「――こんにちは、ライちゃん」

「!」


…それは、ペンギンがコックに相談事を持ちかけられ、風呂場からいなくなった後ですぐの事。1人で浴槽の掃除をせっせとこなしていた時だった。

名前を呼ばれて振り返れば、頭にバンダナを巻いたかっこいい青年が立っている。…ええと、名前はなんだっけ。…あ、いや知らないかもしれない。
そういえば結局主要メンバーの名前しか把握していない。自分が自己紹介しただけで、クルーの面々からは誰1人として自己紹介を受けていないことに今更ながら気づく。


「僕はセイウチ!よろしくー」

「…………あ、よろしくです」


…と思っていたら、向こうから自己紹介してくれた。どうやらそういうのはその場のノリでいいらしい。


「1人?」

「…ペンギンはコックさんに呼ばれて出てっちゃいました」

「アザラシか、長くなるね。……1人じゃ大変でしょ?手伝うよ」

「え?…い、いいですよ!」

「遠慮しなくていいよ」


ほら。と言ってセイウチはやや強引にライの持っていたブラシを取った。はにかむ彼が見せる白い歯がよりその整った顔を映えさせる。…なんだか照れ臭くなって、手持ち無沙汰になったそれでライは慌ててスポンジを掴み、自分は床を磨くことにした。


「ってか、僕にも敬語使わなくていいよ?」

「あ、…うん」

「ってかライちゃん、どこからきたの?」

「っ、え?」


まさかの質問が迫ってきた。いや、いつかは誰かに聞かれるのではとヒヤヒヤしていた為、勝手にイーストブルーの出身だという偽プロフィールは作成済み。そういうところはちゃっかりしてると我ながら思う。
…しかし、突然始まったキャッチボールに上手く体が反応するはずもなく。


「え、いやその――」


用意していた答えは投げ返せそうになかった。


「……ま、君がどこ出身とか本当はどうでもいいんだけど」


…だったら聞かないでくれ。一瞬焦った分だけ縮んだ寿命を返してほしい。
そうしてライがホッと胸を撫で下ろしていると、今度はセイウチ自身が自分に迫ってきて、


「ライちゃん可愛いしね」

「!?」


ブラシにもたれかかるようにしゃがんできて、自分と視線を合わせるように顔を覗き込んでくるセイウチ。…いや近い近い近い。距離がおかしい。距離感が、おかしい。


「ライちゃんいくつ?」

「…に、24ですけど、」

「2個上かあ、…うん、僕全然オッケー」


何がOKなのかサッパリ読めないが、とりあえずその近距離戦から離れようとした…その時。


「――何やってんだよセイウチ」


少しドスの効いた低い声が浴場に響いた。驚いて振り返れば目深な帽子で表情は読み取れないものの、どこか不機嫌そうなペンギンが立っている。
けれどもそんな彼を目の前にしても、セイウチはその場を微動だにしない。


「お早いお帰りで、ペンギンちゃん」

「ちゃん付けすんな、気色悪ィ。…つーかさっさとそこから退け」

「僕は掃除を手伝いに来たんだよ?」

「…それのどこが手伝ってんだよ」


ペンギンが鼻であしらうように指図すると、セイウチはつまらなさそうに立ち上がって、持っていたブラシをライに返してきた。そしてそのまま彼の手が一つ頭に乗っかって、


「じゃあねライちゃん、また」


そのままセイウチは浴場から去って行った。…あれ、何しにきたのだ彼は。掃除を手伝いにきてくれたのではなかったのだろうか。
そうしてそれを見送ったペンギンは深い溜息を吐いている。…あれ、彼は一体何を怒っているのだろうか。


「…ライ、アイツには気をつけろ」


アイツはクルー1の女たらしだ。ペンギンは吐き捨てるようにそう言った。…確かにさっきの言動からすれば彼にそのっ気があるのは納得である。


「もう少し警戒心を持った方がいい。…この船に女はお前1人なんだから」


船長がああ言っていても実際何かあってもおかしくはない。だから船長はペンギンを船に残した。主力の2人がいなければ、興味津々とばかりにメス熊―いやメス猫に群がるオス猫達の馬鹿面な光景が出来上がってるに決まっていると。


「…うん、わかった」


ライが持っていたブラシに手をかけながら、何もされていないかと心配してきてくれるペンギン。そんなペンギンを残して行ってくれたロー。…別に彼らは自分を疑っているからそうしたわけではなかった。彼らはただ、自分を気遣ってくれているのだ。


「…さっさと終わらせようか。ったくセイウチのやつ、邪魔しかしてねえじゃねぇか――」


ペンギンの優しさ、そしてまたローの意外な優しさに触れたライはなんだか嬉しくなって、グチグチ言うペンギンに一つ笑を送りながら、自分も彼らの為に頑張らなくてはとよりスポンジに力を込めた。



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