「――…っ、ライ」


角を曲がれば、そこにはてっきりシャチがいるもんだとペンギンは思っていた。あんなに楽しそうに手招きして呼んだクセに本人がいないとは一体どういうことだと怪訝に思いつつも、そこにいた思わぬ人物を見た途端ペンギンの頭の中に蘇るは昨日の思考。
そうしてペンギンも少なからず…いや、かなり動揺していたが。


「…………」


…誰だこのイケメンは。ローにも劣らぬ容姿の持ち主が目の前に現れた事にライの思考回路は鼓動を跳ね上がらせると同時、しばしの停止を要していた。

先ほどシャチが噂をすればと言って呼んでいた彼は、おそらくこの人だろう。その彼が発する声はこの船に乗って間もない自分でも聞き覚えのありすぎるモノ。…そうしてそれらが導く一つの答え。この人が。この目の前の、イケメンが。


「ぺ、ペンギン…?」


疑問系で投げかけくるライに、どうしたとペンギンが返す前に、


「ご、ごめんなさいっ!」

「…………は?」


土下座する勢いでライは頭を下げてきた。…何だ。どうしてそんな勢いで謝ってくるのだ。とペンギンが怪訝な顔を向けると、これまた何故かライは泣きそうな顔をしながらその口を開いた。

事情を聞けばどうやら彼女は昨日の宴を取り詰めているようだった。何をしでかしたのかはサッパリ覚えはないのだが、船長やシャチらにとんでもない失態を犯したと聞かされたのだと。そしてその被害者は全て俺。そしてその俺がものすごく怒っていると。ついでに俺は怒るとすごく怖い人で極悪非道でどエスな設定ときた。…おい、待て。なんだこれは。


「……ライ」

「……ホントに、ごめんなさい」

「いや、あのな、」

「ウチ、もう――」

「…ライ、」


ペンギンには昨日の記憶がしっかりと残っており、だから彼女が話す事全てが架空の出来事であることはわかりきっていたし、あの3人がライをからかってそうしているのは明々白々。けれどもあの3人にかなりの刷り込みを受けてしまっているライは、まるで叱られてしまった子犬のようにしゅんとしてしまっている。…何だこの俺が泣かせたみたいな状況は。被害者は被害者でもそれは違う意味での被害者になり得やしないだろうかとペンギンは疑惑を抱いた。…あの3人本当は、自分を困らせたかったのではないだろうかと。


「……俺の話を聞け、ライ」

「?」

「…俺はこれっぽっちも怒ってない」

「…………え?」


キョトンとした顔を向けてくるライの今にも泣き出しそうな潤んだその瞳に、デジャヴかのように勝手にペンギンの脳裏に再生される昨日の甲板での出来事。…何だか照れ臭くなって、ペンギンはその視線をずらす。


「安心しろ。お前は何も悪い事はしてないから」

「……ホンマに?」

「あぁ、……ったくアイツら――」


デタラメばっかり並べやがって。とペンギンは盛大な溜息を吐いた。
それを聞いてようやくライは、あの3人に騙されていたことに気づく。…何てタチの悪いイジメだこと。やはりあの船長、末恐ろしい存在である。シャチとセイウチの悪ノリも頂けないが、それでもペンギンが怒っていなくて本当によかったとライは思った。

そうして安堵して、思い出したようにライは手に持っていたそれをようやくペンギンに差し出した。


「…これ、ごめん」

「……あぁ」


そうして戻ってきた自分の帽子。未だペンギンの頭の中で繰り返されるあのシーン。
確かに、ライはペンギンが思うような悪い事は何もしていない。…何も、してない。


「……本当に昨日のこと、覚えてないのか?」


確認するように問えば、ライはバツが悪そうに一つ頷くだけだった。…その反応に少し残念がる自分は果たして何を期待したのだろうかと、ある意味で自惚れのようなその思考を隠すようにペンギンは受け取った帽子を目深に被る。


「……ペンギンの顔、初めて見た」


少し照れ臭そうに言うライ。…本当は初めてじゃないのにな。なんて言えるはずもなくて。


「……期待はずれ、だったか?」


自分でも驚くくらいその言葉には皮肉が込まれていたように思う。…きっとそれは、昨日のことを覚えてない彼女への当てつけのつもりだったのだろうが、


「えっ?全然!…そんな事ない!」


寧ろ男前さんだね。なんて笑って言う彼女の予想外の答えに不覚にも上がるペンギンの熱。昨日のそれの再臨を悟られたくなくて、ペンギンは無駄に帽子を被り直した。


「.っそんなこと、ねぇよ――」


…やっぱり自分は被害者なのかもしれない。ペンギンは、今更ながら思うハメになった。



***



「――っはっはっはっは!!」


高々と笑い声を上げるシャチと、その横でニコニコと爽やかな笑みを浮かべるセイウチ。そんな2人を目の前にして、不貞腐れながらライは目の前の朝食―いや、寧ろ昼食に手を伸ばしていた。

ペンギンとあの場で鉢合わせたのは、なかなか起きてこない自分を心配して様子を見に行く途中だったからだとあの後聞かされ、そうして一緒にキッチンに行けば二日酔いの自分を思ってかコックのアザラシは胃に優しいたまご粥を用意してくれていて。…あぁ、2人ともなんて優しい人なんだろう。前に座る2人とは正反対だと思いつつ、ライは温かいそれをゆっくり口に含んだ。


「……笑いすぎだ、シャチ」

「いやー困ってるライちゃん最高だったね」

「……セイウチ、アンタ絶対ろくな死に方せえへんわ」


ライを騙した詐欺師3人は、あの後隠れて自分達の様子を盗み見ていたらしい。自分が憤悶しているのを彼らは嘲笑っていたというわけだ。…悪趣味にもほどがある。


「でもペンギンの事は嘘じゃないよ?」

「…おい、」

「大体あれを目論んだのは俺たちじゃねえ。船長だ!」

「そうそう。趣味悪くて変態なのは船長だけだよ」

「――誰が趣味悪くて変態だって?」

「「!!」」


背後から迫るそれにライはスプーンを口に含んだまま固まった。そうして振り返れば不敵な笑みのロー。…だからなんでこの人足音立てないんだ。


「あら、船長いたんですか」

「俺は変態じゃねェ。ただ人を虐めるのが好きなだけだ」

「……それを変態って言うんじゃないか?」

「それでどれほどの女を啼かせてきたのか...」

「…ライ!お前はある意味で幸せ者かもな!」

「心配しなくてもお前みたいなダンゴムシ、誰も抱かねェよ」

「「…ダンゴムシ?」」


また朝っぱらからこの人たちは。こういう会話しか出来ないのだろうかと呆れながら、たまご粥の最後の一口を頬張ろうとした。…のだが。


「…そういやさ、」


…それは思わぬ方向から、突然降る雨のように。


「今更だけど、ライちゃん変わった方言話すよね」

「「!!」」


それに過剰に反応を示したのはライだけではない。


「あー確かにな!オレも気になってたんだ」


それにシャチが追い打ちをかける。…忘れていたというよりは、気付いていなかった。この世界では自分のような関西弁を話す人がメジャーではないという事を。

…さて、どう返そうか。たまご粥をすくったスプーンを持ったまま一時停止していたその動作をコマ送りのように再生する。何をどう言えばこの2人が納得するのか、どうすれば自然にそれをこの世界にも存在するものだと虚飾する事が出来るだろうかと、そうして自分の頭の中にある偽りの引き出しを開けるよりも先に、あの時―セイウチがライの出身地を問うてきたときのような状況に最早陥って行く中、


「…珍しくもなんともねェだろ。俺の知り合いにもいたぜ」


その打開策を持ち出したのは、ローだった。


「あ、そうなんすか?」

「……俺の昔のツレにもいたぞ?」

「…へぇ〜、じゃあ僕が聞いたことないだけなのかー」


そのローの言葉にペンギンも自然と会話に割り込んでいた。でも方言ってなんかいいよね。とセイウチが話の方向をずらしシャチがそれに乗っかっていって、それからライがそれ以上の詮索を受けることはなかった。
あっけなく終わってくれたそれに、2人に気づかれないようにライは安堵の息を漏らし、卵粥の残りをおいしく頂いた。



そうして暫くしてシャチとセイウチが仕事があると言ってキッチンを去り、テーブル沿いに3人が横に並んで腰掛けているという何とも奇妙な状況が生まれた時。


「…あの、ありがとうございました」


自分を庇ってくれたお礼をローに述べる。


「あァ、別に構わねェ」

「……これからはその言葉、あまり使わない方がいいかもな」


特に島に降りれば、先ほどよりも余計な詮索を受ける事は間違いない。物珍しさからとんだ方向にベクトルが向くことだって否定は出来ない。それは危険すぎるとペンギンは言った。


「…うん、気をつける」


そうして少し体に走る緊張感。自分が他世界から来た人間である事は、自分がそれをほのめかさない限りバレ無いだろう。…だから、逆に危険なのだ。普通にしていればいいってわけでもない。この世界では多少の違和感が命取りになる。方言にしろ振る舞いにしろ、気をつけなければならない事は山ほどあるのだ。


「…そんなに意気込む必要はねェよ」


テーブルに頬杖を付いてこちらをじっと見ていたローは、強張ったライの緊張を解すようにそう言って、


「……"仲間"を危険に晒すほど、俺は落ちぶれちゃいねェ」


そうだろ?と自分を通り越してローはペンギンを見やる。それを追うようにライが今度はペンギンに視線を向けるも、ペンギンは前を向いたまま動かない。


「……そうだな、」


船長のそれは、おそらく第三者からすれば仲間思いのいい言葉に聞こえるだろう。けれどもペンギンは、それに何か別の意味が含まれているのではないかと感じていた。船長が過剰にそれに気を張っているだけか。…それとも自分が、それに過剰反応を示しているだけなのか。


「……俺たちがついてる」


そうして彼女を安心させるかのように微笑んでペンギンはようやくライを振り返った。…船長だけじゃない。自分だって、彼女を危険には晒さない思いをその言葉に込めて。


「っ、」


振り返ったペンギンの表情は帽子に遮られ見えなかった。けれどもその下を既に知ってしまったライの目にはハッキリとその顔が映っていて、そういやペンギンかっこよかったなと思い出しては、連なるその言動に火照っていく身体。それは温かいお粥を食べたせいもあるのか、…それとも。


「…ありがとう」


それを誤魔化すように、ライもペンギンに微笑み返した。



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