メサイアはやってこない
噎せ返るほどのタバコの煙で充満した部屋の中で、私とアキくんは獣以下に成り下がって唇を貪りあっていた。
お互い仕事着のまま、スーツが皺になるのなんてお構い無しで私はベッドに縫い付けられている。組み敷かれた私は、ただただアキくんからの口付けの嵐に無言で応えるだけだ。
アキくんは私の口の中に残ったタバコの味を愛おしそうに咀嚼して、私の吐いた息すらも吸収しようとキスを深めた。時折顔を緩める彼を見て「おいしい?」と聞きたい衝動に駆られるのに、彼のその深くて長いソレが原因で聞けないのがとても残念だといつも思う。
6畳ワンルームの少し狭い私の部屋で、公安の見知った誰かが死ぬとアキくんは必ずこうしてこの行為を行った。
私とキスをして私が毎日吸っているタバコの味を噛み締めて、私の吐いた息を自身の内に取り込んで、そうして私が生きていることを脳に言い聞かせているらしい。それはとても滑稽で、けれどどこか神聖な行為に思えた。
キスの嵐が降り止んで酸素不足で顔を赤くしたアキくんは、何も発することなく静かに布団に沈みこむ。私はベッド脇に置いたタバコに手を伸ばし1本取り出して、カチリとライターを鳴らし火をつけた。すると下から伸びてきた白い手が、俺にもくれとタバコを催促してくる。
「これ、吸ってるのよりキツいよ」
「それでもいい」
姫野さんによって開けられたピアスを耳に携えて、姫野さんによって覚えたタバコの味をその舌に焼き付けて、アキくんは私を「好きだ」なんて言う。姫野さんによって構成されたその身体で、だ。
そりゃあ姫野さんはアキくんのバディだし、私よりも先にアキくんに出会っていて、私よりも先にアキくんの事を好きになっているんだから(ここだけは私の憶測だけど)、仕方ないっちゃ仕方ないかもだけど、でも…………。
と、考え出したらキリがなくて私はぶんぶんと頭を振った。そしてタバコを1本取りだして、アキくんの口に突っ込む。火は自分で付けてと言おうとして、腕が取られた。私のタバコとアキくんが口にくわえたタバコがジジジと触れ合う。
数秒して、アキくんが思いっきり噎せた。その背中を擦りながら、「だからキツいって言った」と不貞腐れたように言えば、またキスをされた。アキくんは眉を顰めまだ長いタバコを手に持ちながら、「俺はこれで充分だ」なんて言って、私の唇をペロリと舐める。
「アホ…」
そう言って、自分の吸っていたタバコを灰皿に押し付け、アキくんの持っていた長いタバコを奪った。灰になった先端を軽くふって落とし、口にくわえる。先程と同じタバコだというのに、アキくんが吸ったからだろうかいつもより酷く甘く思えた。
「ご飯、作ってあげるから先にシャワーでも浴びてこれば?」
部屋を薄暗くさせていた重たい生地のカーテンをシャッと空け、窓に手をかけながらそう言えば、アキくんはそうすると頷いて着ていたスーツを脱ぎ出した。ここで脱ぐわけ?と眉を潜めながら、灰が溜まってきた重い先端を落とさないようにして窓を開けきる。朝方の、爽やかで静かな風が頬に触れてぶるりと身体が寒さで震えた。あまりの寒さにタバコを吸い続ける気にもなれず、半分まで長さの減ったそれを灰皿に押し付けた。
「ん」
「んじゃないでしょ」
しっかりしている癖に、どうしてか私の前では甘えたになるアキくんに溜息を吐きながら、彼が寄越したスーツやカッターシャツにファ〇リーズをかけてハンガーに通し、それを壁のハンガーラックに吊るす。私は君の母親でも嫁でもましてや彼女でもないんだけどなぁと思いながらも、身体が動いてしまうのだからどうしようもない。
「パンとハムエッグでいいよね?」
「あとコーヒー」
「はいはい。風邪ひいちゃうから早く風呂場行きな」
ゲジゲジとアキくんの長い足を蹴って、彼を風呂場へと追いやる。細いくせにちゃんと筋肉がついた身体の所為か、パンツ一丁なのになんだか様になっていて腹立たしかった。イケメンは何しても得ですねぇ〜とムカムカした感情がせり上がってくる。
「バァカ」
憎ったらしい声で、風呂場へと消えたアキくんに向かってそう呟いた。さっきスーツをハンガーにかけた時にちらりと見えた、姫野さんとお揃いのタバコの箱を思い出してガシガシと頭を搔く。アキくんは絶対、私といる時にあのタバコを吸わない。けれどアキくんはタバコの銘柄を変える気なんて無いし、タバコを辞める気もない。
「ああ本当に、ずるいなぁ」
アキくんに好きだと言われても、アキくんに愛していると言われても、アキくんが落ち込んだ時拠り所にしているのが私であっても、姫野さんが彼に与えた事実は変わらないし、彼が姫野さんによって影響づけられた事柄は消せない。どうしても、アキくんの全てを私で埋め尽くすことは叶わない。だから私は、彼の彼女になんて死んでもなってやらないと、数年前からそう心に決めている。
トースターにパンを突っ込んで、ティ〇ァールのケトルでお湯を沸かして、小さなフライパンに厚く切られたハムと卵を落とし込んでじゅうじゅうと焼く。その間も、考えることはアキくんのことばかり。昔はこんなんじゃなかったのに、日に日に私の脳内はアキくんで埋め尽くされていて嫌になる。アキくんが死にでもしたら私どうなっちゃうのかなぁなんて考えて、乾いた笑いがこぼれた。
チンと鳴ったトースターと、ピーーと鳴るケトルの音で思考の海から現実に引き戻され、少し焦げたハムエッグをお皿に乗せた。私の食べる分も同じようにして焼いていれば、私の部屋に我が物顔で置かれている男物のスウェットを着込んだアキくんが、お風呂場から出てきた。
「早かったね」
「風呂場、寒かったから」
「浴室暖房入れればよかのに」
勿体ないだろ なんて言って、アキくんは濡れた髪をそのままに、私の狭い部屋の小さな机の前に腰を下ろす。ベッドを背もたれにして、慣れた手つきでテレビを付けた。私の分とアキくんの分の、焼きあがったパンとハムエッグを机に運ぶ。その後にブラックのコーヒーとガムシロを沢山入れたコーヒーを持って、アキくんの横に腰をおろした。
「あんなタバコ吸ってるくせに、ブラック飲めないのは面白すぎだろ」
「タバコとコーヒーは別物ですぅ」
2度目のバァカを口からこぼして、私はいただきますをしてパンにかじりついた。着ているシャツが密かにタバコ臭い。ご飯食べたら私もシャワーを浴びようと頭の隅で考えながら、朝のニュースを放送するテレビをBGMに朝食を咀嚼する。アキくんも私も一切喋ることなく、机の上にあった食べ物たちをペロリと平らげた。
「ご馳走さま」
「お粗末さまです」
静寂が部屋を包み込んだ。窓から入ってくる陽の光と冷たい風が、薄暗くタバコ臭かった部屋を浄化していく。私はコーヒーの入ったマグカップを両手で包んで、ベッドに背を預けた。横にいるアキくんは真剣にテレビのニュースを見ている。
この緩くて暖かい時間と、ハッキリとした境界のない都合のいい関係がずっと続けばいいと、この時の私はそんなことばかりを考えていた。
・
・
・
―――目を覚ますと、デンジくんとアキくんが戦っていた。アキくんは銃の悪魔に身体を奪われ、既に私の知っているアキくんでは無くなっていた。変わってしまった顔つきと変わってしまった姿を見て、私は胃の中のモノをぶちまける。
デンジくんは此方を気遣いつつ、周りにいる民間の人達に血という名の声援を送られながらアキくんと対峙していた。恐怖の対象であったチェンソーマンが、まるで戦隊もものヒーローのような扱いになっている。
セオリー通りなら、きっとアキくんは正義の味方であるデンジくんに倒される。だってアキくんは力なき人間たちを困らせる悪の化身に成り下がってるから。何で?どうして?アキくんが何したっていうの…と、ギリっと奥歯を噛み締めても目の前の現実は何も変わらない。
ボロボロと制御出来ない涙がどこからか溢れ出して、私は不細工な顔のまま聞こえるはずのない彼に向かって言葉を投げた。
「ねぇ、アキくん。デンジくんが来てから本当に色々あったね。辛いことも、悲しいことも、数え切れないくらい。でもそれと同じくらい楽しいことも沢山あったね。何だ彼んだ言いつつも、デンジくんとパワーちゃんのお兄ちゃんをするアキくんは、とても幸せそうに見えたよ……」
あの日、マキマさんの命令でアキくんの部屋でデンジくんを預かることになってから、アキくんの周りは少しずつ変わっていった。最初は険悪な二人だったけど、パワーちゃんが増えて、手のかかる弟妹(きょうだい)が出来たみたいだと愚痴りながらも面倒をみるアキくんの姿を見て、私は嬉しくて泣いたのを覚えている。彼の境遇を知っているから余計。
姫野さんが亡くなって、新しいバディに天使くんがやってきて、アキくんは未来の悪魔とも契約して、デンジくんが居なくなって、クァンシや色々な刺客がデンジくんの命を狙いに来て、本当に大変だったけど、でも、それでも、かけがえのないものが出来たアキくんは、とても幸せそうだった。
ポソリポソリと、真っ青な空に向かって言葉を紡ぐ。上を向いているのに、涙はいっこうに引っ込んでくれない。
ぎゅうっと拳を握りこんで、顔を前に向けた時、霞む視界の中に映ったのはアキくんにトドメを指したデンジくんの姿だった。
アキくんの身体がスローモーションの様にして、ゆっくりゆっくりと地へと落ちる。何とか身体を動かして、私は崩れ落ちるアキくんを受け止めた。顔も変わって、血だらけになったアキくんの重たい身体をめいいっぱいの力で抱きしめる。そして、アキくんの乾いた唇にキスを落とした。さよならのキスは、苦くて不味い血の味がした。
―――ねぇ、アキくん。アキくんは、幸せだった?私はね、アキくんと出会えて、最高に幸せだったよ。
「アキくん、ずっとずっと、大好きだからね」
そう呟いて、私は携帯していた拳銃で自身の頭を撃ち抜いた。
――ごめんね、デンジくん。パワーちゃんと君を残して死んでしまうのは少し心残りだけど、それでも私は、アキくんを一人で逝かせられないの。だって彼、本当はとっても寂しがり屋だから。
重力に従って、私の身体は地面へと落ちる。折り重なるようにして私とアキくんは死んだ。それはまるで、十字を型どっているようだった。
fin
銃の魔人に成り果てたアキくんと、銃で死んだ女の話。
本当は銃の悪魔襲撃で早川アキは既に死んでいますが、夢主ちゃんは魔人状態でも身体はアキくんのものだからと思い、最期まで銃の魔人を早川アキとして扱ってます。
…アキくんが幸せだったかの解釈は自己解釈です。
デンジが放心してる間に秒で腰のホルスターから拳銃出して秒で引き金を引いた夢主ちゃんです。早業ガンマン
本当は、こんな鬱エンドで終わる予定じゃなかった…。後半からは、夢主ちゃん実は岸辺さんと同じ銘柄の煙草を吸ってるってよ!ってことが発覚してそこからチキチキ!アキくんの嫉妬イベが始まる予定でしたェ(全然内容違う)。
でも本誌読んで覚悟できてても、9巻読んだら理性という名のダムが決壊して極大感情を垂れ流す悪魔にとり憑かれたのでこういう結果になりました(言い訳サーセン)
来週本誌の方は最終回ですね……コワイナァ