「――なら、その方向で」
「あぁ、」
船長室にて、男2人。今後の航路の話は、しかしローが思っていた以上に長くは続かなかった。
…それがただ彼を呼び出すための口実であったことなど、恐らく本人も気付いてはいるのだろうけれど。
「……船長?」
ローの心に未だ、引っかかっている何か。それが自分が感じている罪悪感から余計に生まれているモノである事は確かなのだろうが、結局タイミングも合わなくてあれからまだ彼女と言葉をかわせていない事も…そうして彼女と一度も視線も合っていない事も含まれるのだが。
「…………アイツを見つけた時、どんな様子だった」
「?」
彼女が人を殺めたという事実が己に浸透しないのは、そう、彼女の態度がそれに対して一致していないというところにある。彼女はこの世界に来て初めて人が殺められたのを見た筈で、そうなれば人を殺めたのも初めての事になる筈で。初めて島に上陸した時、それを見ただけであんなに恐怖に慄いていたのに、それを自らが実行して、そうしてあんなに普通でいられるのだろうか。ローにはそれが信じられなかった。
「……ライは、」
ペンギンが駆け付けた時、ライは確かに泣いていた。泣いてはいたけれど、それは恐怖や苦悶からくる涙では無かったような気が今でもペンギンの中にはある。きっと初めて戦闘というものを経験して、そうして人を殺めた事にただ…ただ、戸惑っているだけなんだと思っていた。
「…悔悟、か」
「……そう、だな」
それを自分達に見せまいとしているのは、そうして"慣れ"ようとしているのかもしれない。慣れろと言ったのは紛れもなく自分で、硬く見えた笑顔もそれに負けじと強がっている証拠なのかもしれない。
…でも、それなら、それだけなら、何故自分と話そうとしないのか。何故、自分と目を合わせてくれないのか。どうしてもそれだけが心に残る。
…避けられている。その言葉が今はしっくりくるのかもしれない。元々自分とよく話す奴ではなかったが、彼女が自分を避けているなんて気は感じた事もなかった。だから、余計。自身に降りかかる罪悪感は強くなる一方だが、でも、こういう時にどうするべきが策なのか、ローにはそれが分からない。
「…………暫く、様子を見るか」
「?」
「フォローはお前に任せたからな」
「っおい、どういう――!」
そうとだけ言ってローはその部屋を出ていってしまった。
「……」
…らしくない。そう思った。いつも一番に彼女の"それ"に気付くのも、そうして陰で彼女を支えていたのも、ずっとずっと船長だった筈で。…けれど、やはり彼は全てを自分に委ねてくる。それが何故なのかペンギンは今だにわかっていない。
「……」
ただ、この時初めてペンギンは思った事がある。…彼もまた自分の気持ちに、戸惑っているのでは、と。
***
「「ギャハハハ――!!」」
それからまたペンギンは宴の席に戻ってきた。
…が、しかしそこへ踏み入れて即、感じた違和感。
――"2人"がいない。
それに気付いて、瞬時に焦る心。それは、何時ぞやと同じ感情。否、前よりもそれは明確。
…あぁ、最悪だと思った。油断していたなんて後悔を再びここで感じる事になるなんて、思いもよらない。
「シャチ!セイウチは?」
「…お!ペンギン――あれ?そういやいねえな?」
「…ッチ、」
バカ野郎が。そう吐き捨てるように言って刹那踵を返してその部屋をまた出ていく。シャチは何故自分がそう言われるのかが分からなかったが、さほどそれを気に留める事もなく即座にその娯楽の中に戻っていた。
「――っ」
わざとらしく足音を立てて、船内を歩き回る。逸る心と比例するように少し駆け足になりだすそれは、はたして一体何を懸念しているのかなんて…きっと、今は気付いている。あのセイウチの事だから、何を仕出かすかわかったもんじゃない。
「っ……!」
そうして甲板への扉を勢いよく開け外に出れば、視界の隅に探していた人物の姿があった。彼は壁にもたれかかるように座っていて、突然やってきた自分にそれほど驚きは見せなかった。
「…ライは――」
そうして探したもう一つの姿は、その彼の足元に転がっていた。胡坐をかくセイウチの腿の上に頭を乗せて、動かない。寝てしまっているのだろうと思って、どうやら懸念していた事はなさそうで、一つ大きく息をついてその方へ歩み寄るが、
「…っ、?」
彼女のすぐ横に散らばっているモノに気づいた途端、ペンギンの動きはピタリと止まった。その場にあるはずのないトイレットペーパーと、くしゃくしゃに丸められ使用済みのようなその残骸がいくつか。
…まさか、いや、まさかそんな…嘘だろ。そうして安心に浸っていた心に渦巻いていく絶望感と、憤り。ここでコイツ、そんな――
けれどもそんなペンギンの表情を見て、当の本人は笑っていた。…何がおかしいんだとペンギンが睨みを利かせれば、セイウチはようやくその口を開く。
「…ペンギン今変な事想像してたでしょ?」
「……」
図星すぎて、けれどもどう切り出していいかわからずにペンギンが黙っていると、セイウチはまた笑う。
「心配しなくてもペンギンが"想像した事"はしてない。…それはライちゃんがトイレから持ち出してきたものだよ。鼻をかむのにつかってた」
「…鼻を?」
「何?まだ疑ってるの?…なんなら匂いでも嗅ぐ?」
「……いや、いい」
…といいつつも利く限りの嗅覚でそれを少しでも確かめようとした自分が少し憎い。ペンギンは自嘲気味な溜息を漏らした。
そうして彼女の表情を見ようにも、ライはペンギンに背を向ける形で寝ているもんだから見えない。
「……風邪でも引いたか?」
あの土砂降りの雨の中の事件を思えば、それを思うのは容易かった。…けれどもそれを問うた瞬間、セイウチの表情が急に陰りを見せた事。ペンギンは、見逃さなかった。
「違う。もっと酷いもんだ」
「…?」
「……僕さ、」
嫌われる事がこんなに悲しい事だなんて、知らなかった。
呟いてセイウチは天を仰ぐ。陰りを見せた表情にあるのは自責の念や悲嘆の念。彼のそんな表情を見るのは何だか久しぶりな気がして、けれどもそれにペンギンは懐疑の念を抱いた。
「海賊になった事、初めて後悔したかも」
「…………お前、」
何故彼が突然そんな事を言い出したのかなんて、今のペンギンには到底分りかねない。…けれども一つわかるのは、少なくとも彼と彼女との間で何かがあったという事。
「な〜んて、ね」
そんなペンギンを余所にセイウチは笑った。今までの事を、先ほどの表情は無かった事だと思わせるくらいに。それはいつもの彼の表情で、彼特有の声色だった。
「……」
ペンギンは何も言い返せなかった。先ほどの彼と、眠ってしまった今の彼女の姿を見れば。…もしかしたら、あの時。自分が"それ"を問う前にもう、既に。
彼女は、崩れ落ちてしまっていたのではないかと。