「――おい、準備が……って何やってんだお前ら」
開けっ放しになっていた船長室の扉に不審感を抱きつつ覗き込んだ先にあった女物の下着片手に集う不審者達の姿に、思わずペンギンは盛大な溜息を吐き出した。
「よぉ、ペンギン。お前もどう?」
「俺をその変態の集まりに誘うな!」
「何だよペンギン、俺が変態だって言いてェのか?」
「……アンタが主謀者だろーが」
再度溜息を漏らすペンギンにライは同情の眼差しを送った。おそらく…いや確実にペンギンは苦労してる。この3人の相手はそこらの海賊相手より面倒臭いプラス、タチが悪いだろう。…心中お察しします。
「つーか、準備出来てるから」
「っまじか!!」
「?」
"準備"とはなんの事なのだろうとライが首を傾げていると、シャチやセイウチ、ベポまでもが酒だ酒だと喚きながら部屋から出て行く。…あぁ、なるほど。宴の準備の事か。と自己解決し、彼らが放置していった下着を片付けようとした時、
「…適当に着替えて食堂へ来い」
10分以内だ。そう言ってローも部屋を出て行ってしまった。
残っていたペンギンはまた自分が迷子になることを懸念して部屋の外で待ってると言ってくれたが、この流れからすると、自分も宴に参加することは間違いないようである。
海賊の宴はきっとすごいものに違いない。きっとみんな―海賊は酒豪揃いだろう。自分、大丈夫だろうか。そういやお酒なんて飲むの久しぶりかもしれない。
そんな事を考えながら、ライは整理した服の中から一つ手にとって着替え始めた。
*
ガチャ_
「ごめん、待たせちゃって」
「っ……あ、いや、大丈夫だ」
部屋を出ると直ぐそこにいたペンギンは一瞬自分を凝視したが、すぐにその視線を逸らした。
「…………雰囲気変わるな」
宴を気にしてかライが着た服はラフなトレーナーとショートパンツに黒タイツ。ダボダボなベポ着ぐるみではわからなかった彼女の身体のラインは、ペンギンが思っていた以上に華奢で小柄だった。
「そう?…変?」
「……いや……似合ってるよ」
どこか照れ臭そうに言うペンギンに、ライはありがとうと礼を述べる。
「ペンギン達は私服着ないの?」
「たまにな。長期間島に滞在するときとかは特に」
ツナギな彼らしか見た事が無いためライが私服を見てみたいと言えば、また今度なとこれまた照れ臭そうに言うペンギン。…きっとペンギンはあの変態達とは違ってまだ純粋なのかもしれないと思いつつ、彼の後ろを一歩下がってついていく。
「――……食堂静かじゃない?」
そうして目的地に着いたのだが、既に始まっていると思っていた騒音はそこにはなかった。最早この10分の間に全員が潰れただなんてそんな事はないだろう。どんな宴だ。恐ろしい。
そうして不思議に思っていると、ペンギンが一つ笑ってその扉を開く。…そこには、思いもしていなかった光景が広がっていた。
「……っ?」
その視界の中核にはロー、その周りに立つようにクルー達の姿があった。誰1人として酒など飲んでおらず…それはまるで、自分を待っていたかのように思わせるもので。
「……ライ」
驚いている自分の名を、この船の長が呼ぶ。
「一分遅刻」
「…………え?」
拍子抜けした返事を返すと、周りから笑が起こった。遅いぞ主役、とシャチが言う。…主役ってなんの事だと未だキョトン顏をしていると、隣にいたペンギンが口を開いた。
「…今日の宴は、お前の歓迎会の為だ」
「…歓迎?」
「俺たちの仲間になったっていう、証だな」
ライは目を見開いた。他世界から来た自分を、本当の仲間として受け入れようとしてくれている。何も、雑用しか脳のない自分をこの一味の仲間として。
信じられなくてローにもう一度目を向けると、彼は一つ微笑んでくれた。見たことのなかったその表情に不覚にも見惚れていると…だんだんとその顔はいぢらしい笑みを浮かべ始め、
「…ま、そういう事だ。……せいぜい潰れろ」
そんな歓迎文句聞いたことありません。上げて落とすのが御上手なこと。やっぱりこの人ツンデレだ。…やっぱりこの人、怖いっす。
そしてそのローの言葉が合図となって、クルー達からどっと歓声が沸き起こった。
***
宴が始まってどのくらい経ったのだろう。始まってから変わらないのは室内に響く笑い声。既に床には数十本の酒瓶が転がっており、それを模倣するように転がっている幾人かのクルー達。彼らは既に潰れていた。…否、潰されたと言った方が正しいのかもしれない。
やはり海賊の宴は並大抵のものではなかった。始まって早々急ピッチな飲み方にライはついていけず、未だ名前の知らないクルーさん達に挨拶と雑談をしながらゆっくり飲もうと思っていたのだが、
「ライ!これ飲んでみろ!」
…それをあの変態2人組が許すはずもなく。
「これんま!シャツ!!」
「っシャツじゃねぇ!!オレはシャチだ!!」
「あはははは!!」
…ライは出来上がってしまっていた。
「ライちゃんどお?僕の女になる気ない?」
「ない!!誰がアンタみたいなチャラ男と付き合うか!!」
「ライちゃん冷たいなー、ツンデレ系?」
「ちゃうわ!」
「それも萌えるね」
「ちゃう言うとるやろ!!」
「「…………」」
そこにいる誰もがそれを思っていたが、あえて誰も突っ込まなかった。人が変わったようにケラケラと笑うライ。人が変わったような口調で話すライ。…いやきっと、これが彼女の本当の姿なのかもしれないとペンギンは思う。
見た目からは想像出来ない事もなかったけれど、きっと自分達に怖気付いて萎縮したまま過ごしてきた反動が酒の力によって解放されたのだろう。本当は明るくて、笑う事が大好きで。…けれども被っていた猫を脱いだ今の彼女の方が、彼女らしくて良い気もして。
「ライ、元気だな!」
「ベポ!!」
ライは寄ってきたベポに抱きついていた。それをシャチとセイウチが羨ましがっている。モコモコだと言って擦り寄るその様はまさに母グマに擦り寄る子グマみたいだ、なんて。
「……可愛いーとか思ってんだろ?」
「?!」
突如自身の隣に現れた長は、その顔に不敵な笑みを浮かべていた。
「…………思ってな、」
「アイツが俺とタメとか、信じられねェ」
ガキじゃねえか。と言う船長に確かにそこは否定出来なくてペンギンは押し黙った。…いや、ガキというよりやはり年下にしか見えないと言うべきか。
「……ま、いいペットにはなりそうだよな」
この人はまたそういう発言をする。しもべとしての意味か、はたまたうちのデカいシロクマに代わるマスコット的な存在としての意味か。まあ後者であることはわかっているつもりだが、そういう意味で女をこの船になど乗せたことなどない為、真意はわからない。だが、聞く気も起きなくて、ペンギンはそれを溜息に変えて口から吐き出した。
そうしてローにペット扱いされる彼女に視界を戻そうとしたが、…けれどもその視界に何故か彼女は入らない。
「……?」
いないのだ、何時の間にか。…彼女は一体どこへいったのだろう。白いツナギの中に一つ違うだけのそれを探すのにこれほど苦労するということが、どういう事に繋がるのかなんて言わずもがな。
トイレにでも行ったのだろうか。よくよく探せば、クルー1のチャラ男セイウチもいない気がして。
…そうして焦ったように上がっていくペンギンの鼓動。焦ったように動く目、動く視界。酔いが冷めた気がした。…いや、元々酔ってなどなかったけれど。
「……っ」
ペンギンは立ち上がり、そそくさとキッチンから出て行った。
*
「――ぺむぎん!!」
「っ?!」
時間が経つにつれスピードの上がる己の足は一体何をそんなに懸念しているのか、と思い始めた矢先。
探し人の声は、思いがけない背後からかかってきた。
自分を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくるそのさまに緩みそうになる頬は、…けれども彼女が纏っているオレンジによって引きつっていく。
「……なんでまたそれ、」
ライはまたベポ着ぐるみを着ていた。何故かと問えばシャチやセイウチにそれを着てこいと言われたのだと。セイウチはトイレに行っているといういらない―いや、安心できる情報もライは与えてくれた。…アイツら今度はこれを酒のつまみにする気だな。ペンギンは呆れた顔で、しかしどこか安堵の含んだ息を漏らした。
「ぺむぎん、どうしたの?」
「っ…」
彼女の呂律の回っていなさ加減に何故か少し萌えてしまっている自分がそこにいる気もしたが、…いや気のせいだとペンギンは気づかないふりをし、飲み過ぎなライの酔いを少し覚まさせようと甲板に連れて行くことにした。
そうして甲板に出ると、最早フラフラなライは動きたくないのか、ペタンと床に座り込む。
一体どれだけの酒をその小さな体に流し込んだのだと思いつつ、視線を合わせる為にペンギンもその場にしゃがむ。
「…大丈夫か?」
そうして顏を覗き込むと、不意にライも顏を上げた。いささか近い距離で混じり合う視線。その大きな黒い瞳がペンギンの目に焼き付いていくように、寧ろ吸い込まれてしまいそうなくらいに離れなくて、
「っ、…ライ――?!」
それもまた不意だった。ライの手が自身の方に伸びてきたかと思いきや、彼女は自分のトレードマークとも言えるべき頭のそれをとったのである。
おそらくペンギンの記憶の中においてはこれが初めてだった。…ライが、自分の容姿全てをその瞳に写すのは。
「…ぺむぎん」
「……なんだ」
「ぺむぎん、カッコいいね」
「!」
ニコッと一つはにかんでライはそれを持ったまま船内へと戻って行ってしまった。フラフラなのに走るなだとか、走ったらコケるだろとか、そんな事を思う前にそれを追えばよかったのに。…その後姿をペンギンは、追う事が出来なかった。
「…っ、」
それは、意表を突く出来事。ペンギンにとってそれは不意打ちすぎる攻撃だった。
…反則。あれは反則だ。レッドカード並。
はにかんだ彼女の表情とその言葉は、酒でもって上がっていたペンギンの熱を上げるのに十分だった。