「――で?シャチはどれにするの?」

「…まだ決めかねてる」

「相変わらず決断力無いよね」

「るせーな!そう言うお前は――」

「……なぁ、だからウチの前でそういう話するのやめてもらえます?」


目の前のハイエナに冷たい眼差しを向けながらライは持っていたグラスをいささか乱暴にテーブルに置いた。
…言うまでもないが、彼らが話す内容はもちろん今夜のお相手の事。だいたいこの人達に選ぶ権利があるのかという疑問はさておいて、それを自分が聞かされているというよくわからない状況の方が今は疑わしい。


「…ライちゃんもしかして嫉妬?」


夕刻、それでも日がまだ水平線にその身を沈める前。ハートの海賊団は、とある一箇所の酒場に集い宴を開始していた。


「……セイウチの良い所は無駄にポジティブな所だね」


酒場の客はハートの海賊団の一味で埋まり、ほぼ貸切状態となっている。どこをとっても白白白ツナギの男達が、酒を片手に大笑いしている光景しかない。
それらの間にはしっかりと華やかな花が添えられていて、そのパステルカラー達がその白をより一層映えさせている…なんて聞こえ良く言っても、実際その目的を知っている自分にはカラフルに写らないのが惜しいところではある。

当初ライはローの隣に座っていた。別にそれが義務だったわけではない。同時に酒場に入り彼の後ろに着いて行けば自然とそうなる成り行きで、もちろんベポも一緒にいてライは2人に挟まれる形で暫くその場を過ごしていたのだが、


「僕はライちゃんでも全然オッケーだよ。いやむしろ―—」


時が経つに連れその場の居心地は悪くなる一方だった。ロー目当てに寄ってくる華たちが、自分を見ては棘のある視線をこれでもかというくらいに送ってきたのだ。
ライは少なからずその意味を察していた。お前は何者だと。何故ローの隣に堂々と居座っているのだと。言わずもがな、自分が邪魔なのだと。

まるでオセロのように正反対な彼女らの呼気と雰囲気は自分の肌には合わず、アレルギー反応を起こしたかのように身体が痒い。話にも入れない為ライは助けを求めるかのように時計に何度も視線を送っていたが、それは思った以上に進まない。
…そうして詰まる息に耐えられず最終的にトイレに行くと言ってその場を去り、シャチとセイウチの元へと逃げ今に至っている。


「でも、って何。むしろ何?」

「なあライオレにはどの子がいいと思う?」

「っウチに聞くな!」


まったくコイツらは。と呆れながら、チラリと一定方向に視線を泳がす。開放的な(寧ろ開放されすぎている)その場所に来たにもかかわらず、まるで癖のように視線が向かうは時計の針。
…何故こんなにも時間を気にしているのか。何故こんなにも、時が進むのが遅く感じるのか。


「……ライ、嫉妬?」

「ライちゃん、二股はよくないよ」

「……あのね、」


ライは既につっこむ事に飽きていた。この2人こればっかり。まったくもって本当にろくな会話をしない。
…だから、こういう時ペンギンがいたら。彼がここいにたらどんな鋭いツッコミをしてくれていただろう、なんて。


「……」


思っても口に出来そうにないそれは、自嘲げな溜息となって漏れていくだけだった。

彼は今何をしているのだろう。結局、どうしてもそれが最終的に頭の中を埋めつくしていく。そんな思考を時計の針にリンクさせても答えが出ない事も、そうして自分の心をこの場所に染めぬように自重しても、意味などない事も分かってるのに。
自分でも不思議だった。彼の事が頭から離れない事も、ずっと側にいたそれがいないという不安感よりも、寂寥感が大きい事も。…本当は、彼がここにいなくて良かったという思考の方が強い事も。それは彼が両手に花を添えている所がイマイチ想像出来ないからではなくて、そんな彼の姿をこの目で視認してしまうのを拒んでいるかのような――


「……てかさ、2人ともウチの側にいると女の子寄ってこないんじゃない?」

「寄ってきたのはライの方だろ?」

「……あ、そか、」

「だから僕はライちゃんでも―—」

「丁重にお断りさせて頂きます」


嫌味ったらしく舌を出しセイウチに拒絶反応を示す。彼のいらない発言によって呼び戻された思考回路がそろそろこのハイエナどもからも離れた方が良さげなことを示唆しだしたので、ライはまた新たな逃げ場を求めて後ろの景色を振り返り、さて次はどこに行こうかと視線を動かすも…先ほどまで映えていた白はいつの間にかそのパステルに染め上げられてしまっている事に気付き顔を引きつらせた。
無論それに自分は染まりにいけない。出来上がっている彼らに乗り遅れた形の自分はそのテンションには付いていけそうもない、…というよりついていきたくもなく。

先ほど以上にその空間は別世界のような気もして、そうして体が覚えるはそこに自分がいるという違和感。


「……ウチ、船に戻ろうかな」


それはこの場から逃げる為の戦術か。…それとも頭に巣食うそれを思うが故の、ただの口実か。


「何でだよ」

「「?!」」


その静かな呟きに答えたのは、そこにはなかった第三者の声。それに気づいたシャチに有無を言わさず…いや、暗黙の了解と言うべきか。その権力者はシャチを端においやり、ライの隣へと腰を下ろした。


「船に戻ったって何もねェだろ」

「…………この温度差は体に悪い気が、」

「何だお前、体調悪いのか?」

「っていうか船長何でこっちきたの?」


交わらない会話のどれに答えるべきかわからずライが黙っていると、先に口を割ったのはロー。どうやら彼は寄ってたかってくるパステルに嫌気がさしたらしく、こっちに逃げてきたらしい。
せっかく自分が逃げたのにこれでは逆戻りではないかと思って気付く、また棘のように背後から刺さる痛い視線。…美しい花の棘は痛いだけでなくしつこいらしい。何も悪い事はしていないはずなのに、ライは余計にこの場から離れたい衝動に駆られる事となった。

そうして一つため息を漏らせば、シャチが宿に送ってってやろうかと言い出した。彼は自分の発言をそのまま受け取ってしまっているらしく、本気で体調が悪いと思ってしまったようなのである。
確かに船に戻る必要性なんてどこにもない。宿の方が近いわけだし、それがこの場での正当な選択であることだって重々承知である。


「…………」


チラリ。目を向けた瞬間何かの合図のように、時計の鐘が一定の時刻を知らせ鳴り響いた。



***



「……」


チラリ。もう何度目を向けたかわからないそれの長針は先ほどから殆ど進んでいない。それに幾分しらけてしまった自身の思考回路は考えるという動作をやめ持っていたペンをクルクルと弄び出し、そうして逸れる気は既に蚊帳の外。静寂に包まれたその場で鼓膜を震わす自身の溜息は、最早ヤル気を削ぐBGMでしかなくなっている。
…せっかく練っていた海図は紙に写されずにそのまま自分の頭の中に留めておくことになりそうだと思いつつ、ペンギンは諦めたように椅子の背もたれに倒れこむように寄り掛かった。


「……」


チラリ。そうしてまた時計に目を向ける。規則正しく動く短針と長針を交互に通り越していくそのリズムを、ただただ目で追う。曖昧に、しかし、明確に。その規則性にまるで暗示にかけられたかのように、ペンギンはずっとそれを眺めていた。
あれから何時間経ったのだろう。クルー達がいなくなった船内で、それでもペンギンはいつも通りの日常を過ごしていた…つもりだった。

なんて事ない一日だと思っていた。今までだって船番は何度かした事があるし、別にそれを疎いと思った事はない。いつも騒がしい船内が急にひっそりと空き家のようになる事にだって、哀愁を感じるほど寂しがりやでもない。


「……20時、か――」


何故か今日は時の進みが遅い。こんなにも時を持て余すような感覚を船番に感じた事などなかった。暇があれば時計に目を向ける目も、思った以上の仕事をこなさず動こうとしない体も。何もかもが、どこかうわの空で。
体調が悪いとか今日は疲れていたとか面倒臭いとか、そんな理由ではない。何か違う。何が違う?…いや、気づいていた。なんてことない今迄の日常と、根本的に自身の心を占めるものが違っていることになど。


「――ペンギン、交代だぜ」

「……っあぁ。悪ィ」


突然のクルーの呼びかけに我に返ったかのようにスッと時計から視線を逸らし、返事と共に顔を向ける。少し驚き気味だったであろうそれに、けれどもクルーはさほど気にもとめずに眠いと一言呟いて去って行った。

毒気を抜くように長い息をはきながら、ペンギンは腰を上げた。時計のリズムの呪縛から完全に覚めるように髪を無造作に掻き毟り、トレードマークの帽子を被って扉へと足を向けた。


*


甲板にに出れば、ふわりと柔らかい風が一つ頬を撫ぜる。室内とそれほど変わらない気候だが、開けたそこは幾分か心地良く、篭っていた自分の空気を新鮮にしてくれた。

そうして暗い夜空に慣れた視界が、星空を映し出す。パノラマのように広がるその世界は今までだって見た事がある。何度も、何度も。だから、暗闇に光るそれはいつ見ても幻想的だと思って終わる思考は、…それでも、今日は続きを見せる。

彼女が見たらなんて言うだろうか、なんて。


「……」


野山に咲いたそれはまるで一輪の花のように、今やそれはこの日常に自然と、しかし確実に存在している。同じ船に乗る仲間という事実上の意味だけで捉えていれば他のクルーと変わりない存在。…それが今日、たった数時間船を降りているだけの状況。なんて事ない日常で違うのはそれだけ。それだけだ。
なのに、彼女は今どうしているのか、なんて。それまるでシャボン玉のように、パッと浮かんでは消える思慕。時計を見ては繰り返されるそれは、初めて我が子を遠出させたような親心のようなものなのだろうか。ある意味でこの世界を知らない彼女を、ただただ煩慮するが故の了見か。…自身の胸裏を埋め尽くし続けるその存在は、はたして自分に何を訴えているのだろうか。


「……」


輝く星空を眺めながら、見張りのお供にと持ってきて居た酒を喉に通す。時間から考えて今頃酒場で皆呑んだくれている事だろうから、自分もここでひとり酒…なんて考えながらもやはり心を占めるは彼女の事。楽しくやっているだろうか、とか。セイウチやシャチに変な事されていないだろうか、とか。また潰れてしまってはいないだろうか、とか。


「…馬鹿か、俺は――」


そうして吐く長い息に、蟠った心の内を乗せる。俺も世話焼きになったな、と軽く言い訳をぶつけ、やや強引に瓶に口を付け酒を流し込んだ、


「――…っ?」


その時だった。僅かに遠方から聞こえた、何かの音。ペンギンは立ち上がりその方を見やると同時、すぐさま腰に備えていた銃に手を添えた。暗闇の中で靄がかかったかのような景色の中に確かにある気配と動くナニカがあるのを捉える。敵襲かと少し身構え、ペンギンは最大限に視界を凝らした。
けれども、土石草を踏みしめる確かなそれは敵襲にしてはあからさまな音すぎる気もして。そうして少しずつ気が緩み出した時に、その姿はようやくペンギンの視界に飛び込んできたのだが。


「……っ?!」


進まない時が、気にし続けていた時が、焦らされ続けた時が、ついに静止を要す。

声にはならなかった。まさかそんな、ついさっきまで心の中に存在していたものが目の前に現れるなんて思ってもいなかったから。



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