「――…っ、」
ぼんやりと霞む視界の前。その場所がいつも寝ている場所だという事にはきっと起きた瞬間から分かっていたが、いつも迎える朝とは違ってずしりと体が重たく感じるのは昨日体に染み…いや、沁みこませたもののせいなのかは分からない。
「…起きたか」
ズキリ。と痛む頭のずっと奥の方。聞きなれたその声色もそして昨夜の記憶が無い事もいつも通りだが、この酷い二日酔はいつにも増して、そしてきっと自分らしくない事など彼はお見通しだろう。だからって、何故、なんて問いかけに上手くかわすことも今は出来そうになくて、そうして浮かぶのは何故か後悔の念。
「……、あの、」
「起きなくていい。そのまま寝ていろ」
「…?」
「熱がある。…ったくお前はつくづく自分の"体調管理"が下手だな」
…熱。あぁ、だからいつも以上に体が重いのだ。根本的な理由が存在したことで今の心境を取り繕う事がなくなった為か、ライはひとつ大きな溜息を吐く。
そういや昨日、雨に随分と長い間濡れていたのを思い出す。今思えば寒かった冷たかったという感情があったように思うが…きっとその時はそんな体感どうでもよかったのかもしれない。
「…………すみません」
「…疲れが出たんだろう。ゆっくり休めばいい」
いつも通り茶化すのかと思いきや優しい言葉を残して去っていくローがそこにはいたが、今の状態もあってかライが然程それを気に留めることはなかった。
「…………」
重たい体をなんとか動かして寝返りを打ち時計を見れば、既に昼前。どうやってここに戻って来たのかというお約束の思考回路はとりあえず閉じておいて、昨夜自分は"何"をしたのかという事のほうが気になっていた。
そうして鮮明に思い出されるあの状景、あの時持った感情。それが今もこうして心に巣食っているのなら、酒に呑まれた自分はその時一体何を考えて、そして何を吐き出したのだろう。いつも通り楽しく皆と…"楽しく"呑む事が出来ていたのだろうか。
「......」
心の中も頭の中もぐちゃぐちゃなままで加えて体調不良なんて最悪だった。いや寧ろ1人でいれることを好都合だと思うのもいいのかもしれないが、かといって気分の優れない思考でそして一体何を考えるのか、なんて。
それでも、誰にも会いたくない気分であることは確かではある。それがどの感情によって働いているのかは分からないが、どっちにしろ皆といたってモヤモヤしてしまうのは目に見えているから。
__コンコンッ
「!」
…そう、思っていた矢先。響いたその音に一瞬で凍りつく心臓。ちょっと待って一体"誰が"来たのだと、そうして自分が戸惑いかつ大きな声が出せず咽ている間に「入るよ」と、聞きなれた声に凍りついていたそれは融解することとなるのだが。
「…大丈夫?」
のそりのそりと部屋に入って来たのはベポだった。いつものようにドスドスと音を立ててくれたらいいものを、そうしないのはきっと自分への配慮…否、その手に握られているトレイの上にあるものをこぼさないようにする為だったからなのかもしれない。
「ご飯持ってきたぞ!食べれる?」
テーブルの上にトレイを置いたベポは、湯気だつそれだけを持ってライのそばまで寄ってきた。アザラシがお粥を作ってくれたよと、自らも食べたそうな顔をしながら言うベポ。真っ白なそれから漂う香りからそれが美味しい事は間違いないだろうし、いつもなら存分に食欲をそそられるのだろうが、どうにも今は欲せなくてライはフルフルと小さく首を横に振っていた。
「そうか。大分しんどい?」
「…ごめ、」
「仕方ないや!…でも、一口でも食べて薬飲まなきゃな」
おれが船長に怒られる。申し訳なさそうに言っているが、どこか自分にも圧をかけられているような気がするのは気のせいか。…しかしそれを作ってくれたアザラシに申し訳ない気もして、ライはそれを頂くことにした。
ゆっくりと体を起こすも、少し揺れただけで頭が疼くように痛む。それが熱の所為か、はたまた昨夜の酒の所為かは分からない。
「熱いから気をつけて!」
「…うん、ありがと」
ベポから受け取ったお粥を、ゆっくりと口元に運ぶ。優しい味がした。お腹にも、心にも、それは深く深く染み込んでいくような気がした。
帰るのかと思いきやベポはずっとその場にいてじっと自分を見つめ続けている。見られながら食べるのはどこか気恥ずかしかったが、…それよりも。
「……ね、ベポ」
「ん?」
「……昨日の夜さ、ウチ…」
「ライ昨日すっごい呑んでたなぁ。覚えてない?」
「…、うん」
「そうなのか。途中までおれの隣にいたんだけど、トイレ行ったっきりライちっとも帰ってこなかったんだ」
「……それで?」
「暫くして探しにいったら、ペンギンとセイウチと甲板にいた」
「…甲板に?」
「"甲板に出たら寝てるライを見つけた"ってセイウチは言ってたな。よほど疲れてたんだろうって」
昨日は大変だったからなぁとベポがシミジミ思い出すように言う傍らで、その話の流れとベポの態度からとりあえず"何もなかった"事だけは読み取れて、ライは一つ息をついた。
「………そっか、」
一番恐れていたのは、全てを皆に曝け出してしまったという事。彼らとの間にある溝を今は誰にも知られたくなかったから。
…いや、寧ろそれは最初からあった筈なのに。自分はそれを知っていた筈なのに。自分はそれを見失っていた。本当は無くそうとして、でも無くせなくて。ただ、見えないようにしていただけだ。
「それにライ、体調が悪かったらすぐに言わなくちゃ」
我慢する事無いと、きっとベポは以前にも似たような事があったからそう言ったのだろう。彼は本当に優しいなと思う。
…いや、彼だけじゃない。みんなみんな、そうだ。
「…、うん、ごめんね」
わかってる。彼らの人柄。本当はとっても良い人達で、仲間想いで。
…でも、わかっていない。彼らの素性。本当は、本当は――
「……ごちそうさま」
そう言ってライは用意されていた薬を飲むと、そそくさと布団に潜りこんだ。ぶわりと歪んだ視界から溢れそうになる想いをしかし必死に堪え、彼にその表情を見せまいとして。
「きっとすぐ良くなる!キャプテンの薬、すげー効くんだ」
ベポは、それに気付かなかった。布団の中から小さく「ありがとう」と聞こえたその声が少し震えているのも、きっといつもの調子ではないからという思い込みのせいもあって。
「ゆっくり休むんだぞ、ライ」
そうしてベポは、来た時と同じようにのそりのそりと部屋を出ていった。