「――……」
温かい何かに包まれているのを感じて目を凝らせば映る白いシーツに、見覚えのある部屋の場景。ハッとして辺りを見渡せば、やはりそこは自分がいつも寝床にしている場所だった。
いつの間に戻ってきたのだろうかと、ライは昨日の夜の事を思い出す。ベポと一緒に見張り台にいて、そこで眠たくなって。…その後の記憶はない。わざわざベポがここまで運んでくれたのだろうか。
――コンコン、
「!」
「――ライ〜…あ、やっと起きた!」
ノックとともに開いた扉の向こうから顔を出したのは、今さっき頭の中に浮かんでいた人物。もうお昼だよと言って笑うベポの声でライは咄嗟に部屋の時計に目をやった。すっかりそのてっぺんを超えている短針に、あぁ寝すぎたと軽く反省する。
「もうじき出港するよ。今回は海の中を進むんだ」
「…海の中?」
「この船はなぁ〜潜水艦でもあるんだぞ!」
すごいだろ!なんて目を輝かせて言うベポに実は知ってましたなんて口が滑っても言えず、ライは驚くふりをした。
ただの気分で海に潜るなんてそんな気まぐれな命令をあの船長が出すとも思えず、考え付くのは何か"不都合"な事があったのではないかという事。海賊船にとって不都合な事なんて、そうしてたどり着く答えは一つしかないのだけれど。
「……海軍でもいるの?」
「え?…あ、うん。……察しが早いね、ライ」
何故かしゅんとなるベポ。どうしたのかと問えば、船長に海軍の事は自分に言うなと口止めされていたらしい。その理由をベポは知らないらしいが、船長命令なのに結局言ってしまったと、従えなかったその命に罪悪感を感じ始める彼が何だか惨めに見えてきたので、ライはそれを聞かなかった事にしようと思った。
「キャプテンは無駄な戦闘はしない主義だからね」
「……無駄な戦い、かぁ」
「海の中を進めるってなかなか便利だろぉ」
「…そうやな」
…何かが、ひっかかっている。きっと昨日から抜けていない棘もそうだが、寧ろそれに重なるように何かが自分の中に一抹の不安を残している気がした。
けれどもライは特にそれを気にかけようとはしなかった。お腹が空いた、と逸れた方向にベクトルを向けて、着替えるためにベットからようやくその重たい腰を上げた。
***
遅くなった朝食をアザラシに謝罪して、ライはまたベポと共に行動していた。
特にする事もなかったので、廊下にある小窓から海の中を2人で覗く。
初めて見た海の中はまるで天然の水族館のよう。透き通った青い水も、その中で泳ぐ生き物たちも、まるで幻想のようだった。
「…すごい、キレイ」
「な!おれ星空も好きだけど、海の中も好きだなぁ」
この世界は綺麗だと、素直にそう思う。上空は輝きに溢れ、海底は神秘に満ちている。こんなにもこんなにも、人を感動させるものを持っているのに。
…その狭間にある空間は――
「……、」
…あぁ、だからきっと人はそれに引きつけられるのだろうか。見上げてそれに心奪われ、見下げてそれに心惹かれ。…"キレイ事"ばかりで世界は成り立たないのだと、教えてくれているのかもしれない、なんて。
「――あ、ペンギン」
ベポの声で振り返れば、そこにはこちらへと向かってくるペンギンの姿。…そういえば結局あれから顔を合わせておらず加えてあの時のお礼も言えていないと思ってしかし、何だか気恥ずかしくなって顔を逸らす。
あの時は自分を保つのに精一杯だったから気にもしていなかったのだが、よくよく考えれば大層な事があったと思う。取り乱したところを見られた事もあるし、まさかの二度目のお姫様抱っこ。あの時感じた感情は恐らく―いや確実に一度目の時とは――いや、必死だったから覚えていない事にしておく。
「…おはよ、」
「あぁ、おはよう。…………ベポ、ちょっと外せ」
「?なんで?」
「…いいから」
「…?」
ペンギンにそう言われて、ベポはしぶしぶその場を去った。ライも何故ペンギンがベポを追いやったのかわからなかったが、
「……もう、大丈夫なのか?」
ベポが去ったのを確認して刹那、それでもペンギンは小声でそう言った。その言葉で甦る昨日の惨事は…けれども大分色褪せているような気もする。
「うん、大丈夫」
「…そうか、ならいいんだ」
ペンギンは安堵したかのように一つ微笑んで、小窓から外を眺め始める。ベポがそれを知らない事を船長から聞いたのかは定かではないが、彼を外したのはそれなりのペンギンの気遣いだろうか。
「……」
彼は、とても優しい人だと思う。今にそれを感じたワケではない。この世界に来た時からずっと彼は自分に親切だった。クルーの中で一番に自分を気遣っていてくれて、それでいて、自分が一番――
「…あの…ありがとね」
「?」
「その……ペンギンがいてくれてよかったな、って思って」
「っ!」
言って恥かしさを増した顔を見られたくなくて、ライは小窓にべったりと張り付いていた。
自分はこの船の中で一番彼を"頼り"にしている。だから彼と離れると不安になったり、彼といると安心したりするのだと思った。副船長という肩書きがそうさせているのではない。彼の言動やその全てがそう感じさせてくれているのだと。
「…………」
ライのその言葉にペンギンは何か返そうとして、しかし口を噤んでしまった。
外の幻想に見とれる彼女を見たら、自然とあの時の―内の現実を目の当たりにした彼女の姿が浮かんでしまって。
…そうしてその時感じた"相違"と自身の"怯儒"に阻まれて。結局ペンギンは、何も言えなかった。