「――っ!?」


森へと近づきつつあったペンギンの耳に届いた、一つの悲鳴にも似た叫び。その声の持ち主を悟って同時、ペンギンは目の前の男に向かって躊躇なく引き金を引いた。


「ライ…っ」


遅かった。ハートの海賊団がその海賊達にやられる事は無く寧ろ余裕の戦だったが、ペンギンの行く手を阻む敵の数が多すぎたのだ。


「――"ROOM"」

「!」


そしてその声は船長の耳にも届いていたようで、敵を蹴散らしながら彼はペンギンの傍にすぐさま姿を現す。


「ここは任せろ、ペンギン」

「っ、あぁ――」


苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる船長にペンギンが思う事は多々あったが、それでも今は彼女の事で一杯で、それを振り返ることなくペンギンは駆け出していた。


*


「――君は…!」

「!」


そうして森に入り幾分か進んだ時、ペンギンの目の前に現れたのはずぶ濡れになった老人の姿。ベポとライと三人で出かけていった人だと気づいて即、ペンギンはその後ろに彼女の姿を探したが…その姿はどこにも無い。


「ライはっ!?」

「すまない、彼女は戦ってる…ワシに逃げろと言って――」

「っ…ここを出ると危ない。暫くここに身を潜めていた方がいい」


ペンギンはそう言ってすぐさま老人がやって来た方へ足を進めた。申し訳なさそうに言を発した老人の口元は震えていて、そこから事の重大さが嫌というほど伝わってくる。…最悪だと、何度思った事だろう。確かに護身用にと彼女に銃は持たせていたが、彼女がそれを撃ち鳴らしているとは到底思えない。彼女はまだ本当の戦闘を知らない。彼女は戦い方を知らない。
彼女は人を、殺めた事がない。


「っ、くそ…!」


頼むから無事でいて欲しい。頼む、頼むから――




「――っ、」


そうして、どのくらい走っただろう。霞む視界に少しずつ見え始めた白。それがライだと分かるのに時間はかからなかった。


「っライ!!」


自分でも驚くほどの大声でその名を呼んでいた。その声に反応した白は、ゆっくりとこちらを振り返る。…生きている。それだけで、ペンギンの心は安堵を取り戻していた。


「っ……ペンギ、」


小さく、消え入りそうな声。それでもその唇はしっかりと自分の名を紡いだ。
それに安心したペンギンはようやく周りの状況に目を向ける。ライの近くで倒れている何かが2つ―今し方己が戦っていた海賊達の片割れか。ピクリとも動かないそれらはもう息絶えているのだと思うが、しかし今はそれを注視する余裕などない。


「ライ、大丈夫か!?怪我は――!?」


ライの正面に回ったペンギンはすぐさましゃがみこんでその細い肩を掴み、そうしてハッキリと彼女の姿をその目に映す。少し汚れた頬と、泥だらけの服。その表情は雨だけでなく涙にも濡れているようだった。
ライは声を発する事無く、ペンギンの問いかけにブンブンと首を振って答える。そうしてペンギンが来た事に安堵してまた眼もとから流れるそれは、まるで大粒の雨のごとくポタポタと地面を濡らして、太股の上でキュッと握りしめられている拳は目に見えるほどに震えていて。


「…ライ、」


いつかと同じ場景。けれども漂う空気にどこか違和感があることに、ペンギンは少し戸惑いを覚える。
泣いている、震えている。とてつもなく怖い思いをした事は、言われなくとも分かる。しかし、何かに怯えているようで、そうでない。意識だってしっかりしていて、受け答えもハッキリしているのに。視線が交わってもその目に色は見出せない。その瞳に、自分が写っていない。


「……」


その違和感の正体を探るように、ペンギンは先ほど見つけた男2人に目を向けた。
地を染めている赤の量から見て、それらが殴打などでやられた訳では無い事が分かる。となると、これをやったのはベポではない。彼は武器など持たない武道家である。
転がっている銀の刃2本と、ライが持っていたであろう銃。凶器は恐らく双方。そしてこれらを駆使したのは、

…果たして、彼女なのだろうか。


「……ライ、立てるか?」

「――ベポが、」

「?」

「……ベポが、戦ってる」

「っ、あぁ」

「……助けに、行かなきゃ、」


きっと己らに助けを求める途中だったのだろう。そこで彼女は誤算に出会ってしまった。今さらそれを後悔したってどうする事も出来ないけれど、でも、それでもペンギンはどこかそれを思わずにはいられない。


「俺が行く。お前は――」


その先のペンギンの言葉をライは首を横に振ることで遮ぎり、震えていた拳で涙を拭きとりながらゆっくりと立ちあがる。ようやくこの状況に落ち着いて来たのだろうか、ライの瞳はいつもの色を取り戻していて、そうしてやっとそこに自分も映し出された気もして。


「ウチも、行く」


ライは転がっていた自身の"お守り"を戸惑うことなくその手に取り、腰のホルダーに仕舞った。…それはまるで、何事もなかったと言うような動作だった。


「……」


聞きたいことは山ほどあった。この経緯に至るまでのこと、今の彼女自身の心境。なのに、結局ペンギンは何一つ聞けなかった。…それを聞いてしまえば、今の彼女が、


「わかった――」


崩れ落ちていく気がして。



***



「――っペンギン!ライ!!」


幾分か森を進んでベポを探している最中、それは自ら自分達の前に現れてくれた。なんとかあの海賊を切り抜けたベポも酒場へ戻ろうとしていたようである。


「ライっどうしたの大丈夫!?」


ペンギン同様、自分の格好を見たベポは酷く心配して顔を覗き込んできた。ライは今できる精一杯の笑顔を造って「大丈夫」だと言って見せる。ベポはそれを特に疑うことなく、それなら良かったと安堵の息を漏らしていた。


「アイツら何なんだ?おれらの事知ってたみたいだけど、」

「あぁ、あれは――」


ライは彼らのすぐ後ろを付いて走りながら、その話に耳を傾けていた。やはり先程の海賊達はローの"顔見知り"で、復讐の為にこの島にやって来たらしい。彼らはローを"狩る"気満々で、…だから、自分達もそれを"狩る"事は、必然で。


「っ、」


ブワリ、と吹き出るように脳内に浮かぶあの時の場景。あの時の、感触――


「――っあぁよかった…!無事だったんだね!!」


それをかき消したのは、途中で別れた老人の声だった。老人は自分の姿を見つけると同時、涙を浮かべながら駆け寄ってきてくれて。…あぁ、彼も無事でよかったとライは心の底から思った。


「うわぁ、まだまだいるね」


ベポのその声に、彼越しにその向こう側の景色に目を向ける。そこには海賊と一戦を交えるローやシャチ、セイウチ、ハートの海賊団のクルーの姿。


「…ライ、ここにいろ」


そして、出来るならあまり目を向けない方がいい。そう言ってポンと一つライの頭に手を置いて、ペンギンはベポと共にその喧噪の中へと躊躇なく入っていく。


「……」


彼が遠回しに言った事、何となく、分かる。彼らはこれから人を殺める行為をする。きっとペンギンはそれを自分に見せたくなかったのだろう。
…でも、もう、その必要はない。

もう既に自分の手で、人を殺めているのだから。


「……こっちにおいで」


老人はペンギンの言葉通り木の陰に身を潜めその景色を遠ざけていたが、ライはその場に立ったままその景色をずっと眺めていた。


「…大丈夫」


短くも長くも無い期間共にいた彼等のその姿目に映す事も、鳴り響く金属音と銃声をずっとその耳に響かせる事も、これが初めてだった。そうして戦うという事に、殺し合いをするという事に、慣れるつもりでそれを見ていた。免疫が付けば大丈夫だって、いつかの船長の言葉を信じて。


「……、」


なのに。
彼らは今、何をしているのだろう。殺し合いをしている最中。紛れもなく、そうであるのに。


彼らは、笑っていた。


彼らの表情は普通そのもので、いつもと変わらない雰囲気を持ったまま、目の前の敵をなぎ倒し、撃ち殺している。緊迫感なんて無い。自分が先ほど感じた焦燥も、畏怖も、何もかも全てそこには感じられない。
…どこかで、それを見た。自分はこの雰囲気を知っている。…あぁ、そうだ。知っている。何回も見た。目の前で。それを感じて畏怖を募らせてきた。その度にペンギンに、船長に、クルーに、助けてもらった。

…なのに、今の彼等、




――自分を襲った、海賊達と変わらない




「っ…!」


ガツン、と鈍器で殴られたかのように、目の前の光景に靄がかかる。何かが心を渦巻いていくのが、嫌というほどわかる。

忘れていた。…違う。考えたくなかった。考えないようにしていた。彼らも列記とした海賊である事。彼等はそれを―殺しを厭わない事。それに何も、躊躇しない事を。
ためらう事なく引き金を引き続けるペンギンも、真っ向からそれらに立ち向かうベポも、少し苦戦しているのにその状況を楽しんでいるシャチやセイウチも、余裕でその状況を楽しんでいる船長も。…自分とは違う。それを少しでも躊躇った自分とは。人を殺めて後悔している自分とは、違う。


「……――」


ライはその状景から目を離す事が出来なくなっていた。


…雨は、既にあがっていた。



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