「――っ!!」


男たちの目が―飢えた獣の目が、自身を捉えて離さない。それを悟って、しかし身をどんなに捩っても体は言う事を聞いてはくれない。バタつかせようと必死なその足も、何とかして縄から脱そうと必死な両手も、何も意味をなさない。…まるで無駄な足掻きだと言うように。


「商品だ、傷つけんなよ?」

「わーってるって。…ま、加減はするつもりだ」


出来るかどうかはわからない、なんて。楽しそうに口角を上げて、男はライの上に躊躇なく跨ってきた。
一気にライの心を支配する絶念。暴れる心臓とは余所に身体は思った以上に暴れてくれない。あぁ確実に犯されるのだと、そうして絶望に浸された自分を見降ろす男の笑顔を視界から外しても、それは目に焼き付いて離れず残像として心を支配していく。


「っ...!!!!」


どうしてこんな事になったのだろう。あの時無理にでもペンギンを呼びとめるべきだったのだろうか。自分が恐怖に慄く事のない心を備えていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。そもそも船から降りなければ、大人しく鳥籠の中にこもっていればよかったのだろうか。

怖い。怖い。触らないで。嫌だ。ヤダ。やだ――


「っーーーー!!!!」


心の中で、彼の名を呼び続ける。ペンギン、ペンギン。助けて、ペンギン。



バアァン__!!


「「!!!」」


突然響いた大きな音にライに過っていたそれも、そしてその思考回路も一瞬にして消滅した。その場にいた全員がその音の方へと目を向けており、ライも一つ遅れてその方を見やる。

…そうして滲んだ瞳に映し出されたのは、心の中で助けを求め続けた彼の姿。


「っライ…!」

「っ誰だてめぇ!!」


ペンギンは何も考えられなくなっていた。縛られたライの上に跨る男を見た瞬間に、頭に血が上り切り、どこからともなく沸き起こるどす黒い怒りに取り巻かれていく。
彼女を泣かせた事も、彼女を恐怖に陥れた事も。何もかもが、許せなくなって。


「っテメェら、骨の欠片も残らねえと思え――」


そう、ペンギンが言ったが直後。
…ライの上にいた男の姿は一瞬にして消えた。


「!」


上にあった男の体が床に落ちたその衝動に連なるようにライの体もソファの上から転がり落ちていた。全身を打って痛い…と思うよりも先に必死で這いつくばり、ソファの横に縮こまる。


「ーーーー!!!」


部屋中に響く男たちのけたましい叫び・唸り声が耳を刺激し続け、ペンギンが男たちを殴り倒すのを目の端に捉えたが、…それ以上何が起こってるのかは、視界に入れたくなくて。今だ収まらない自身の体の震えを、鳴りやまない鼓動を抑えるように。ライはキュッと、その瞳を閉じていた。



***



「――…」


どのくらいの時間そうしていたのかはわからない。気が付いた時には、騒音はいつの間にか無くなっていた。

ようやく光を入れたライの目に一番に映ったのは、ペンギンの後姿だった。少し息を上げている彼は、見たところ衣服の乱れも、怪我もなさそうである。彼が無事な事に、そして彼がそこにいてくれることに安堵して、ライの目から自然と涙が溢れでていた。


「ライ――」


ペンギンはそれに気づいたのか、振り返って刹那駆け寄ってくる。


「っ、ん、」


ライの口を塞いでいた手ぬぐいを外し、次にその両手、両足を縛っていたそれを外していくペンギン。その下は擦れて赤くなり、少し血が滲んでいる。…逃げようと必死にもがいたのであろうことが容易にわかる。ペンギンは、労わるようにそれに触れた。


「……」


恐怖に慄く彼女を眼前にするのは、これで何回目だろう。今まではただそんな状況に戸惑って、彼女の頭を撫でて落ちつかせる事しか出来なかったけれど。


「…ペンギ――!?」


けど、今は違う。


「ライ」


ペンギンの中にはもう、何もなかった。彼女との間に感じた"相違"も。"怯儒"だった過去の自分も。
恐怖に染まった空気から守るように、その腕の中にライを閉じ込める。…ぎゅうと音が鳴りそうなくらい、けれども優しく、しっかりと。


「っ……!」


彼の体温がライを優しく包み込む。交わる体温に、ゆっくりと溶解しだす恐怖に苛まれた心。
そうしてそれに縋るように、甘えるように。ライもまた、彼の身体に自然と手を回す。


「…怖い思いさせて、ごめんな」


ごめん。何度もそういって謝るペンギン。
彼女を泣かせた事も、彼女を恐怖に陥れた事も、何もかもが許せなかった。それは彼らに向けたものではない。一番悪いのは…この、自分自身だからだ。

有耶無耶な気持ちを天秤にかけてしまったが為に、彼女自身を傷付ける結果となってしまった。この島に上陸する前に離れるなと忠告したのに、すぐさま離れてしまったのは紛れもなく自分。…最初から自分がその信念を通していれば、こんなことにはならなかったのに。


「ごめんな、」


許してくれ、だなんて。懇願するようなペンギンの声色に、ライはフルフルと首を振って否定した。
ペンギンは悪くない。ペンギンは何も悪くない。こうして助けにきてくれた。…それだけで、ライには十分なのに。


「もうこんな思い、させねえから――」


腕の中で震える彼女が、こんなにも小さかったなんて。この世界に怯える彼女が、こんなにもか弱かったなんて。こんなにも自分は、彼女を守りたかったなんて。ペンギンは知らなかった。…否、知らないフリをし続けていたのだ。

海賊として生きてきたペンギンの心の中に少しずつ芽生えていた、新しい感情。彼はそれを何度も摘んで無くそうとしていたが、その根は最初から深く根付いていた。…彼女という存在を受け入れた時点で、それは日に日に大きく膨らんでいたのだ。

ペンギンはそれに気付かぬフリをし続けてきた。何かにつけて理由を用いて、その全てを受け入れまいと拒み続けてきた。…でも、もう逃げてはいけない。彼女の哀に満ちた表情が目の前にチラつくのは、二度とその泣き顔を目にしたく無いと思っていても、それを止める役目が自分であると分かっていても、気持ちに阻まれ出来ずにいたからだ。
船長やクルー達の事を羨望していたのだって、誰よりも早く、誰よりも特別に彼女とのその距離を―相違を埋めたいと自身が願っていたからだ。

それは全部クルーとして―同じ仲間として抱いている感情ではない。ましてや海賊としてでもない。


「…もう、離さねえから――」


1人の男としての、ペンギンの気持ちだった。



back