「キャプテン、薬ちゃんと飲ませてきたよ!」
「…あァ」
キッチンに戻って来て早々彼女が食べ残したであろうそれを普通に食べようとするシロクマに風邪がうつるぞと声をかけようとしてしかし、コイツは大丈夫かと思い直したペンギンは結局その口を開かずにいた。
「かなりしんどそうだったけど、大丈夫かな」
「体弱いとこみるとやっぱアイツ女子なんだな、って思うよなぁ」
「ん?シャチ、ライはどっからどう見ても女だぞ?」
「いやそうだけどよ、そういう意味じゃなくて――」
ローがライの体調不良に気が付いたのは今朝方で、ペンギン達がそれを知らされたのは朝食をとっていた時だった。
二日酔いで次の日だるそうにしている光景は度々あったものの、こうして寝込むほどに彼女が体調不良になるのはこれが初めてだった。しかし誰もがそれを土砂降りの雨と初めての海賊戦による疲れのせいだと確信しており、心配するというよりはそう、どちらかというと労う思いの方が強い傾向にある。
「しっかし久々だったな。あんな大人数と殺りあったのはよォ――」
ペンギンはクルー達のそれに納得する一方で、しかし何かが引っかかったままその朝を迎えていた。消えない昨日の彼女の残像。船長の言葉。…そして、
「……なぁ、」
ペンギンが気に病んでいるのはなにもライの事だけではない。むしろ今主となっているのは、そう、昨夜の"出来事"であった。何があったのか知らないからこそ思うところがあるのだろうが、それでも普段通りに事が運ばれているのならこんなに気になる事もなかったのかもしれない。…なのに、どこか雰囲気が違うのだ。
彼女の話が出ればいつも冗談交じりの言葉を吐くクセに、今になっても口を割らない、その男が。
「セイウチ」
名を呼ばれ、面倒くさそうにその顔を向けてきた彼。いつも通りなようで、しかしどこか眠たそうなその眼差しの奥はやはりいつもと違う気がして。
「…なーにー?」
「…………昨日の事なんだが、」
「……だーからぁ、何もペンギンが想ぞ、」
「んな事はどーでもいいんだよ」
彼は"何か"を隠している。一晩巡った思考が手繰り寄せた考えはそれだった。彼女に何を言われたら、あのセイウチがあんな台詞を吐くだろう。彼女は一体セイウチに何を語ったのだろうか、と。
しかし考えれば考えるほど分からなくて、そして次第に募るはもどかしい思い。きっとそれは嫉妬からくる念でもあって、そうして結局辿り着く先は後悔であって。
「ライは」
「飲みすぎると泣上戸になるみたいだね、初めて知った一面だ」
「…違う。俺が聞きたいのは、」
ガタリ。セイウチはこれまた面倒くさそうな雰囲気を醸し出しながら、席を立った。
「僕は何も知らない」
「…セイウ、」
「しつこいよーペンギンちゃん。…しつこい男は嫌われるよ?」
それはまたいつも通りの茶化された言葉だったが、そうして話を逸らされるのにはきっと誰もが苛立ちを覚えるだろう。何故逃げるのか。何故話せないのか。何故、何故セイウチは――
「っ話はまだ――!」
「待て、ペンギン」
「っ!」
その背を追おうとした矢先。かかった声に驚いたペンギンが振り返ると同時、肩に乗った一つの手によって己の行動は阻止され、
「俺が行く」
任せろと言わんばかりに、去りゆくセイウチを追って行く船長の後ろ姿が視界に入る。…いつから話を聞いていたのだろうか。極力周りには気づかれないようにしていたつもりだが、船長もあれから―2人でライの事を話してからずっと思う事があったからこそ、彼女の事に敏感になっているのかもしれない。
そうして彼によって牽制された行動の傍で関心欲は寧ろ増して仕方がなかったが、ペンギンは結局その背中を見送る事しか出来なかった。
「アザラシ、今日の晩飯はー?」
「気が早えなお前は!」
それを思えば熱くなった自分に他のクルーも気付いているのではと思ったが、周りには先ほど変わらない光景が広がっている。
ペンギンは一つ長い溜息を吐いて、冷静さを取り戻す。
「…………、」
今のやり取りを気に留めていたのが船長だけで良かったと、ペンギンは今になって思っていた。
*
「――セイウチ」
「…船長」
てっきりペンギンが追ってくると思っていたセイウチはかかった声が全く違うものであることに多少の驚きを見せつつしかし、どこか平然を装っていた。
「何を隠している?」
「…………」
この人は本当に、ずるいと思う。それが船長の特権であり彼について行くと決めた時点でそれに敵わない事なんて分かり切っていた筈なのに…それでも今は、ずるいとしか思えない。
「…俺にも言えねェか?」
「……船長だって、何か隠してるよね」
「……」
あぁ、コイツは本当にそういう事を悟るのに長けていると思う。人の気を読んで、人の些細な変化によく気がついて。それがクルー1たらしな男の唯一の良いところだと、ローは勝手に思っている。
「船長がそれを言わない以上、僕も言わない」
「…セイウチ」
「……言わないんじゃない。言えないんだよ」
そう、言ってはいけない。彼女があんなにも苦しみながら吐き出した思いを、彼女が心に抱えている闇を、勝手に自分が光に晒してはいけない。
それに、それを皆に言ったところで誰も得をしない。得るのは哀傷だけだ。それを感じるのは自分だけでいい。
…たとえそれが、いつか彼女自身から発せられるとしても。
「これはライちゃん自身の問題だ。僕が他言すべき事じゃない」
「違う?」そう問いかけられて、ローは何も言い返せなかった。「それにそんな簡単な問題じゃない」最後にそうポツリと放たれた彼の言葉には、どこか悲哀が混じっていた気がして。
「……」
彼は、何を知ってしまったのだろう。彼女は、今何を思っているのだろう。
…どうして自分は今ここに、のうのうと突っ立っているのだろう。
「っ、」
何か、取り返しのつかない事が起こっているのではないか。そう思って刹那、ローは足早にその場を去っていた。
***
「――…」
自身の部屋の扉を静かに開けたのはこれが初めてかもしれなかった。案の定彼女はそれに気付かずに、少し苦しそうな表情で今も眠りについている。…その表情が熱のせいか、はたまた彼女が抱えているもののせいかは今となっては分からない。
「…ライ、」
起こすつもりなんてなかったし寧ろ起こしてはいけないと思っていたのに、何故か自然と彼女の名を口にしていた。その存在を確かめるように。彼女は今もここにいて、そしてこれからもここにいるんだって。
「……」
焦って来たわりには一体何をしに来たのだろうかと、ふと思う。彼の言葉に触発されて、彼がダメなら彼女に直接問い質そうとしたのかと言われれば、そうでもない。今回の件については、彼女自身に追及しないでおこうと思っていた。彼女なりの考えがあって、彼女なりに答えを出せるのなら。そうして気が済んだ時に自ら歩み寄ってくれればいい、だなんて。
…浅はかだったのかもしれない。それは自身の中に芽生えた"罪悪感"からくるものばかりと思っていて、そうして自分は逃げていたのだろうか。既に彼女が歩み寄れるような状態でなくて、そして彼女にそれを拒まれることを。
「……」
一つ、長い息を吐く。それは静かに、この広い部屋に溶けていった。