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「――ったくアイツ、どこいったんだよ?」


1歩足を踏み出したその先、ちょうど爪先あたりに転がっていた小石をこれでもかというくらいに蹴っ飛ばす。あたりどころが悪かったのか蹴り方がおかしかったのか、それは思っていたよりも遠くに飛ぶ事はなく、またもや足元に転がり戻ってきた。
思い通りにいかなかった腹癒せと言わんばかりにキャスケット帽にサングラスの男は、それを思い切り踏み潰す。
そうして何事も無かったかのように、またと1歩足を動かしていく。


「……1人でふらつくような奴じゃないんだがな」


その一連の動作を眺めていた隣のPENGUIN帽の男はどこかフォローするようにそう言うも、その表情に気だるさを溢れんばかりに滲み出してした。


「…雌のクマでも見つけて駆け落ちでもしたか?」


お揃い…といったら少し語弊はあるが、同じ船の仲間の印である白いツナギを着た2人の男―シャチとペンギンは今、何故か忽然と姿を消してしまったペット―いや仲間のシロクマを探している最中。

皆さんご存知のとおり、彼らはハートの海賊団の一味。今歩いている場所—島には2日程滞在し、ようやくログの指針も決まりいざ出港しようかと思っていた…それは矢先の出来事だった。


「あーーありえるな。もう放っておいていいんじゃね?」


2人ともいなくなったことに感心など無かった。ペットといえど一応大人の部類ではあるし、彼も立派な海賊で我が船団には欠かせない戦闘員である。よって心配するに越した事は無かったのだが、船長から探して来いと命を受けたからには仕方なく彼らはその足を動かすハメになったわけである。
長年付き合ってきた彼の習性から行きそうな場所の大体の検討はついていた。そうして手当たり次第探していたつもりだったのだが、どこにも、目の端にすらその目立つ胴体は映らない。


「ったく、面倒くせーな」


そうして2人はしぶしぶといった感じで、こんな場所にはいないであろうと踏んでいた小さな森に足を運んでいる。…こんなところに"1人"で入ったら本物のクマと間違えられて撃たれるだろうにと、余計な心配をしながら。


「っおーいベポ!出て来いバカヤロー!」


自分達に苦労をかけさせてまで探させるとはいい度胸だ、なんて。時が立つに連れ見つからない事への不安などは全くもって皆無で、寧ろ募るは苛立ちのみ。時間がかかればかかるほど、船長にドヤされる事は間違いないからだ。
…とんだ火の粉である。まったくあのシロクマ、散策している自分たちを差し置いてまさかお楽しみの最中なのではないか。…とそれた方向を思い始めた、矢先。


「――待て、」

「!」


ペンギンはふとその足を止めた。それにつられてシャチもその足を止める。…一瞬その場を包んだ静寂から、沸き起こるように2人の耳に届くそれは、何処かざわついた音の数々。


「……何だ?」

「海賊か――?」


駆け回る騒音と、上がる怒声。何を言っているのかまではわからなかったが、長年の経験上、こういった類の騒音はよく耳にしていた。おそらく海賊達が何かに群がっているのかはたまた殺りあっているのだろうと2人の思考は一致していたが。


「……これまた面倒だな」


とりあえず巻き込まれるのだけは御免被りたい。自分達の力を案じているわけではなく、これ以上のトラブル事を持ち帰り船長の怒りを倍にする選択だけは避けたいからだ。
…しかし、もしかしたら自分達の目的のものがその原因となっている可能性も捨てきれなかった。そういう厄介事に巻き込まれるような奴ではないが、…もしかしたら本当に本物のクマと間違えられて狩られそうになっているのかもしれない、なんて。


「……おい、ペンギン」


しかし、そんなふざけた思考はシャチの声によって一蹴された。そうしてペンギンが目を向ければ…彼は自分を振り向く事なくただ一点を見つめていて動かない。


「…あれ、ベポじゃね?」


クイ、と顎で指されたその先に視線を向ける。そこにはこの深い緑に斬新なコントラストを生み出すオレンジ色が遠くに、そしてやたら細かくペンギンの目に映った。


「…確実追われてるな」


そのオレンジは素早い動きでこの森の中を駆けて行き、同じ方向に聞こえるはあの騒音たち。思っていた通り彼はその原因にまんまと当てはまってしまったようだと思ってしかし、どこか府に落ちない情景に目を凝らし続ける。


「…………アイツあんなに小さかったか?」


それを見つけた時にふと、感じた違和感。自分たちが探すそれは2mを軽く越える巨体で、頭もでかけりゃ図体もデカイ。…けれども己れの視界に入ったそれは、錯覚だろうか。どう見ても小さかったような、そうでないような。


「……とりあえず、行くか」

「うぃ」


…まさか、そんなことあるはずないと。この世界にあんなシロクマは1匹だけだと、この時のペンギンは少なからず確信していた。



***



「――はぁっ…はっ…!!」


草木が擦れる音と共に、聞こえるのは自身の荒い呼吸音。やたらと耳から脳を刺激するそれに、より上がるは己の緊迫感。深い緑の中を駆け抜ける太陽よりも色濃い服を着た自分は斬新なほどにそのコントラストをよく醸し出しており、おそらく外からではその緊迫感は伝わらないだろう。…だからと言ってはなんだが、今となってこんな目立つ色を着ている自分をぶん殴ってやりたい気分だった。


「っ…!!」


何故、なんで、どうして。何故、こんなことに。

今までこんなに走ったことがあっただろうか。…いや、そりゃ中学とか高校の時はリレーの選手に抜擢されるほど足の速さ、運動神経にもそこそこ自信があった。けれども自分は短距離専門であって、長距離走には不向きな体をしているのも重々承知。どんなスポーツでも軽々とこなすも体力が皆無なのが欠点。もう走りたくないとか、久しぶりこんなに走らせるなとか、明日筋肉痛にならないだろうかとか、

否。そんなことは、どうでもよかった。

今自分が動かしているこの足は本当に自分のものだろうかと、あの中高で輝かしい成績を生み出した俊足なのだろうかと疑う。…いや、そもそも今自分は本当に走っているのだろうかという思いの方が強いのかも知れない。そう思わせるくらいその足は目に見えるほど震えながら動いていて、そして自分の周りの時が止まっているかのように全てがスローに見えて。…それはまるで、夢の中に似たような感覚で。


「やだやだやだ……っ!!」


警報を鳴らすように響く心臓の音と、置かれた状況と身体から湧き出る震えが相成って脳の神経を刺激する。昔流行った脳◯メーカーとやらでそれを覗けばきっと、自分の頭の中を埋め尽くすのは"恐"と"死"の2文字だけだろう。


「っ、…!!」


いやだ。ヤダ。嫌だ。死にたくない。死にたくない。
死にたく、ない。

こんなに本気でその言葉を思う事が今までにあっただろうか。そんな状況に陥る事なんて人生の中で滅多にない。…滅多にない、筈なのに。自分今、まさにその状況というこのアンラッキー加減は賞賛するには程遠い。


『待ちやがれ――!!』


数人の男の声が数メートル後から聞こえてきたが、振り返る余裕なんて微塵もなかった。
何故か自分は追われている。しかもガラの悪いチンピラに、だ。…何故だ。何故自分が追われなければならいのかと、その理由を辿るにもそのルーツさえ微塵も見当たらない。自分が一体何をしたと言うのか。何もしていない。…そう、自分は何もしていない。寝てただけ、寝ていただけだ。

いつも通り、自分の部屋で。いつも通り、自分のベットで。


『シロクマ――!!』


お気に入りの着ぐるみを、パジャマにして。


「っ…ちが……!!」


オレンジのそれは小さな体にはダボダボでこれは走るのには不向きだなんて思ったって、これを作った人はまさか着た人が全速力で走るなんて考えてもいなかっただろう。作った人はよりそれを本物に似せようと、色からロゴから形まで丁寧に仕上げたのだろう。
それを買った時には本物そっくりなそれにテンションも上がったし何しろ自分の大好きなキャラクターになれるのだから、少々高くてもライの頭の中には後悔のこの字も浮かんではこなかった…のに。

でも、今は、この上なくこれを着ている事を後悔している。そりゃもう、生きてきた上で最大の後悔と言っても過言ではない。
もっと走りやすい設計にしとけとか、こんなに大きく背中にロゴを入れるなとか、ご丁寧にフードとしてそのキャラの顔を作らなくてもいいじゃないか、とか。…けれども最も根本的な後悔は、何故自分はそれを着て寝てしまったのかという事なのだけれど。


「…はぁっ……も、無理…っ!!」


どのくらい走ったのかはわからない。とりあえず、目の前の"恐怖"から逃げる事に必死だった。追われる理由もさることながら、何故このような状況なのかはこっちが聞きたいのだ。

気づいたら森の中にいて、気づいたらチンピラに囲まれていて、気づいたら"ある動物"と勘違いされて追われていて。心の準備が整ってませんどころじゃない。こんなの、整っててもどうにかできる問題ではない。


「っ、〜〜!!」


けれどもこの時、追われている本当の意味をライは気づいていなかった。

…そう、これが。
ライにとって"全ての始まり"だったという事にも。



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