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「――ごめんなライ、手伝わせちゃって」

「全然いいよ」


やたら自分の体調を気にしてくれるシロクマにどんどん罪悪感を募らせながら、ライはベポがしていた船のメンテナンスを手伝っていた。

シロクマがメンテナンスなんて物凄いギャップ感満載だが、メンテナンスというほど大袈裟なものでもなく、ただ船に破損がないか点検しているだけ。ベポはこの船の船大工でもあるらしく、それぞれが戦闘員と何かを兼業しているのだという。


「ペンギンは優秀な航海士なんだ」

「…うん、なんかそんな感じする」

「シャチやセイウチはこれといって特にないけど」


あれはただの戦闘バカだからねと、ベポの口からとんでもない悪口が発せられた。


「…………ベポはさ、」

「ん?」

「……何で海賊になろうと思ったの?」


戦闘バカと聞いて、思い出される先程の光景。それでふと聞いてみたくなった、この傍から見れば愛らしいシロクマがそれになった理由を。
"海賊"になってまで果たしたい目的があるのなら、"海賊"としてでしか成し遂げられない事があるのなら。…あの海賊にもそういった何かしらの"理由"があったのなら――


「…キャプテンについて行くって決めたから、かな?」

「……、それだけ?」

「うん。キャプテンを海賊王にするのがおれの夢だからね」


あ、あとメスのクマに出会うことも。と付け足されたそれをライは聞かなかった事にした。
実にハッキリしていて、シンプルな答え。きっとそれが普通で、立派な理由だとこの世界においては称えられるのかもしれない。


「……そっか」


あの海賊にもそういった何かしらの"理由"があったならば。あれがその野望の為に必要な布石だったならば。…それで自分が納得出来たら、それでよかったのに。

ライの心でまだ解けきらない"何か"。
…その存在に自身が気付くのに、そう時間はかからなかった。


*


その日一日、ライはベポと共にいた。時折シャチも加わり、たった3人だけれど今まで過ごしてきた日常のような時間を送れば、いつしかライの顔にも笑顔が戻っていた。

しかし、ライは決して1人になろうとはしなかった。常に2人の傍にいて、些細な事でも手伝うようにしていた。2人ともライがそうすることをなんとも思っていないようだし寧ろ好意的に捉えていてくれて(シャチには逆に扱使われたが)、ライがそれを―あの時の事を考える時間は徐々に少なくなっていた。…いや、それが頭の中を占める割合が少なくなったと言った方が正しいのかもしれない。


「…今日は雲が多いね」

「残念だなー、明日は雨かな――?」


そうして今は、ベポと一緒に見張りをしている。薄くかかっている雲が星の明かりをうやむやにし、今宵は昨日よりも一段と暗闇が濃く見え、昨日見たあの満点の星空は今日は見れそうになかった。
そうして少しメランコリックな表情で真っ暗な海を見つめる。昨日の今頃その光景を一緒に見上げた彼は今、何をしているのだろうか、なんて。


「…………」


それと同時。彼を思い出せば必然―にはしたくないが、勝手に思い出される昼間の出来事。…それをライはニヒルに無理矢理頭の奥へと押し込んだ。
ひょっとした隙間から、まるで湧き出るように次から次へとフラッシュバックする光景。


「…今日は冷えそうだなぁ。ライそろそろ部屋に戻る?」

「……ううん、平気。…ここにいる」


ふと思い出したその瞬間をシャチやベポに悟られてはいけないと、無駄に気を張って過ごしていたのも事実。いつまでもそれに囚われ続けないよう、仲間の前で平然を装う努力をする事で、それを忘れる事が出来ればそれで良い。…それが"慣れる"ということに繋がればいいと、この時はまだ思っていた。


「……眠たくない?」

「…んー。眠い、かも」

「…寒くない?大丈夫?」

「大丈夫。ここにおりたいし――」


ライは笑って答えたが、この時ベポはようやくライが1人になるのを頑なに拒んでいるように感じた。
ただそれが自分と一緒にいたいと思ってくれているが故ならば大歓迎なのだが、それでも昨日は体調が悪くて船に戻ってきているわけであって(ベポは今だそれを信じている)、だとしたら一層彼女をここに置いてはおけないような気もして。


「……――」

「…………ライ?」


暫くベポは悩んだが、そうこうしているうちに夢の中へと落ちてしまったライ。困ったなと思いつつも、ライの寝顔を見たら起こすも気が引けて。ベポは自身の肩にもたれかかる彼女に気を遣いながら、真っ暗な空を仰ぎ見た。



***



「――…あ、」


それから数十分たった頃。船に近付く黒い影をベポは捉えていた。この暗闇の中ではそれが誰か見当がつかないだろうが、"匂い"で彼はそれを把握する。…さすがは動物、というべきか。


「キャプテン、おかえり」


少し控えめにそういうベポをらしくないとは思いつつ、ローは辺りを見回しながら船に乗った。


「…どうしたの?」

「……街にも飽きたんでな。今日は船で――」


言いかけたローの言葉は、ベポの足元に転がっているそれに目が向けられた瞬間に止まっていた。


「……ここで寝たら風邪引くって言っても聞かないんだ」


ローがワケを問いただす前にベポはそう言った。きっと怒られると危機を察知したのだろう。少し冷え込んできたこの寒空の下で女を床で寝かせている状況は、さすがの船長でも頂けないだろうから。
困ったように言うベポの言葉にウソはないとローは思う。…そうしてまで彼女がベポから離れなかった理由など、簡単に察しがつくからだ。


「……仕方ねェな」


そういってローはゆっくりとライを抱き上げる。そうしても起きない彼女はよほど眠かったのか、…疲れていたのか。


「お前も…ってクマは寒くねェか」

「クマでスイマセン…」


ふっと一つ笑って、ローは見張り台を後にした。


*


「――……っ」

「……起こしたか」


そっとライをベッドの上に下ろしてやれば、ようやくその浮遊感に気がついたのかライは薄っすらとその瞳を開けた。…しかし寝ぼけ眼なのか、ライはフルフルと首を横に振りながら寒さを凌ぐように布団の中へと潜っていく。


「……ライ」


いつもライはローに背を向けて寝る。ローが本を読んでからベットに入ろうが関係なく、寝返りを打ってそのままローの方を向いて寝てしまっていても、気づいてすぐ彼女は背を向けるのが常だった。
…しかし今、ローの目の前にいる彼女は、しっかりと自身の方を向いている。思いもよらないその行動の裏にある理由はきっと、自分の都合の良い方向には無いのだろうけれど。


「……まだ、怖ェのか」


ポツリと放たれたその言葉に、ライからの反応はなかった。けれども今尚背を向けようとしない彼女のその応対は、無言の肯定と言っても過言ではないだろう。


「……、」


"恐怖"など、自分はとうの昔に忘れてしまった。恐怖を感じる者は弱者であるとこの世界では見なされる。それを持ったまま海賊になんてなれやしないし、やっていけない。
だから今のローにとって、彼女のその感覚を理解する事は難しいに値する。忘れてしまった感覚を思い出すには、それこそ"慣れ"が必要だろう。だからといって今さらそれをわかろうとも思っていない。彼女のそれを共有してやるような思いやりは、今のローにはないのだ。

きっと自分がそれを思い出す事などこの先ない。ローはそう、確信していた。



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