイは屋敷の鍵を探す。ルークたちのように親しい友人が来た際に使える、スペアの鍵も鍵置き場にしている引き出しから一緒に取り出した。



「俺も丁度用事があってな。良かったよ、任せる」
「ええ。行くわよ、ルーク」
「あ、ああ…」
「みゅう?ご主人様、顔があか、」
「っるさい!」







夕暮れは昼間とはまた違った美しさを持つ。儚げな、その色は趣があるものだ。一般的には暖色と言われているが、夕焼けが果たしてあたたかいものかと問われれば、少し躊躇いがある。あたたかいよりは、少し冷たいような気がする。なにしろ、夜を運んでくる準備をしているのだから。
烏がひと鳴きしたその下で、ガイはエリの足跡を見つけていた。今朝少しだけ降った雨のせいでぬかるんだ場所が出来ており、エリの通った小さな小さな痕跡が残されていたのである。これを参考に散歩のコースを予測して辿っていけば、運良くエリに出くわすことが出来るかもしれない、そう思ったガイは顎に手を添えた。



「…ガイさん?」



聞き覚えのある声にガイは見つめていた足跡から顔を上げる。興味深々に足跡と睨めっこしていた自分の姿が不審者のように人々の目に付いたかもしれないと一瞬焦りを感じたが、声の持ち主はガイの知っている人物であったため、ほっとして彼女を見た。予想外なことに、名前はガイの思っていたよりも近い距離にいて、思わず飛び退きそうになったが足の震えだけにとどめようと努める。小刻みに揺れる足を抑えながら、平然を保つガイは苦笑いだった。



「名前ちゃん」
「土なんか見つめていらしたから、びっくりしたわ。何か研究でも?」
「いやいや飼いネコの足跡さ」
「えっ、わたしも見ても良いです?」
「もちろんさ、だけど足跡なんか見て楽しいかい?」
「その言葉、そのままガイさんに返します」



ふふふと笑った名前の方がガイより一歩上手であった。
彼女が見やすいようにと気遣ったガイは自分が座り込んでいた場所を名前に譲る。気遣いというと聞こえがいいが、それは建前であって本音としては自分と彼女との距離を少し空けておきたいというガイの逃げを表してもいた。名前はそんなガイの心の内など知らずに、足跡を覗き込んで可愛らしい小さな足跡に人差し指でちょん、と触れる。



「キミはいつもその格好なのかい?」
「ええ、今からお店に行きますし、家の外に出るときは基本的にこの格好ですよ」
「そうか。普段の格好が見れると思ってたのにな」
「ガイさん口説いてるんですか?」



俺はいつも通りさ、とガイが返せば、名前はまた笑った。ガイさんは罪作りな男の方ですね、と。
罪作りと言われるとなんだか自由に遊び回っては女の人を引っ掛けるようで、イメージ悪いなとガイは少し気持ちが沈んでいた。彼女にはそう思われたくなかったな、そう思った。自分はそのつもりがなくても、周りからそう見えてしまえば、それが先行されるに決まっている。



「あら、もうこんな時間!」



足跡を見て、自分の腕時計を見た名前がはっとして声を上げた。



「ガイさん、またお話してくださいね!あとお店にも来てくださいね、待っています」
「ありがとう、気をつけて」
「ええ、こちらこそありがとうございました」



駆け足でその場を去っていく名前を見送ったガイは足跡に目を戻す。結局エリのことなんかすっかり頭から飛んでしまっていた。別段急ぐことではないし、まあいいか、と足跡に背を向けて、自分の屋敷へと歩みを進める。
彼女と話をしていて、エリのことを忘れてしまっていたのは、それだけ夢中になるような一時だったということである。ルークたちもそろそろ帰ってくる頃合だろう、ガイは腕を空に向けて思いっきり伸ばした。


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