「っ!」

「……ユースタス屋じゃねェか――」


燃えるような赤髪に、妖艶に弧を描く真っ赤な口。某陛下を思わせるその風貌は、その世界で何度でも見た事のある―ユースタス・キャプテン・キッド。
まさかこんなに早く出会うとは思ってもいなかった。…というより出会いたいなんて思ってもいなかったけれど。

後に新世界のルーキーとして名を馳せる2人が対面している事でライは違った意味での畏怖を感じていたが、しかしローがその場の空気を変えるような殺気を放つような事はなく、ペンギンも船長のそれに少し安堵を見せていた。ここにライがいることをわかって船長がそうしているのかは定かではないが、この街で自分たちが騒動を起こすとなるとそれこそ厄介な惨事に成りかねないだろうから。


「お前ら…随分と暴れまわってるらしいなァ」

「…そりゃどーも」

「褒めてねえ!!…っチ、相変わらずすかしたヤローだ――?」

「…?」


その時だった。ローと話していたキッドの視線が突然こちらに向いて、そうして交わった視線。まさか目が合うなんて思ってもいなかったが、そこにライが恐怖を覚える事はなかった。…何故かはわからない。彼もまた、自分が"知っている"人物であるからかもしれない。


「…へぇ、女連れとァーいい御身分なこって」

「あァ?」


そうしてその視線が自分を吟味するようなものに変わっていって、どこか恥ずかしさを感じたライはそろりとローの背後に隠れる。彼の興味がそのまま自分に向けられるなんて思いもよらない。…というより、こんな公共の場で自分に探りを入れられるのは御免被りたいのだが。


「こいつはただの雑用だ」

「ただの雑用ねェ…」


いい加減話題を変えてはくれないだろうかと、ライの心内が違った意味でドキドキしっぱなしになっていた…その時。


「――ぎゃあああ!!!」

「「!!!」」


聞こえてきた叫び声に目を向ける間もなく、自分たちの目の前に飛んできた巨大な何か。よくよく見ればそれは人で、幾分転がって、そしてそのまま動かなくなって、


「…!?」

「――あァ、悪ィ悪ィ」

「…誰だテメェ」


それはローもキッドも、そしてライにとっても知らない顔だった。飛んできた巨体の男よりもはるかに大きな身体をした海賊が1人、そこに現れたのである。


「俺を知らねェか?…俺もお前らの事は知らねェけどなァ?」

「…あァ?やんのかテメェ?」


煽られたキッドは既に戦闘態勢を取り始めており、ペンギンはそれを見てあからさまに大きく溜息をついた。好戦的なのが彼の取り得なのだろうが、自分たちまで巻き込まれるのは御免被りたい。なんせここには"一般人"―ライがいるからだ。


「…………行くぞ」


その思考は船長も同じだったようで、火花を散らす彼らを余所にそそくさとその場を去ろうとした。…のだが。


「おい!トラファルガー!」

「逃げるのか?」


カチン。逃げる。誰が。俺が?と何故かその言葉に勢いよく反応してしまったローは、ピタリとその足を止めた。こんなところでキッドと戦闘をする気は毛頭なかったのに、その巨体が自身を煽る。そして海賊を前にして逃げるなんて事本当はローのプライドが許すはずもなかった。


「…………ペンギン、ライを安全な場所へ連れてけ」

「!」


…あぁ、船長にまで火が付いてしまった。ペンギンはどこか諦めたような溜息をつき、そうしてアシカとベポはしぶしぶ戦闘態勢を取る。ライはただ、今の状況について行くのがやっとだった。


「……ライ、行こう――」


ペンギンに背を押されながら、ライはその場を離れた。
…彼らの背中を、時折振り返りながら。



***



「――いらっしゃい」


ペンギンがライを連れてやってきたのは、先ほどの場所から少し離れたところにある、小さなBARだった。

最初は船に戻る事も考慮していた。やはりそれが一番安全策であろうから。けれどもあのキッド海賊団と得体の知れない巨体と一戦を交えるとなると、自分もそれに応戦しなくてはならないだろう。…それを思えば船に戻る時間が惜しかったのだ。


「…2人かね?」


そうしてそこに入れば、カウンターの奥に女が2人。中に客は1人もおらず、寧ろ好都合だとペンギンは思った。


「すまないが、この子を預かってくれないか?」

「……アンタ、海賊かい?」

「ああ。…でもこの子は違う。今ちょっと外で騒ぎがあって…巻き込まれそうになってたもんで助けたんだ」


だからしばらくの間だけここに置いてほしい。ペンギンがそう言えば、女はニヤリとその顔を歪める。


「海賊が"善意"を働くなんてねぇ」

「…たまにはな。……とにかく頼んだ」

「はいよ」


その返事を聞いたペンギンは一つ息を吐いて、ライに向き直った。


「すぐ戻る」

「……うん」


先ほどの事もあってか、まだどこか強張ったままの表情の彼女。それを溶かすかのようにペンギンはライの頭をポンポンと撫でる。
そうしてライがペンギンを見つめ返せば、安心させるように笑みを浮かべてくれている彼と、目があって。


「……気をつけてね」


だから、自分も。彼を安心させるかのように精一杯笑って見せた。

…本当は行って欲しくなかった。抗争がこの場でなく外で起こっていたとしても、彼らがいたから感じなかった恐怖が1人になればすぐに自身を支配しそうだったから。


「あぁ」


けれどもライはそれに堪えた。離れる際にペンギンが残していってくれた笑みが、大丈夫だって言ってくれている気がしたから。ここで彼を引きとめてしまっては、自分は"慣れ"る事が出来ない。せっかく今まで耐えてきたそれを無駄にしてしまっては意味がない。彼らだって戦っている、自分だって闘わなければいけないのだと。


パタン、


そうして扉が閉まったと同時。静寂に包まれる空気。


「……」


しかしその空気はペンギンがいた時よりも、どこか張り詰めたように息苦しく感じた。


「外が随分と騒がしいねぇ」


…けれどもそれは、今までそこにあった"安心"が無くなった為の、ただ単に今の自分が置かれている状況に則したモノなのだと。初めて入る店に多少緊張感を持って入るのと同じだと、そう思考をずらす。
…だってここは、ただのBAR。


「…"喧嘩"、してるみたいですよ...」


この島はいつもこうなのかと問えば、日常茶飯事さと女の人は笑って言った。そうして煙草に火を付けて、一つ煙をライの方に向けて吐きだす。
一瞬白くなった女の人と自分の間。


「…………久しぶりの、上玉だね」


そうして吐き出された煙と同時にポツリと放たれた女のその言葉は、ライの耳にハッキリと届いていた。
しかし、その意味―真意はすぐには理解できなかった。それはただの自分を指す形容で、その人はただのBARの店主で、自分を匿ってくれているいい人だからなにも怪しい事なんてない。そう、言い聞かせた。…否。そうすることでしか、今の自分を落ち着かせる事が出来なくなっていて。

けれども刹那、ライの考えは呆気なく崩される。…煙が晴れて見えたその表情に、張り付くような笑みを女が浮かべた為に。


「……っ、」


ゾワリ、と背筋を這う何か。それはこの島に入った時からあったはずの、けれども彼らと共にあった時には感じ得なかったセンシビリティ。
ライの足は震え始めていた。…あぁ、こんなところにもそれは転がっているのだと。ここに安全な場所なんてないのだと、思い知らされた気がしたからだ。


「――おっと、」


震える足を一歩引き下げた時。カチャリ、という機械音がやたらその場に響いた。
目に飛び込んできたそれは、刑事ドラマなどでよく見た事のあるモノ。…けれども現実では見た事のない、モノ――


「もう帰るのかい?……遠慮せずに、座りなさいな」

「…っ、――」


…ドクドクと、上がる鼓動。向けられたそれから目を離せずに、ライはそこから微動だに出来なかった。



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