「――お、こんなトコにもいるじゃねェか」
「……誰だ、お前ら」
ポタリポタリと、降ってくる雨粒が大きくなりだした頃。物音立てて現れたそれは、この島では見かけないような格好をした男達。…いや、その格好が何を表しているのかは言われなくてもわかる。
彼ら―目の前に現れたそれは、海賊だった。
どうしてこんなところにそれがいるのかはわからない。滅多にこの島にはそういう輩は来ないと聞いていたからか、どこか安心しきっていた。分かるのは、余計に感じる焦燥感が雨によって落ちた体温を上げていくの事だけ。
「…テメェらトラファルガーの一味だな?」
ドクリと胸が反応する。複数を表わすその言葉に、自分もそれに含まれていると悟る。…ベポとは色が異なるけれど、今は自分も列記としたあの白いツナギを身に纏っているから。
「…だったら、なんだってんだ」
ベポがライと老人を庇うように一歩前へと踏み出して、ライはそれに合わせて一歩後ずさる。…逃げなければと、そう思った。自分がいたらきっとベポの足手まといになるし、"一般人"である老人を巻き込むわけにはいかない。
「ライ、キャプテンに知らせるんだ」
「っ、うん」
ライはすぐさま老人と共にその場を去った。「待て」と言う海賊達の声を振り返る事もせず、震える足を精一杯動かして。
「――おじさん大丈夫?」
「あぁ――」
まるで己の感情を表すかの如く酷くなる雨の中、ライは酒場への道を辿っていた。その間も鳴り響き始める銃声はあちこちから聞こえ始めていて、もしかしたら酒場にも先ほどの海賊の仲間がいるのかもしれないと懸念したが、それでもその足の向く先は変わらない。その喧噪に突っ込んで行く勇気はないが、それでも助けを呼ばなければならない。ベポを1人で置いておくわけにはいかない。知らせる事が出来るのは自分だけで、1人恐怖に慄いて縮こまっていてはいけないのだと言い聞かせる。
この服を着た時点で、自分はもうハートの海賊団の一員なのだ。何か自分に出来る事をしなければ意味がない。強くなろうとトレーニングし続けたあの日々を、クルーに助けてもらい続けた日々を、無駄にしてはいけないんだって――
ガサッ__
「「っ、!」」
刹那、聞こえた第三の音。雨音に紛れたその微かな音をライは聞き逃さなかった。ピタリとその足を止めた先に直ぐ迫る最悪な情景をライはいち早く感じ取ってしかし、そこから動く事は最早出来なくなっていた。
「――あ〜ら、こんにちは。お嬢さん」
「っ!!」
震える荒い息を抑えるように、落ち着けと自身を諭すように、ライは大きな深呼吸を繰り返す。…あぁ、最悪だ。この森に足を踏み入れていた海賊は、ベポが足止めしている奴らだけではなかったのだ。
「…新入りか?こんな子前はいなかったよなァ?」
「はっ、あの船長もいい趣味してんじゃねェか!」
彼らの会話はしっかりと耳に届いていて、そしてその流れから彼らがローと"顔見知り"である事を認知する。もしかしたら彼らはこの島に偶然訪れたのではなく、ローを追ってきたのではないだろうかとライは思った。復讐か、はたまたただの海賊狩りかなんて事はこの際どうでもいい。…ただ、本当にそうだとしたら。
「…どうする?持って帰ろうか?」
「そうだなァ…」
確実に、ヤ(殺)られる。
「っおじさん、行って!」
「しかし――」
「いいから早くっ!」
カチャリ、とライは腰に添えてあった"お守り"を彼らに向ける。今がそれを使う時だと、頭と体に言い聞かせながら。
「ん?オモチャかな?それ?」
「来るな――」
「ははっ、脅しかな?ん〜コワイコワイ」
それを向けても彼らはビクともせず、寧ろ楽しそうな声を上げ始める。何故、なんて事は言われなくても分かる気がした。…銃を握る自身の手が、見えるほどに震えているから。
「それを向けるって事がどういう事だかわかってんのかなっ!」
「!!」
1人の男が腰にある剣に手をかざす。そしてそれを抜き出すと同時、大きく振りかざしながらライへと突っ込んできた。
「っ!」
かろうじてそれを避け即銃を男へと構え直す。ギリリと奥歯を噛みしめ、恐怖を頭の底へと押しやる。戦わなければ、死ぬ。この場を切り抜けなければ殺される。分かっているだろう、理解、しているんだろう?
「結構いい動きするじゃん!」
「!!」
止まない相手の攻撃をかわす事は容易だったが、けれどもその間もライが握る武器が相手に奮われる事はなかった。銃を撃つ暇が無かったかと言われれば、嘘になる。構える事は出来ても…撃てなかったのだ。
「……っ!」
それが今まで相手にしてきた"不用な物"ではない"不要な者"だったとしても、どうしても引き金にかかる人差し指が動かない。…わからない。やらねばやられるのに、それが出来ない。
これを撃てばどうなるのかがわかってしまったからか。これを撃てば、どうなるのかが、
わかってしまったからなのか。
「っチ!ちょこまかちょこまかと――!」
「っ!!!」
その一人に気を取られていた為か、もう一人敵がいることをすっかり忘れてしまっていた。目の前に剣を持った男と、そして同じようにそれを持った男が横から切りかかって来る。
――!!
ダメだ、切られる。
パァン__!!
「っぐは.…っ!」
そう思って、一瞬だった。引き金にかかっていた人差指が、無意識に動いたのだ。ゆっくりと目の前に倒れゆく男、それから流れるモノが、地面に溜まった雨を赤に染めて広がっていく。
…そして、悟る。自分が、殺した。人を、殺した。ドクドクと上がる鼓動。先ほどよりも大きく震えていく手。
死にたくない、だから殺した。やらねばやられる、間違ってなどいない。これは、正しい選択だった。そう、だから、何も悔む事はない。そうでしょ、そうでしょ――
「ってめえよくも――!!」
「!」
後ろからかかる怒声にライが再度それを構えるも、男の剣がそれをなぎ払う。カランと乾いた音を立てて転がったそれはまるで、今自身の横に倒れている男と同じように目に写る。
銃を跳ね飛ばされた衝撃でライはその場に尻もちをついてしまった。跳ね上がる泥水が顔にかかるも、今はそれに構っている暇などない。自分の身を守る手段を手放してしまったが為に、ライは必死に後退ることしか出来なくなっていた。何か、何か、このままじゃ――
「…!!」
その時。カツン、と右手に障害物。男がライに向かって剣を振り下ろすのと、ライがそれをがむしゃらに掴んで男に向けたのはほぼ同時だった。
――…っ
刹那、それを握った手から伝わるは、今までに感じた事のない、生ぬるい、感触。
「っ、は、」
ポタポタと、それを伝って落ちゆく赤い液体。その先を辿れば、男の胸に刺さっている銀の刃。…そしてそれを突き立てているのは、紛れもなく、
自分の両手。
「!!!!」
ハッとしてライは、まるで触れてはいけないモノにふれてしまったかのようにそれから手を離した。それと同時、男は支えを失った―まるで柱を失った建物のように足元から崩れ落ちていく。
カラン、と一つ乾いた音が鳴る。男の手に握られていた剣が、ライの前に転がった。
「ーーー、」
込み上げてくるナニカを抑え込むように、ライは両手で口元を覆い隠す。上手く呼吸が出来ない。
…人を、殺した。今度は紛れもなく、自分の手やったのだと実感があった。男の胸に刺さった刃の感触。紛れもなく、自分の手で、
人を、殺した。
ガクガクと震えだす身体を上手く動かせなくて、そうして後ろに手をついた瞬間、手に伝わったぬめっとした感触。サッとその手を持ち上げれば、それは真っ赤になって自分の目に映る。
血だ。誰の、…隣に倒れる、男の、
「...あ、」
その男の顔はライの方を向いている。視線は交わらない。それはただ一点を見つめて、…いや、もう何も写してなどいなかった。変わらない硬直した表情に、ゾワリと背中が泡立つ。こんなに間近で死体を見た事など、今まで生きてきた中で一度もない。その表情を、こんなにもまじまじと。
…自分が殺した相手の、死に様を見たことなど、
「っあ、あぁ…」
どうしよう、なんて。ドクドクと上がる鼓動は今、自身が犯した罪を悔やんでいる。ライは手に男の血が付いている事も失念し、両手で顔を覆った。
震えが止まらない。…やってしまった。自分はついに、やってはいけないことに手を、染めた。
「あああああぁあああぁあ――!!!!」
断末魔のように。それは森中に響き渡って、空を切って消えていった。