閃光前夜

目の前で早川くんが死んだ。
夥しいほどの血を噴き出し、私に向かって手を伸ばしながら、早川アキは死んでいく。
口からこぼれた血液のせいで、彼が何を言っているのか分からない。彼の命の灯火が完全に消え去るその時まで、私は彼から目を逸らせずにいた。

「はやかわ、くん……」

血の海に身を沈めた彼を見つめながら、どうして?なんで?が私の頭の中を埋め尽くす。
違う。彼が"死ぬ"のはこんな所じゃない。彼は、こんなモブの悪魔に殺されていい存在なんかじゃないのに。

何で何で何で……!と頭を掻き毟るが現実は変わらない。早川くんの死を上手く導けなかった事への苛立ちと、また初めからやり直しだという絶望が私に襲いかかった。
何度目になるか忘れてしまった彼の"死"を目の当たりにして、彼の死に対する悲しみなんてもう私の中には込み上げてこない。慣れてしまったのだ。こうして繰り返される内に、彼の死に。

酷いものだと、自傷気味に笑ってみせる。そんなことをしても早川くんは生き返らないし、彼の死は無かったことにならないというのに。


「……ごめんね、早川くん」


憎いほど澄んだ青空の下で、彼の亡骸に向かってそう語りかけても、返事なんて返ってくるわけが無かった。
私は血の海に沈んだ彼の身体を仰向けにさせ、死に際に吐いた血でどろどろに汚れている彼の唇に口付けをする。

その瞬間、世界がまばゆい光に包まれていく。眩しさで真っ白になる視界の中で、早川くんの動くはずのない唇が何かを紡ぐようにして動いた気がした。


「 」


その言葉を理解するより早く、視界がぐにゃりと湾曲する。軽くなった身体が何かに引っ張られる様にして動くのを闇の中で感じながら、私は意識を手放した。




――――…………この世界は、私の生きた世界ではない。
私は、この世界が「チェンソーマン」という漫画として存在していた世界に生きていた。
けれど、大学卒業を間近に控えていた時期に不慮の事故に合い、その短い人生を終えてしまった。
そして気付いたら何故か、チェンソーマンの世界に生きていたというわけだ。私が生きていた世界で読んだチェンソーマンという作品には、存在しないキャラクターとして。

生きていた頃に救いがない漫画として、月曜日の朝に地獄を届ける漫画として人気を博していた作品の世界に、こうして転生してしまった時は死ぬほど落ち込んだし、めちゃくちゃ戸惑った。だって、この作品のキャラクターは十中八九死んでしまうから。

だから私は、何としても生き延びようと決心した。幸い私が死んだのは、マキマさんという最大の敵を主人公であるデンジくんが倒し第一部が完結した後だった。本誌も単行本もきちんと買って読んでいた甲斐あって、第一部完結までの流れは頭に叩き込んである。なので、キャラ救済とか変なことはせず、目立たず、原作の流れに沿って生きていれば死なないだろうとタカをくくっていたのが悪かった。

一周目の私は、公安のデビルハンターになったは良いものの、デンジくんが加入する前にザコの悪魔によって殺されて死んでしまった。

そして目を覚ますと、私はそびえ立つ大きなビルの入口に立っていた。この光景どこかで見たな?と思った瞬間、死ぬ間際の映像が脳内に流れ込む。
そして、私が公安に入社する日に "時間が巻き戻っている" ことに気付いた。気付いて、さぁっと顔面から血の気が引くのが分かった。

ガタガタと震える身体を抱きしめて、私は考える。
死=初めからやり直しということなら、ほぼ死が隣に立っている状態のデビルハンターになんてならなければ、巻戻りを回避できるのでは?と。
そうして二周目の私は、デビルハンター回避の為に仕事をバックレようとした最中、信号無視をしたトラックに引かれて死んだ。

二周目で懲りずに逃亡を測った三周目は、トラック衝突は回避したものの、海外へ高飛びする最中に飛行機の事故で死亡。
流石に懲りて泣く泣く公安へ入社した四周目は、対魔特異課所属を拒んで退魔課へ入隊した為に例の銃撃事件で死亡。

五周目でやっと、このループから抜け出すには絶対に公安対魔特異課に所属しなければいけないことを理解した。けれど、気付いた所で上手く立ち回れず私は死んでしまう。

そして何周も繰り返す内に、私はループを抜け出すもう一つの条件に気付いた。
その条件に気付いたのは、十三周目のループの際、早川くんが原作とは違う場面で死んでしまった時だった。

十三周目ともなれば、私だって色々と学習する。
対魔特異4課に入隊し死なないよう頑張っていたら、デンジくんやパワーちゃんが加入した。ついに無事原作に突入出来た嬉しさをかみ締めつつ、事が進むのを見届ける。
対サムライソード戦とか、デンジくんが行方をくらませたりとか、色々と大変な場面も沢山あったけれど、全てにおいて上手くいっていた。
けど、そんな怒涛の快進撃も呆気なく終わりを告げる。クァンシやサンタクロースがデンジくんの心臓を狙って攻めてきた際に、早川くんが私を庇って死んでしまったのだ。

原作とは異なる彼の死に、私は一瞬何が起こったのか理解できなかった。
もしかして、イレギュラーな存在である私が深く関わったことで歪みが生じて、本来死ぬべきでは無いところで早川くんが死んだの?と理解した頃には、また初めからやり直しになっていた。


公安対魔特異課所属が絶対条件な以上、早川くんと関わることは避けられない。けれど、私が彼らと関わりすぎると、原作とは大きな矛盾が起きて早川くんは原作通りの死を遂げれない。
その付かず離れずの距離感が分からず、結局何度も何度もやり直しをした。


1.公安対魔特異課への所属
2.早川アキを原作通りの死へと導く

この二つの条件を念頭に置き、私は何度も何度もループを繰り返した。けれど何度やり直しても思う通りに進んでくれない。目の前で何度も何度も死んでいく早川くんを見た所為か悲しみは薄れ、仕事の様に淡々と物事をこなしていかなければならない人生に辟易とする。

最早死ねないことが地獄だった。
毎度同じ事の繰り返しで、気を抜くとすぐに死んでしまうから常に気を張っていないといけないし、一線を引いた上で人と関わる事はめちゃくちゃ難しい。
さらに最悪なことに、何度もやり直していた所為で記憶が混濁し、原作の知識が薄れてきてしまった。
後どれだけやり直せば、原作通りの死へと早川くんを導けるのか未知数すぎて、終わりの見えない自身の人生に絶望していた。

百周を超えてからはループの回数を数えるのをやめた。そうして暫く、何の進展も無いまま何度も何度も死んではループしてを繰り返していた時だった。
デンジくんに会えずザコの悪魔によって早川くんが殺され、自身が死なずとも強制的にループをする為に早川くんの死体とキスをした時、私は白む視界の中で声を聞いた。

それは、聞こえるはずのない早川くんの声だった。
動くはずがない唇から紡がれた言葉は、私の脳内にぐわんと響く。まるで頭を鈍器で殴られたかの様な衝撃に、一瞬視界がチカチカとした。
身体から力が抜けて、全身がどこかへと引っ張られる感覚に襲われる。世界が巻き戻る合図だ。

私は慌てて脳内に響いた言葉を反芻した。
「次はもっと上手に殺してくれ」ってどういう意味だろうと考える。
けれど、その言葉の意味を理解できるより早く、私はループの波に攫われて意識を失ってしまったのだった。



―――そして気が付くと、私はそびえ立つ大きなビルの入口に立っていた。
心の中で「またか…」と毒づく。何度目かになる見慣れた光景に辟易としながら、フレッシャーズスーツを着込んだ私はビルの中へと重い一歩を踏み出した。

腕時計の針が7時前を指している今の時刻では、エントランスの人影も疎らだ。出社まではまだ些か時間がある。状況を整理するのも兼ねてコーヒーでも飲んで落ち着こうと、私はリフレッシュスペースへと足を向けた。

リフレッシュスペースに着くと、徹夜明けの人達がちらほらと休憩をしていた。中には机に突っ伏して寝ている人もいる。心の中でお疲れ様です…と合掌をしながら、私はカバンから財布を取り出してコーヒーを買った。そして、書き物ができるスペースに腰を下ろし、スーツの内ポケットに入っていた手帳を取り出す。そこには、所狭しと文字が書き込まれていた。


「前回はデンジくんに会えずに死んじゃったから収穫はほぼゼロだったなぁ」


これじゃあなんの為にやり直したか分かんないや、とため息を吐きながら、どうしてあそこで早川くんが死んだのかを考える。どこで選択肢を間違えた?分岐は?今まで一番長く早川くんが生きた時は……と考えを巡らせるが、これといった答えは出なかった。


最後の一口になったコーヒーを飲み干し、はぁ…と重いため息を吐いた。本当は今すぐこんなビルから抜け出したい。抜け出したいけれど、逃げたら死ぬという事は既に実証済みである。もうあんな、猛スピードの車と衝突して激痛の中死ぬのなんて御免だ。

「とりあえず今回は、原作突入を目標に頑張ろう」


嫌だなぁ とこれからの事を考えて痛む頭を押さえながら私は立ち上がった。
時間の流れは早いもので、うだうだしていたら腕時計が8時10分をさしていた。出社は8時半の予定だから、そろそろ私が通う部署に向かわないといけない。

「……うーん。最後になにかあった気がするんだけど、思い出せないなぁ」

世界が巻き戻る直前、何かあった気がするけれどどうしても思い出せない。まるで何か、あるいは誰かによって意図的に記憶に蓋をされているような感覚に、私は首を捻った。
うんうん考えたところでこれっぽっちも思い出せないので、1分も経たない内に考えることを辞めたけど。

手帳をスーツの内ポケットに戻して、コーヒーの入っていた紙コップをゴミ箱に捨てる。真新しいパンプスは硬く、歩く度に足が少し傷んだ。
肩にかけていたカバンの持ち手をぎゅっと握りこんで、エレベーターに乗り込む。流石に8時となれば出勤してきた人たちも多く、エレベーターの中も些か混みあっていた。狭い箱の中に押し込まれている感覚に何とか耐えながら、チンと鳴って目的の階に止まったエレベーターの中から躍り出る。

人をかき分け降りたせいでつま先が地面にさらわれ、私の身体はカクンと前のめりなった。
あっこれはもしかしなくても地面とこんにちわするやつ…と悟りながら重力に抗えない身体が地面へと引っ張られる。つまり、私は今盛大にこけかけている真っ最中だということだ。

とりあえずとれる範囲で受け身だけでもとろうと倒れ込む1秒の中で決心し、受身を取ろうと身をよじった私の身体を、横からにゅっと出てきた細長い腕が抱きとめた。

少しくたっとなった真っ黒いスーツが視界に入る。危機に晒されたせいかドクドクと心臓がうるさい。
「大丈夫か?」と頭上から降ってきた声に、さらに私の心臓が音を立てた。

「だ、大丈夫です!すみませんでした!」

慌てて私を受け止めてくれた腕から離れ、目の前に立っている人物の顔を見た。
そこには、数時間前に私の目の前で息を絶った早川アキが、ぱちくりと目を丸めて佇んでいた。

「ほ、本日付けで公安対魔特異課へと所属する事になりました!よろしくお願い致します!」

こうして私のXX回目のやり直しが始まった。
今度は、今度こそは、早川くんがきちんと原作通りに逝ってくれるように頑張りたいと、私は心の中で決意をした――――





悪魔の力によって永遠と早川アキが生きている世界を繰り返す女の話
アキくんを自身の手で殺すとループが解けるけど、現実世界に戻されるだけでアキくんには二度と会えない



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