「――…!!」


ペンギンがその場に戻れば既に事は始まっており、先ほどあった情景はもう皆無。…派手に暴れているな、なんて。久しぶりのそれに船長が余力を存分に使っている事がよくわかる。ライがいない分、彼がこの場に配慮する事なんて微塵もないからだろう。


「――ライは」


そうして船長の元へ行けば、第一声のそれ。けれどもこの時ばかりは、ペンギンがそれに気を取られている暇などなかった。


「…近くの店に預けた。…この状況を俺も見て見ぬふりは――」

「何だ?この俺が負けるとでも思ったのか?」


楽しそうに船長が笑う。…そうでなくても彼の表情はいつも余裕に溢れているが。


「……誰がそんな事、」


そんな心配はしていない、船員でそんな心配をする奴なんざいないだろう。
…実を言えば、ペンギンはかなり迷っていた。

彼女の側にいてやりたいと思う意思と、船長を守らなくてはならないという海賊としての意志。どっちを優先すべきかなんて、きっと考えなくともペンギンの中で答えはハッキリしていたにもかかわらず…けれどもペンギンはその意思を置いてきてしまった。"海賊"としてあるべき姿を自分が失ってしまえば、船長やクルーに示しがつかない。第一に自分は海賊であることを、忘れてはいけない気がしたのだ。


「…ったく、何の為にお前を行かせたと思ってんだよ?」

「…?」

「アイツの傍にいてやれ。……船長命令だ」


…まさか、そんな事。船長の口から出てくるなんて思ってもいない所為か、思わずペンギンは手を止めた。


「…おいおい、戦闘中に男の顔を見つめる奴がどこにいんだよ」

「…っ」

「アイツはよく頑張った方だ。……今頃その反動が来てんじゃねェか?」


"頑張った"というその意味。今まで疑問を抱いてきた数々の船長の意向。その本当の意味を、ペンギンはこの時ようやく悟ったのだった。

ライがこの世界のそれに"恐怖"を感じていることなど、船長は最初から気づいていた。それでも彼女をここに連れてきたのは、彼女にその免疫を付けさせる為だ。彼女をこの世界の空気に慣らす為に、彼女が今後も自分たちの船にいれるように。…全ては彼女の、為に。


「行け、ここは任せろ」


きっとそれも、彼女の為。船長がこんなにも彼女の為を考えていたなんて、ペンギンは知らなかった。船長の思考を読めないとは副船長失格だなんて、変に反抗心を向けていた事が今では恥ずかしいくらいに。
…けれども自身が向かわないのは、それこそ船長として示しがつかないからだろうか。彼女を守らせようと自分を向けるのは…自分が抱えている逡巡を悟っているからなのだろうか。


「っ、…あぁ――」


けれどもペンギンはそれ以上の詮索を避け、戻ってきた以上にスピードを上げBARへと踵を返した。

…ペンギンを苛めていた胸のつかえは、いつの間にか無くなっていた。




***




「――っおお!久々に上玉!」


あの女と同じセリフを吐いた目の前の男がニヤリと笑う。その笑みに好感は得られず、むしろあるのは嫌悪感。そして、言うまでもなく恐怖心。声は出したくても出せそうにない。口に巻きつけられた手ぬぐいの無味をただ、味わうだけだった。

あの後すぐにBARの奥から数人の男が現れライはそれらに呆気なく捕まり、そうして抵抗も出来ぬままその奥のそのまた奥の部屋に連れ込まれていた。簡素なソファと机の置かれた、質素だけれど無駄に大きな部屋。そしてそのソファに座らされる―というよりは投げ出される形となり、ライは受け身も取れずに、倒れるがままにソファに顔を埋める羽目になった。


「可愛いじゃん、"いい値"がつきそうだね」


舐めるようなその視線から逃れるように咄嗟に顔を背ける。後ろで縛られた手や足は思った以上に上手く動かせなくて、寧ろ付いてなくてもいいのではないかと思うくらいにどうしようも出来ない。

これからどうなるのか、なんて。聞かなくてもついさっき目の前の男の口からでた言葉でだいたい想像はついていたが…やっぱり気づきたくなかったのかもしれない。彼らがバイヤーで、店や"人"にそれを売って金を稼ぐ輩である事も。…そして紛れもなくその品が、自分である事も。


「俺が買いてぇくらいだ」

「…ばーか、お前に売ったって金にならねえだろ」


…あぁ、なんて野蛮な会話だろう。彼らこそ飢えたハイエナだと思った。シャチやセイウチなんてお腹を空かせたオオカミ程度、可愛いもんじゃないかと思う。
ドクリドクリと鼓動だけが煩い。…これからどうなるのか、なんて。言われなくても、彼らの目が嫌でもそれを訴えていた。


「ちょっとくらい、いいだろ――?」



***



「――!」


初めてそのドアを開けた時よりも少し乱暴にそれを扱って、ペンギンはまたとそのBARへと足を踏み入れた。


「…おや、早かったねえ」


しかし、目の前に広がる光景が彼女とここへ足を踏み入れた時と何ら変わらないことに違和感を覚える。ペンギンが求めていた姿はどこにもない。…どこにも、なかった。


「…ライ――彼女は?」

「……逃げちゃったよ。…あんただって海賊だろ?怖くなったんだろうね」

「っなんだと――?」


女の口から出たその言葉にペンギンは瞠目した。彼女は―ライは列記とした自分達の仲間なのだから、自分に怖がって逃げる筈がない、絶対に。
…いや、本当にそうだと言い切れるだろうか。それが嘘だと言い切れる自信は今のペンギンにはない。なぜなら彼女は船長が言っていた通り、自分が知っていた通り、1人で恐怖と闘っていたから。それを抱えたままこの場にいるよりは、船に戻る方が彼女にとっては安泰の選択なのかもしれない。


「ライ――」


それを思えば、ペンギンの心に酷い後悔が襲った。彼女の為を思わずに自身の私心にプライオリティを置いてしまったが故に、彼女により大きな負荷をかけてしまっている事実に。

…違う。そうじゃない。そんなつもりではなかった。自分は彼女をより悲しませたいのではない。その逆で、俺はライを――


「っ…?」


徐に、その影を追うようにして中へと足を進めていた時。床にキラリと光る何かが目に写る。気に止めるべき程ではないかと思ったが、妙にそれに視線を奪われてしまって、


「…おい、」


そうしてそれを捉えた瞬間。ペンギンの心が、ブワリと波立つ。


「?」

「ライに、何を――」

「…何って――!?」


カチャリ、という音と同時。ペンギンは女に銃口を向ける。


「言え。3秒以内だ」


女の目に、動揺が走った。



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