「……何してんの?」
キッチンを出たライは二日酔いの気分を一転させようと、甲板へと足を運んでいた。
そこにいたのは、先ほどまで一緒にいたシャチとセイウチのコンビ。仕事があると言って出て行ったのに、二人は呑気に釣りをしている最中のようである。
「ライちゃん暇なの?」
「おう!お前も手伝え!!」
そうして渡される釣竿。…もしかしてこれが仕事なのかと問えば、二人はそうだと即答してきた。
キッチンの奥には小さな生簀があり常にそこに生きた魚を常備しておくのだが、取れる時にとっておくのが船上生活の常識だと二人は教えてくれた。次の島にいつ辿り着くのかもわからないこの旅で、食糧の枯渇は命取りになるからだ。
ただ波に揺られて進むだけが本業じゃない。自分達の命を守るのも、自給自足の生活も、彼らの仕事の内なのだ。これぞ海の上のサバイバルである。
心の何処かで海賊はお気楽なものだと思ってしまっていた為か、彼らも大変なんだなとライは改めて思わされた気がした。
「…ホンマにこんなんで釣れるん?」
「馬鹿にすんなよ!オレは昔これで海王類を釣り上げたんだぜ!」
「…まじで?!」
「……正確に言うと釣った魚を狙ってた海王類が一緒に飛び上がってきただけなんだけどね」
「……それ釣ったって言わないよね」
「…結果的には釣ったも同然なんだよ!」
それからシャチは、頼んでもないのに自分の武勇伝を語り始めていた。それを右から左へと受け流しながら、ライは釣竿の先ではなく、遠い水平線に目を向ける。
「……何もないね、」
目に映るは見渡す限りの真っ青な海と爽やかな水色の空、そこに浮かぶ白い雲のコントラストのみ。聞こえるも船が水を掻き分けて進む音だけで、それらは改めてライに実感させる。…自分は今、本当に海の上のど真ん中にいるということを。
陸の上だけで生活してきた自分にとって、こうして今海の上で―船上で生活していることは信じ難い事実であることは間違いない。便利だけが取り柄だった現世と違って、どちらかといえばこの世界は原始的だ。テレビも、携帯も、ゲームも、ナビも、何もない。洗濯だって手でするし、こうやって食材を自分の手で取ることが当たり前。
別にそれが嫌というわけではない。まだ幾日か過ごしていないが、不自由だとか不便だとかは全く思わなかった。男の中に女一人であることも自分としては不快でもなく、クルー達ともそれなりに分け隔てなく接する事だって出来ていると思う。
…けれどもまだ、自分はその風景に馴染めていないような気もしていた。溶けきれない根本的な"相違"がまだ、何処かに残っているような――
「次の島も見えねぇなあ。…あーーー早くつかねぇかなあ」
そう言って体を揺らすシャチに何かあるのかと問えば、セイウチが女遊びだと耳打ちしてきた。…やはりそっちか。ライは呆れたような溜息を漏らした。
「シャチくん、たまってるみたいだね」
「あたりめーだ!目の前に女がいるってのに、マジ生き地獄だっつの!」
「……それ本人目の前にして言う事ですか?」
「ライちゃん、そこ引くとこだよ」
「…え?」
ケラケラと笑い出す二人。こういう時恥ずかしがるのが女だろ、と逆に注意される始末。
可愛げがないのは重々承知だ。キャピキャピとはしゃぐ事だってもうこの年で出来ない…というより、した事なんてないのだが。だからといって下ネタに強いね、なんて言われても嬉しくはないのだけれど。
「僕はそんなライちゃんも好きだよ?」
「…さらっと告白したな、お前」
「……セイウチは皆にそうやって言ってそうだけど」
あ、バレた?とこれまたサラッと白状する目の前のチャラ男。…やっぱりコイツ、ろくな死に方しないと思う。
「……軽い男は嫌われるよ?」
「嫌われるのには慣れてるから大丈夫」
海賊なんてそんなもの。…いや、寧ろ嫌われるべきだ。そう言うセイウチの顔は、どこかノスタルジックだった。
「海賊に恋は、必要ないからね」
もし真剣に恋をしたいと思うならば、今頃海賊なんてやっていないとセイウチは言い放った。
海賊はこの世界では"悪"だ。それに関われば自分がどんなレッテルを貼られるのかこの世界で知らない者はいないし、そもそも海賊は弱みを作ってはいけない。その弱みはいつか邪と化す。その邪念は、いつか身を滅ぼす種になる。自身がそう感じなくとも、それは心に根付いて離れない。…それはやがて、自身の"死"に繋がるのだと。
「弱み、か」
「いい例…というか、大体が女だけどね」
女連れの海賊なんて滅多にいない。簡単にいえば足手まといになるからだ。死と隣り合わせの海で愛する者を危険に晒してまで連れ立つのは、並大抵の覚悟で出来ることではないだろう。…犠牲なくして夢は語れない。成り上がりたければ、それさえも捨てる覚悟が必要。海賊業に愛は不要なのだ。
だから女は一夜限りが丁度いい。言葉は悪いが、着く島着く島で使い捨てるのが一番なのだと。
女側からすれば最低な行為に見えるだろうが、妙にライは納得してしまっていた。海賊をやっていくと決めた覚悟。それは、周りを切り離す覚悟。愛だの恋だの関係ない。それは、…全ては自身の野望の為。
「……、」
「……ライちゃん今、僕の事かっこいいって思ったでしょ?」
「……ごめん、これっぽっちも思ってない」
クスリと笑ったシャチが、それは全部船長の受け入りであると言った。…やっぱりか。セイウチにはなんかしっくりこないセリフたちだと思ったわけだ。
確かにあの船長ならそういう事を言うだろうと思える。雰囲気からして女には固執しなさそうである。…性格からはさぞかし激しい遊びをしそうだけれど。
「…………、」
そうして頭に浮かび上がるもう一人の存在。…けれどもライは、その名を口に出来なかった。
ふと、気になっただけ。彼らやローとは正反対な性格の彼も、そういう考えを持っているのかどうか。…もしそうなら少しショックだな、なんて。そんなことを考える自分は果たして、彼に何を望んでいるのだろうか。
「…………つーか、全然釣れないんですけど」
…そう思うと何だかこそばゆくなって。ライはようやく、釣竿の先に目を向けた。