「――いや〜悪いね」

「いえいえ、どうせ暇なので」


その日はよく晴れた一日だった。
ペンギンと共に酒場に転がっていた輩を蹴り起こし、醜態を晒した罰としてグランド10周ならぬ農場10周を言い渡されたクルー達の見張りを兼ねてその場にいたライは、ただ白い集団が走っているのを見ているのもつまらないので農場の仕事の手伝いをしていた。

海賊が慈善事業なんてどうかしてるとシャチには言われたが、丁度畑を耕そうとしていたんだと言う老人に言いくるめられた彼はせっせと畑を耕すファーマーと化している。…なんだかんだでシャチもいい奴である。


「シャチ、よくやるね、ホント」

「テメェ何ボサっとしてんだ!手伝えよ!」

「僕は健気なライちゃんを眺めるのが仕事〜」

「…な、シャチ。これでセイウチも耕していいかな?」

「わ、何それ新しいプレイ?」

「……果てしなく馬鹿だな、お前」


そんなたわいもない会話をしながら過ごす長閑な時間が、ゆっくりとゆっくりと流れていく。こんなに穏やかな時は、船上にいる時以外で無かったのではないだろうか。


「君たちが海賊なんて、信じられないよ」


隣で笑っていた老人がそうつぶやく。特にお嬢ちゃんなんて、と老人はきっと冗談交じりにそう言ったのだろうけれど。
…何故だろう。ライはそれに返す言葉が見つからなかった。

果たして今、自分の肩書は何なのだろうかと、ふと思う。ハートの海賊団の一味であるという事は立派な"海賊"なのかもしれない。けれども自分は、"海賊"らしい行為をした事はない。"海賊"らしい行為が何なのかなんてきっとこの時は深く考えてもいなかっただろうけれど、それを否定する事も肯定する事も出来ずに、ライはただその場を誤魔化していた。


「…手伝ってくれてありがとう。助かったよ」


海賊というのは悪趣味で、野蛮で、人ではないと思っていた。まるで化け物を想像しているかのような老人のその発言に、ライは不覚にも笑ってしまっていた。
自分だってそう思っていた頃があった気がしなくもない。ただそれが今薄れているのは、彼らのお蔭だと思っている。元々彼らに対して抱いていた筈のその感情が、彼ら自身によって払拭されたからだ。

じゃれる大の男2人を見ながら、どこか誇らしい気持ちになった。彼らは良い"海賊"なんだと。彼らが自分に"平和"を与えてくれているから、自分はこうして今生きていられるんだって。そんな彼らといれて、自分は幸せ者なんだって。


「……こちらこそ、ありがとうございました」


…また、一つ。ライは"錯覚"に陥っていた。


*


畑仕事を終えてする事が無くなった彼等は、結局船でする事と同じ―トレーニングや銃の練習を海岸沿いで行っていた。


「――ライ!お前意外と筋がいいな!」

「本当?」


シャチに褒められたりしながら、元々運動神経に自信があったライは結構良い筋肉ついてきたんじゃないかと自画自賛していたが…それをセイウチが明後日な方向に持っていったことは言うまでもないだろう。

そうして銃を撃つのには慣れたが、じゃあ実際これで何を撃つ事になるのか、なんて。
…今思えばきっと、ライはそれをもうやむやにして誤魔化していたようにも思う。


「――……、」


そんな彼らを眺めながらペンギンは、船の甲板でニュース・クーから届いた新聞を読み耽っていた。

特にこれといって大きな事件も騒動もなく、それを読むのがただの暇つぶしと化してきた時。…ふと、目に入った片隅の一件の記事。


「…一般市民が誘拐、か――」


ここ最近、10代後半から20代前半の一般市民の女性の誘拐が多発しているという事件。場所は一定ではなく、寧ろそれらに関連性が無いのではと思えるほど拡散しているようで、見つかって保護された者もいまだに行方不明なままの者もいるらしかった。いつもならどうでもいいモノとしてすぐに目を逸らすのかもしれない。


「――ちょうどアイツくらいの年代だな」

「!」


いつの間にそこにいたのか、そして何故自分がそれに目を留めていると分かったのか。かなりペンギンは驚いたが、それを悟られぬように静かに新聞を畳んでいた。


「アイツなら大丈夫だろ。1人で出歩く事は無いからな」


お前がいつもいるだろう、なんて。そうやって彼女を気にかけていると見せかけて、彼は全てを自分に委ねてくるとペンギンは思う。あぁきっと、彼は自分が読む前にそれに目を通していたのだ。だからそれを知っていた。そして、自分の目がそこに行きつく事もわかっていた。…きっと彼も、同じ道を辿っていたから。


「……そうだな、」


その事件よりも今ペンギンが煩慮しているのは、それをわざわざ自分に感得させた彼の心内。海岸ではしゃぐ彼女の元に向かって行くその背中を目の端にいれながら、ペンギンは青く澄んだ空を仰いでいた。

彼女への想いを確信してから、一度は失いかけた船長への悋気。けれども今また新たな形でそれは現れている。今までよりもっと色濃く。今までよりもっと確執に。
けれどもペンギンは、最初から何もかも分かっていたのかもしれない。船長へのそれを曝け出す気も、暴く気も自分には無い事くらい。彼女との間に、自分が何を望んでいるのかも。…そうして彼女を自分だけが"特別扱い"するとして、しかしそこには越えられない壁がある事も。


「……今日も、平和だな――」


その壁が、背を向け去りゆくその絶対的権力の元にある事だって。



***



その日の夜。相変わらず酒場で飲んだくれているクルーがいる中で、ライは大人しく船に戻ってきていた。一日動き回って疲れた為、今日は早めに寝て明日の出航に備えようと思っての事だ。


「……なんだ、早かったな」


そうして船長室に戻れば、ソファに座って本を読んでいるローがいた。きっと彼は今日、町には出向いていない。外へ出たのも、海岸沿いではしゃいでいるところへ暇つぶしに虐めにきていたくらいだろうとライは思った。


「そんなに俺と一緒にいたいのか?」

「……船長、ちょっとセイウチに似てきてませんか?」


きっとそんな発言をすれば彼の沸点を高めるだけかもしれないと気付いた時には既に遅し。案の定ニヤリと口の端を歪めたローに、あヤバいと危機感を募らせ少し硬直していると、


「…来い、」


そう言ってローが歩く方向は、身体を休める為の安眠所。…え、嘘、まじか。と数時間前にペンギンに向かって吐露した発言が撤回されそうなシチュエーションに、少なからず心臓が暴れ出していたのだが。


「…疲れた。マッサージしろ」

「…へ?」


彼はうつ伏せになってその上に寝転がっていた。マッサージ。疲れたからマッサージ。私は貴方の召使いか何かですかというツッコミは、どこか安堵した心に留めておく事にする。


「…なんだ?期待したか?」

「っな!何言ってんですか!」


きっとこの人は自分があたふたしていた事も知っているんだろう。…どうしてこんなキャラになっているのだろうかと自らを省みてみるが、その答えは自分では見つけられないだろうと考えるのをやめた。
そう思いつつも素直にそれを施す自分はいたって献身的だな、なんて。広い彼の背中と思った以上に凝っている肩を眺めていると、…ふと頭の中に過った過去の記憶。


「……上手いな」


どこでそんな技術手に入れたんだ。と彼が発言するとどこか厭らしい感じがしない事はないが、決してライはマッサージ関連の資格を持っているワケではない。


「…お父さんにね、よくやってたんですよ」


ライがその広い背中を眺めた時に思い出したもの、それは自身の父親の事だった。
父の日などの記念日に肩たたき券だなんてありふれたプレゼントで日ごろの感謝を返したとかそんないい話ではない。父親に頼まれたからしぶしぶやっていたとかそんな悪い話でもない。いつしか彼の肩を揉む事が習慣になっていた。それだけのシンプルな出来事が、今のそれに重なってふと甦ったのだ。


「……お前の父親、どんな人だったんだ?」

「"だった"って…まだ死んでないんですけど」


ライには母親がいない。小さい頃からずっと父親と2人だった。男手一つで自分を育ててくれた父に年頃の娘にあるような"嫌み"は全くなく、寧ろ兄弟のように仲が良かったと思う。何かと忙しかった父と2人で過ごす時間は決して多かったとは言えないが、彼を労っているその時間は今思えば掛け替えのない確かな親子の時間だったのかもしれない。


「……?どうした?」


饒舌に話す彼女のそれに珍しさと少しの快味をローが感じていた時。ふと彼女の声は消え、同時にその手も止まる。
ローはそれを素直に不審に思い、そう問うた。


「……、」


話せば話すほどに湧き出る思い出たちに浸る傍ら。…心のどこかに隠れていたそれまでもが、ライの中に甦る。

それくらい仲が良かった父親が忽然と姿を消した自分を今どう思っているか、なんて。想像だに出来なくて、寧ろ考えないようにとこの世界に飛んですぐにそう意を決した。だからって自分の足跡が向こうに残っている事を決して忘れたいワケでもなく忘れたワケでもない。頭の片隅にぼんやりと、いつでもそれは浮かんでいたような気もする。
あれからどれだけの時がたったのかは数えていない。この世界に来てから今まで自分の世界に関する情報なんてこれっぽっちもなかった事も、決して口にはしないけれど心の何処かでは分かっていた。だから考える事も無かった。考えるだけ無駄だって事も、分かりきっていたから。

けれども今こうして甦る過去の産物がそれを煽りたてる。父の背中が2人での暮らしがいつもの日常が、まるで一つの線で結ばれていくように放射線状にどんどんと膨らんで――


「…………船長のお父さんはどんな人だったんですか?」


そんな無限のループにまた嵌る前に。ライは自分からその線をプツリと切った。


「…………俺の親父は、」


ただ話を逸らす為に振った話題でも、それに全くと言っていいほど興味が無かったかと言われれば、そうでもない。彼のプロフィールは謎なままだから、少しでも彼の事を知れればそれでいいと思っていた。


「……どんなだったかなァ。…知らねェや」


もうこの世にもいねェから。それは尊ぶものでもなく、悼むものでもなく、悔やむものでもなかった。冷たく―本当に何の関わりのないかのようなその声色に、"何か"あったのだとライは悟る。


「…そう、なんですか――」


それ以上は何も聞けなくて。打開出来なかった会話はそこで途切れ、部屋には静寂が広がっていった。
心に蘇った自身の鬱積と彼が抱える影を思いながら、ライはただその広い背中を労う事しか出来なかった。



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