ズヴェズダは斯く騙りき
伸びる白い四肢に力が篭もる。
ぐっと押さえつけた喉元はどくどくと脈打つ感触がして、目の前にある"生"をひしひしと感じることが出来た。それはとても幸福な時間で、それでいてとても残酷な時間だった。
ぎゅうっと両の手に力を込めれば、その先の器官から変な音がこぼれる。段々と歪められる瞳を見て、心の奥底から込み上げてくる形容しがたい感情に身震いした。ガタガタと震える私の生白い手にそっと大きな手のひらが重なって、力を込めるのを後押しする。
「ありがとう、■■してくれて...」
そう言った彼の顔はとても穏やかで、私の心臓がギジリと軋んだ気がした――――――
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真っ暗な部屋の中、私は大量の汗をかきながら勢いよく飛び起きた。起き上がった拍子に掛けていた布団がめくれ上がる。
突然消えた布団の温もりに目が覚めたのか、はたまた私の息が荒かった所為かは知らないが、隣に寝ていたパイモンが寝惚け眼でもにょもにょと口を動かした。
「ううん?寒いんだぞ……」
「ごめんね、パイモン」
ドクドクと早く脈打っていた心臓も、暫く経てば落ち着きを取り戻していた。私の腹へとぎゅうっと抱きついてきたパイモンを優しく剥がし、夜風に当たろうとベッドから出る。
布団の温もりに包まれて、ふにゃりと笑ったパイモンの頭を一撫してから私は寝室から出た。
扉の傍にかかっていた上着を羽織り、ベッド脇に置いていた武器を片手に寝室を出れば、外の寒さにぶるりと震え上がった。
黒と青を混ぜたキャンバスの様な夜空には、宝石の様に爛々と光る月が浮かんでいた。
「さっっむ……」
ぶるりと身震いをして、上着をぎゅっと握り込み背を丸める。璃月の夜は海風の所為か昼間よりもいっとう冷える。そんな寒さの中で見る澄んだ夜空はテイワット内のどこの展望スポットよりも格別な気がした。
「なんであんな夢、見るんだろう……」
思い出すのは先程見た夢の内容だった。
最近毎晩毎晩同じ夢を見る。それは大切で大好きな人を殺す夢で、私が彼の首を絞めて殺すのだ。
ヒヤリと背中に汗が伝う。鳥肌が浮かんだ腕を擦りながら、背を押すようにして吹く風を受けながら私は上へと続く階段を登っていく。
夜だと言うのに明るく照らされた璃月の街を港を、なんだか無性に高いところから眺めたくなって、私は上へ上へと歩を進めた。
そして暫くして辿り着いた場所で、建物の手摺に身体を預けて無言で港から広がる海を眺めていたら、後ろから頭を掴まれグイッと下へ押し込められた。
突然の衝撃に一瞬目がクラりと回った気がした。
手摺が腹にくい込んで吐き気を催す。
びゅうびゅうと風が吹き付ける中、重力の影響で浮いた足元をバタつかせるがなかなかつま先は地を捕えない。何とか手摺に捕まることが出来たが、全体重が腹にかかり吐き気がさらに酷くなった。そして、眼下に広がる底の見えない海に恐怖がどんどんと私を覆っていく。
ぐえっと変な声が漏れたと同時に、目や鼻から生理的な水が出て来たけれど、そんなこと気にしていられる状態じゃなかった。
ヒュっと私の頭を掴む男の喉が鳴った。
視界からちらりと見えた足元で誰かなんて分かってはいたが、声を聞いたことでそれがより確実なものとなった。
どうして、なんでこんなことするの…という疑問より、こんな所から落ちて死にたくない、という思いが脳内を占める。
頭に血が上って、意識が朦朧としてくる。痛覚が段々と薄れてきて、足をバタバタとさせる気力さえ持ち合わせていなかった。
けれど、死にたくないという思いだけは、身体の底からどんどんと膨れ上がってくる。
嫌だ。こんな奴に殺されたくない。
そう思って、私は満身の力を振り絞って叫んだ。
「ッ…、まだ死にたくない!!!!!!!」
その言葉が全てだった。
私の頭を掴んでいた男は、私の叫びを聞くなりするりと腕を後ろへと引いた。私は重力に従ってどたりと床に腰を打ち付ける。目や鼻や口から汚いものが零れることも気にせず、思いっきい空気を吸った。どくどくと心臓がうるさい。
「酷い面だなぁ…」
「誰のせいで……!!」
飄々とした表情をしているタルタリヤを下からキッと睨みつけ、着ていた服の袖口で顔を拭く。胃液が出たせいで臭くなった服を尻目に、私はキリキリと痛む腹を押さえつけながら立ち上がった。
タルタリヤは先程まで私が押し付けられていた手摺に手を添え、そこから静寂を纏った暗い海を眺めていて此方を見ようともしない。
「今にも死にたそうな顔をして海を眺めていたから、ついうっかり勘違いをしてしまったよ」
そう軽い言葉で先程までの暴挙を片付けた目の前の男に、私はぱちくりと目を丸めた。と同時に、強い風が吹いて私の髪をさらう。その風が、先程味わった底知れぬ恐怖とともに私の身体をいっそう冷やした。ぶるりと身震いした身体を抱き、付き合ってられないとため息を吐いて戻る仕草をとれば、またタルタリヤは口を開いた。
「勝手に死なれちゃ困るんだよ」
―――――君を殺すのはこの俺なんだから。
光の灯っていない濁りきったその瞳を向けられて、私はびくりと肩を揺らした。無意識に腰にあった武器に手を添えていたようで、薄ら笑いを浮かべたタルタリヤによってそれを抜くことを制される。
「まだ時期じゃないから殺しはしないさ。だからそう、死に急ぐなって」
今ここでやりやった所で、確かに私とタルタリヤとの力の差は歴然で、ここで武器を抜いても彼に打ち負かされるだけだ。
月の光から私を隠すかのようにして目の前までやってきたタルタリヤから逃げる術を私は持ち合わせていなかった。背の高いタルタリヤによってすっぽりと隠された私の全身には影がさし、まるで闇に飲み込まれたかのような錯覚を覚えた。
じっと私を見下ろしてくるタルタリヤの視線に居心地が悪くなって、ジンジンと痛むお腹をさすっていたら、ふいに視界に金が舞った。
「っ、そ」
ら、と言おうとして、黒い手袋に覆われた大きな手によって口を塞がれる。そして空いた方の手を自身の口元に運び、しーっとポーズをとったタルタリヤの口角は上がっていた。嗚呼、こいつ、絶対碌なこと考えていないな。
呆れ混じりの溜め息が口からこぼれかけたが、タルタリヤの手によって外に漏れることはなかった。
自身の口元に運んでいた手がゆるゆると私に向かって伸びてきて、私の露になっている首元をつ…と撫でた。そして、しなやかに伸びた指が私の首に添えられる。
その瞬間、先程見た夢がフラッシュバックして、えも言われぬ感覚が全身を襲い私の視界はぐるんと回った。
「おい!」
慌てるタルタリヤを尻目に、ガクンと全身の力が抜ける。重力に誘われ地面へと落ちる私を抱きとめたタルタリヤの必死な顔を見て、彼も人並みの感情を持ち合わせているものなのだと、小さく笑ってみせた。
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私の目の前からいなくなった兄と、モンドで出会った空という少年はよく似ていた。
見た目が似ているとかではなくて、性格とか雰囲気とか、目に見えない根っこの部分が何だか似ていたのだ。
だから、毎晩毎晩見る夢で私が首を絞めて殺すのが兄なのか空なのか分からなくなていた。いつしかあの夢が正夢になって、私が空の首を絞めて殺してしまうのではないかと怖かった。行方知らずの兄と出会った時、空ではなく兄をこの手にかけて殺してしまうのではないかと思うと兄を探すのすら怖く億劫になっていた。
そう、拙く言葉を紡いでぽろぽろと最近見る夢の話を零す私を、タルタリヤは椅子に座り黙って聞いていた。
「顔が真っ青になったと思ったら、急に倒れるから、びっくりした」
「……ごめんなさい」
声は穏やかなのに、顔から一切の感情が削ぎ落とされていてとても怖い。心臓がドッドッと脈打つ音が口から漏れ、部屋に響いている気がしてたまらなかった。
倒れた私を空に渡すのは不服だったのか、はたまた倒れた説明をするのが面倒だったのか、気絶した私は彼が璃月で借りているのであろう部屋に運ばれ、目を覚ますまで彼の看病を受けていたらしい。
彼の借りている部屋は広く、ベッドはふかふかだ。
きょろきょろと殺風景な室内を見ていれば、ギジリとベッドのスプリングが鳴った。椅子から移動して急に隣へとやってきたタルタリヤに慌てて身を引くも、腕に力が上手く入らずかくんと肘が曲がり肩が落ちた。そんな私の様子を見てタルタリヤは目を細める。
「どうして倒れる直前、笑ったりした?」
「え……、いや、あんなに慌てた表情できるんだと思ったらなんだかおかしくて」
「へぇ……」
ギジリとまたベッドのスプリングが鳴る。
私に覆い被さる様にしてベッドへと上がったタルタリヤは、上半身だけ起こす私の肩を押してベッドへと深く埋めた。そして私の顔の左右に肘を付け、私の顔を彼自身で囲いこんだ。
「た、タルタリヤ!」
彼の訳の分からない行動に反論しようとした矢先、オレンジのサラリとした髪が私の頬を撫でたことによりヒュっと言葉をなくした。ぱくぱくと口を開閉しても状況は変わらない。
そんな私を見下ろしながら何故か優越感に浸った表情を浮かべるタルタリヤを見て、腹の底から恥ずかしさが込み上げてきた。
この男は、一体何がしたいんだろう。そんなことをぼうっと考える。けれど答えなんて出るはずがなくて、私はきゅっと唇を噛んだ。
「タルタリヤは、私をどうしたいの」
出来心で、私は彼に問いかけた。すると彼はクツクツと喉を鳴らして笑い出す。いつの間にか手にはめていた黒い手袋を脱いでいたみたいで、少しかさついた指先が私の頬を撫でた。
「俺は、あんたを壊したくてたまらない」
どす黒い感情を孕んだ言葉を浴びて、私の身体は硬直した。どこか甘く、そしてねっとりした声を吐く目の前の男は、本当に私の知るタルタリヤなのだろうか?という疑問が喉まで迫り上がってきたが、ついぞ言葉にすることは出来なかった。
「相棒の背に守られてるあんたを奪って閉じ込めて、俺しか見えないようにしたい。どろどろに甘やかして、俺なしでは生きられないように依存させて、俺の事しか考えられなくなった頃に殺してやりたいくらいだ……」
ぽそぽそと物騒なことを言い出したタルタリヤの顔が見ていられなくて、私は視線を逸らした。
恍惚とした目を向けられても、何も答えることが出来ない。一体全体、彼をそこまで突き動かすものは何なのだろう。私という存在が、彼に何をもたらしたのだろう。それが恋だの愛だの言うのなら、私は理解したくもないし理解する気もない。
酷く豹変したタルタリヤをみて、私はそう思わずにはいられなかった。
サラリと、またタルタリヤの柔らかな髪が頬を撫でる。横を向いていた顔を掴まれて正面へと向けさせられ、濁りきった青藍の瞳と視線が絡んだ。
憎いぐらいに端正な顔がゆっくりと近付いてきて、タルタリヤの血色のあまり良くない唇が、私のカサカサの唇に触れた。
何とも拙く色気のないキスだった。
先程吐き出されたどろどろの言葉とは裏腹に、幼子が大切なものに触れるかのような優しいそれに目を丸める。何だか拍子抜けしてしまって、ふ…と口元が緩んだ。
「ねぇ、タルタリヤ。あの夢が正夢になってしまう前に、早く私を殺せるようになってね」
もちろんこの男の手によって死んだりはしたくないけれど、でも、私の手で兄や空を殺してしまうくらいなら、この男の手で殺された方がマシだ。
それに、彼が私を殺す時は、きっと私の精神はとっくにおかしくなっていて、死にたいだの生きたいだのの判断なんてつけれなくなっている頃だろう。そしたらもう、誰に殺されたって同じだ。
するとタルタリヤは私の投げかけた言葉が不服だったのか、ギリっと私の唇を噛んでから、まるで捕食をする獣のように私の首元に噛み付いた。
肌を突き破る感覚がして、ビリビリと痛みが襲った。出血する程噛んだのか、ペロリと血を舐めてから顔を上げたタルタリヤは、その整った顔を大いに歪めながら私に嘲笑を向けた。
「あんたを殺すより先に、その夢の相手が俺になる方が先かもしれないだろ?」
「それ、どういう……?」
「あんたの心の奥底には、大切な人を自分の手で殺したいって願望がある。だからそれが夢の中に現れるんじゃないのか?
あんたにとって相棒も行方不明の兄もどちらも大切な存在だから、夢の中じゃ相手の顔は曖昧なままなんじゃないのか?」
「そんなことない…!」
「安心しろよ。暫くしたらその夢の相手の顔が鮮明になってくるだろ」
そう言って、タルタリヤは満足したのか私の上から退き、脱ぎ捨てた手袋をはめ直しながら部屋を出ていく。
投げかけられた言葉を、私は暫く理解出来なかった。何度も何度も頭の中で反芻して、理解できるよう咀嚼した頃には、心配した表情の空が目の前にいた。
「空……」
「心配したんだよ!夜突然居なくなるし、居たと思ったらタルタリヤから倒れたって聞くし」
「そうだぞ!今度から一人で出かけるなら、書き置きしてくなり何か言っていくなりしてけよな!」
「空、パイモン、ごめんね……」
空に手を指し出され、私はその手を取ってタルタリヤの部屋を後にした。大丈夫か?と心配してくれるパイモンにへらりと曖昧な笑みを浮かべて、私はタルタリヤに噛まれた首元をさする。
未だじくりと痛むお腹と首元が、彼とのやり取りが現実だったことを物語っていた。
「そういえば、タルタリヤめちゃくちゃ嬉しそうな顔してたけど、なにかあった?」
「さぁ?何も無かったけど…」
「そっかー。にこにこしながら無言で二万モラ押し付けてくるから怖かったんだよねぇ」
変なタルタリヤ〜と呑気な声を出した空を横目に、私は彼の瞳の色の様に染まった広く底の見えない海に舌打ちをこぼした。
――夢を見る。毎晩毎晩同じ夢を見る。
それは私が大切な人の首を絞めて殺す夢で、私の下で首を絞められている人間は、オレンジの髪を真っ白い布団に沈めながら、そのコバルトブルーの瞳をとろりと細めて私に微笑みかける。
「ありがとう、愛してくれて...」
そう言った彼の言葉が、私に呪いをかけた気がした。