今すぐにでも出かけられますとばかりに上着まで来た日和くんが、鏡に向かう私の周りをうろうろと忙しなく動き回る。
「日和くん、気が散るから……あと準備早すぎ」
「きみが遅いんだよね!ぼくは朝からずっと準備していたからね!」
朝からと言うけれど今はまだ午前中だし、朝だって仕事もないのに日和くんに叩き起されたせいでほぼ出勤時間に起こされている。ふあ、と欠伸をしながらぺたぺたと日焼け止めを塗っていく。今日は特に日差しが強くて暑くなるみたいだから、日傘も必要かもしれない。
日和くんはというとそんな私をまじまじと見つめた後、ドレッサーの向かいにあるソファに腰掛けて足を組んだ。日焼け止めもファンデーションもいらない、色白のきめ細かい肌が恨めしい。
「まあ、今日は仕方ないから待ってあげるけどね。なんてったってなまえちゃんが主役の日だからね!」
どうしてそんなに日和くんが誇らしげなの、という言葉は置いておいて。どうやら気遣いのつもりのようなのでありがたく受け取っておくことにした。学生でもないしこの歳になれば誕生日なんてそこまで浮かれるようなものじゃなくなってしまったけれど、それでもお祝いしてくれるのは素直に嬉しい。しかも当日に、アイドルとして日々多忙を極めている日和くんからデートに誘ってくれたのだから。
「ぼく、ずっと楽しみにしていたんだから。2人で出かけるのは久しぶりだし、最近は特に忙しくて話も碌に出来ていなかったからね」
茨に無理やり休みを作ってもらったね、という言葉で脳裏に茨くんの引き攣った笑顔が浮かんだ。彼は予定を崩されることを嫌うだろうからさぞかし頭に来ただろう。日和くんだからこそ成せる技というか、なんというか。
「ええと、あとこれつけたら行けるから」
「服は?それで行くの?」
「うん、そのつもりだけど」
「きみ、ぼくがあげたワンピースはどうしたの?どうして着ないの」
日和くんが不満気に呟く。そういえば今年のホワイトデーに貰ったワンピースにはまだ袖を通していない。自分で買うにはとても高くて手が出さないお値段のそれを日常で着る気にはなれず、貰ったままクローゼットに仕舞い込んでいたのだった。
組んでいた足に肘をついて、じとりと私を見る。視線だけで分かる、それを着ろと言っている。付き合いが長いものだから言葉にしなくても言いたいこと、言われていることが分かってしまうようになった。果たしてそれが良いのかどうかはさておき。
「うんうん、やっぱりぼくが選んだんだから似合うのは当然だね!」
「私は緊張してご飯食べられそうにないよ。こんな高い洋服着てランチに行くなんて………」
鏡の前に立つ私の背後から日和くんが徐ろに手を伸ばす。ちょいちょいと襟元を整えられて、それから少し屈んで私と目線を合わせてから微笑んだ。
「どんな服を着てもきみの価値は変わらないけれど、どうせならぼくが選んだ服を着て、ぼくの隣に立っていてほしいね」
でも首元が寂しいから、今日はその服に似合うプレゼントも選びに行こうね、と私の首元をなぞる。憎らしいくらいに綺麗な笑顔だ。
とにかく今日の予定は決まった。使い終わった化粧品を片付けていると日和くんはすたすたと玄関に向かっていく。私はソファに引っ掛けた鞄を手にかけて早足で部屋を出る。
「洗い物した、洗濯干した、電気消した、アイロンも切った」
「指差し確認?」
「そうだよ。確認は大事だよ」
靴を履きながらもう一度振り返って確認をした。日和くんは玄関のドアを開けて私が出てくるのを待っている。外の空気が入り込んで、まだ冷たい風と強い日差しが身体を覆った。
「うわ、日傘!日和くん日傘忘れた!」
「そんなに大声で言わなくても分かるね、ぼくが持ってるから」
「え?ほんとだ。なんで?」
「部屋の確認に夢中なきみが絶対に忘れると思ったんだよね」
日和くんの腕には確かに私の日傘が掛けられている。普段後輩に面倒見られまくってる癖してそういうところはよく気づくんだよなあ。
ありがとうと言って傘を受け取ろうと手を出すと、傘ではなく何故か日和くんの手が伸びてそのまま私の手を握る。え?なんで?
「いや日和くん、傘。傘が欲しいのよ」
「傘はぼくが左手で持つから、きみの左手はぼくと手を繋いでね」
「ええ〜〜やばいよ、自分がアイドルって自覚ある?」
「変装もしてるし、平日だから目立たないね」
「ほんとかなあ………」
ぶんぶんと握った手を振りながら歩く日和くんの横顔はなんだか私より嬉しそうで、だけど日傘をちゃんと私に傾ける仕草でこの人がすきだなあ、と思う。心が熱くて焼け焦げそうになる。こんなに近くに太陽があるのだから初夏の太陽はもう少し出番を先にしてもらえないかなと考えながら、エレベーターに乗り込んだ。