13



――あれから、二日の時が過ぎていた。


暫く海の底を走っていたハートの海賊団は、次の島を認識してからようやく海の上へと戻っていた。
ローが懸念していた海軍との接触もなく、船はまた今まで通りの―"平和"な航海を続けている。


「次の島はどんな島かなぁ?」

「…うーん、どうかなぁ…」


釣竿を海へ向けながらベポは、やはりどこか楽しそうな面持ちを見せる。その見えない糸の先に視線をずらしたライは、今度ばかりはその楽観的思考に賛同できそうになくて言葉を濁す。


「メスのクマいねぇかな」

「……ベポはそればっかやな」


クスリと笑いながらも、寧ろその方が好都合かも、なんて。次はどんなモノが待ち受けているのかという期待心よりも、今やそれは保守的な思考に変わっていた。次の島でもまたああいった事が起こる可能性は否定できない。…寧ろ、その可能性の方が強い。
そんな思考に苛まれながらも、表情には決して出さぬよう努力した。…皆が楽しそうにする中で一人沈んでいてはいけない。そう、思ったから。


「――残念だが、いないだろうな」

「「!」」


振り返ればそこにはペンギン。彼の言葉に一蹴されて凹むベポを宥めようとするライの隣に並んだペンギンはどこか神妙な面持ちで、


「……次の島は少し厄介だ。…ライ、お前は降りない方がいい」


項垂れるベポには聞こえないような小声でそう言った。その声色と先ほどの表情から、きっと次の島が何らかの危険性を持っているのだと悟って、少し身構える心。
そうして忠告してくれるという事は、彼はまた自分を気遣っているのだと思う。自分がまたああいった目に遭う事を憂慮して、事前にそれを回避するために。

そうして彼の気遣いに甘えてしまえば、自分はまたこの船の中で平穏無事に過ごす事が出来るだろう。この世界の真髄を知ることなく、その上辺だけをなぞって。

…しかし。


「――なにやってんだ。上陸の準備をしろ」

「っ!」


愛刀を肩に担いだローが自分たちの元へと歩み寄り、そうして今だ項垂れるベポをそれで小突く。ベポはようやく正気に戻って、結局獲物のかからなかった釣竿をせかせかと片付け始めていた。


「早くしろよ……ライ」


そんなベポを横目に見やり、次にその眼が向かった先はライ。その言葉が指す意味が分からない訳ではない。けれどもそんなローに対してペンギンは、どこか腑に落ちず―いや、確実に不満を抱いていた。

ライはクルーだが、海賊でも戦闘員でも何でもない。船長が一番それをわかっているはずなのに、そんな彼女をわざわざ危険の渦に飛び込ませるような真似をして、何の意味があるのだろう。それに彼女を危険に晒さないと言ったのは、船長自身ではないのかと。

そうして問いただす前に一つ頷く影が目の端に映り、ペンギンは驚いてその影を視界に入れる。
…真っ直ぐな瞳を船長に向けるライが、そこにはいた。


「……、」


視線を交わらせる2人の間に何があったのか、ペンギンは知らない。けれどもこの時ペンギンは何かしらの憂苦を感じていた。2人が懇ろになったなんて微塵も思っていない。けれどもその"距離"は確実に、前に比べて格段に変わっていると思った。…自分が、それに戸惑っている間に。

ローはそれ以上何も言わなかったけれど、ライは彼の言った言葉の意味をしっかりと理解していた。この世界に"慣れ"なければいけないから、そのチャンスを与えてくれている。複雑な心境を抱えた自分の背中を彼が押すのは、全部自分の為なんだと。
初めに誓った筈だった、積極的になろうと。それは何に対しても当て嵌まる。この世界では受け身でいてはいけない。この世界で生きる為には、それが必要なんだって。
そうして"慣れ"れば、最初がそうだったように島に行くのが楽しみになるだろう。怖気づいてずっと船で待機よりは、皆といろんな島を回って一緒にその時を過ごす方がずっと良いに決まっている。


「……ペンギン、ウチは大丈夫だから」

「……」

「…ペンギン?」

「っ、あぁ、悪ィ――」


だから、彼らとの"相違"を作ってはいけない。そう、思った。


「…絶対俺たちから離れるなよ。いいな?」

「うん」


…けれどもその"相違"がもっと根深いところにあることを、ライは気付いていない。

それは焼き付けられた印のように。この世界にくる前からそれを持っていた事でさえも、ライは置き忘れてしまっていた。




***




「――荒れてるねェこの街は」


辿り着いた島がこの前の島に比べて治安が悪そうなのは、ライが見ても一目瞭然だった。別に建物自体が古臭いとか、薄気味悪いとかそういった意味ではない。港に止まっている船の多さや、その船の帆に掲げられたマークがそれを物語っているのだ。…ペンギンが厄介だと言ったのは、この島が海賊たちの駐屯所のようなものだからだろう。


「…船長、変に暴れたりしないでくださいよ」


ライはペンギンとロー、そしてアシカとベポの5人で行動していた。どこからともなく聞こえるのは楽しそうな話し声や笑い声ではなく、怒号やモノが壊れる音。…あぁ激しいですね、なんて他人行儀に思えるならまだ自分は余裕があるのかもしれない。


「……あァ、わかってる――」


隣にペンギン、そしてベポ。前にはロー、そして後ろにアシカという何故か自分を取り囲むような布陣を敷きながら歩く。だからライがそこまで恐怖に支配される事はなかった。…この4人がいれば心強いなんて、言わずもがなであろう。


「…メスのクマ――」

「っこんなところにいるかよ。つーかおめェに嫁なんてこねェよ!」

「……しゅん」

「アシカさん、ベポが可哀想…」


…そんなたわいもない話をしながら、いつしか5人は街の中心部に来ていた。

その場の騒がしさは一段と増していた。殺し―とまではいかないが殴り合いが勃発していたり、言い争いをする者たちで溢れかえっていたりしている。何て短気な。もっとこう、穏便に過ごそうという気がないのだろうか…いや、無いからこんな事になっているんだな、と彼等がそうする理由を無意識に詮索して思考を逸らす。
目をも逸らしたいほどの場景もあったが、ライはグッとそれに耐えていた。


「……ライ、大丈夫か?」


そんなライにペンギンは気づいていた。腕を組んで歩くライは傍から見れば堂々としているようにも思えるが、それはただの防衛本能からくるものだろう。彼女は今自分で自分を守っている。その喧騒から。その、憂懼から。


「……うん、平気」


そうして向けられたライの顔には笑みが零れていたが、きっと自分に心配をかけまいと無理をしているのだと思った。…そうしてやはり思うのは、何故船長は彼女をここへ連れてきたのかという事。けれどもペンギンがその疑問を問いただすことは、出来なくて。

ペンギンの脳裏をまたと過る、あの時の―怯えたライの姿。…何故それが常に付きまとうのか、なんて。
とうの昔に気づいている気もした。ただそれを今まで具象化してこなかったのは、自分が――


「――よぉ、」

「「「!!」」」


その時だった。前を歩いていた船長がピタリと歩みを止めた事に気づいてペンギンも連動するようにそれを止める。…そうして目の前に現れたのは、ライも良く知るある海賊だった。



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