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ドタドタドタドタ…


「「……?」」


ライのすすり泣く声もようやく収まって、その部屋に静寂が訪れた直後。それは慌ただしく彼らの方へと近づいていた。

浸っていた2人の空気に場違いなその音が、ようやくペンギンを正気に戻す。そうして少なからず何やってんだ俺、と気恥ずかしさに襲われたペンギンは、名残惜しむ暇もなくライから身体を離した。
そうして出来た2人の隙間に通った空気が、ひんやりとライの涙の跡を撫でる。それを手で拭えば、自然と手首に出来た傷が目を横切って。まじまじとそれを見やってライは、スッと触れるか触れない程度にそれをなぞって視界から外した。


「――っ!いた!ペンギ…っ?!」


キキーッと音がなりそうなほどに急ブレーキをかけてその部屋の前まで来たベポは、しかし今目の前にある光景に空いた口が塞がらない状態となっていた。
部屋の隅に干された男たちの姿と、同じように部屋の隅の方にいて背を向けているペンギン。それはきっと傍から見れば異様な光景なのかもしれない。


「…ベポ、」

「!…何が、――っライ?!」


そうしてペンギンの背によってすっぽり隠れてしまっていたライの姿を捉えたベポだが、その口は塞がることなく寧ろ余計に開いていく始末。
大丈夫かとオロオロとかけよってくるベポに一つ頷きながら、ライは手首についた跡をこっそりと隠す。結局後でバレる事にはなるだろうが、なんとなく今は見られたくなかった。


「お前…奴らはどうした?」


ペンギンがそう問うとベポはハッと思いだしたかのように焦り出し、ようやくそのあいたままの口を動かす。


「そう!それなんだ!!この街に海軍がいたんだ!!それでそれどころじゃなくなって――」

「…海軍が?」


あの後すぐにあの場に海軍がやってきて、キッド海賊団との交戦は休戦となったそうだ。それを避けられたのは好都合だが、海軍との遭遇は不都合極まりない…海賊人生が終わってしまう。そういうところでは、海賊達はバッチリ意気を合わせられるのにな、なんて。


「それも結構な位の人らしくてさ!おれ鼻が利くからペンギン達に知らせろってキャプテンが」

「…そうか、」


立てるかとペンギンに促されライは支えられながら立ち上がったが、擦れた布によって出来た傷がヒリヒリと痛む足は、彼に支えられても尚まだ震えるように不安定だった。


「ライ大丈夫?おぶろうか?」

「……そうだな。その方がいい」


海軍から逃れるためには一刻も早く船に戻るのが先決だろう。きっと自分は痛みで走れないであろうし、自分が走る速度を思えばベポに担がれた方が正しい選択だった。
そうしてライはベポにおぶられ、その場所を後にした。

…隅の方にあった黒い塊には、視線を向ける事が出来ぬまま。



***



「――おい!早くしろ!!出航するぞ!!」


船に戻ればその場は慌しさに溢れていた。見渡す限り海軍の姿はないが、いつ現れてもおかしくない状況にその場に張り詰める緊張感。ついでになんだか天候もよろしくなさそうで、真っ青だった空はいつの間にか暗い雲に覆われてしまっていた。

自分たちに気付いたアシカがそう声を張って梯子を下ろし、そうして先を走っていたペンギンがそれに手をかけた時。今だベポにおぶられたままのライの目の前に薄く青い膜が張った。まるでシャボン玉の中に閉じ込められたようなそんな感覚はそれでも一瞬で、次に目の前にあったのは…少し不機嫌そうなこの船の長の顔。


「っ!」

「っキャプテン!運んでくれてありがとう!」

「…あァ、」


それが彼の能力だったと気付く前にローの視線が足元に落ちていき、ハッとしてライはそれを必死に隠そうとしたが、ベポに足を拘束されている為それは叶わなかった。そうして彼の不機嫌さがより濃くなっていくのがわかって、ライは別の意味での恐怖に苛まれるハメになる。


「……おい、」

「!」


視線が交わる。何があったと訴えかけるその怪訝そうな目からライは逃げ、ベポのその白い頭に隠れた。
…あぁ、きっと怒っている、なんて。別に悪い事をしたわけでもなく寧ろ自分は被害者だが、怪我をした事によって彼に迷惑をかけるならばきっと自分は不届き者であるに違いなくて。

出会った時から、この船に乗った時から、彼に迷惑だけはかけたくないという気持ちは少なからずあった。だからきっと船長という肩書を除いて同い年だという対等な物差しがあったとしても、どこか一歩引いて彼と接している部分がライにはまだある。敬語が抜けないのもそうして彼の機嫌を伺うのも何がそうさせているのかは実際わからないが、きっとそれは彼の放つ威圧感と船長という貫禄がそうさているのかもしれない。…当の本人はそれを"恐怖"という二言でまとめているのだけれど。


「……何が、」

「――俺が話す」

「「!」」


自力で船に上ってきたペンギンがそう一言述べ、彼の詮索行動を止める。ライの口から話させるのは酷だろうと思ったのだろう。今は落ち着いているにしろ、きっとまだその時の恐怖は心に染みついているだろうから。
ただ出航した後に荒れる天候を考慮すれば嵐にもなりかねず、そうすれば航海士であるペンギンがいろいろと指示を出さねばならなかった。…だから、事態が収まるまで待って欲しい。ペンギンは船長にそう懇願した。


「……そうだな」


別に焦る必要なんてなかった。こうして彼女も無事でいるわけだし、ここはもう自分たちのホームなのだから。
ローはそう言うとベポからライを引っぺがし、その腕に抱いた。またも奇抜な彼の行動にライは小さく声を上げたが、大人しくその腕の中で縮こまっていた。


「……俺の部屋にいる。終わったら来い」


ペンギンは小さく返事をすると、クルーたちに向き直った。…彼らの背中を目で追うことなく、アッサリと。


「出航だー!!」

「とりあえず海へ出るぞ!アシカ!6時の方向へ舵をとれ!!」

「っ了解――!!」


…ポツリポツリと、雨が降り出していた。



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