「――…」


…ふと、目が覚めた。なんの前触れもなく、ふと。
気づけばすでに朝。昨日と違って体のだるさは改善されたと起きた瞬間に感じたがしかし、今度は瞼が異様に重い。起きて早々気付かされるその理由には思い当たる節がありすぎて、ライは一つ大袈裟な溜息を吐いた。


「気分はどうだ」

「っ?!」


そうして気付いたもう一つの事実。それが当たり前と化してしまった日常を今更何とも言う気はないが、それでも今朝はどうにもこの状況は頂けない。


「……」

「隠しても遅ェ、馬鹿」


泣き腫らしたそれはバッチリローの視界に入っていたようだがしかし、両手で覆ったそれをライは解こうとしなかった。
昨日の夜の事は酔っていなかったから鮮明に脳の中に記憶されていて、思い出して湧くのは羞恥心と狼狽。心なしか気分が楽になっているのは、熱が下がった為のものか曝け出した感情によるものかは定かではない。


「…その醜い顔、晒して歩こうという気はあるか?」


ライはフルフルと、その醜い顔を隠したまま首を動かす。


「…氷を持ってくる。お前は今日も"病人"でいろ」


クシャリと一つライの頭を撫でて去って行く足音。パタンとドアが閉まったのを聞いてライはようやくその手から顔を解放し、一つ息をついた。


「......」


自分が起きるのを待っていたのだろうかと、あっけなく去っていた彼の行動に思うところは多々あったが…それについてはあまり深く考えないようにした。
…今日も病人でいれば明日は今迄通りの自分に戻れるだろうか、なんて。確証もないそれを描いては襲うペシミズム。


「…っ、」


…それを取り払うように、ライはバサリと大袈裟に布団を被り直した。



***



「――ライ、まだ熱があるのか?」


キッチンに顔を出したローが氷を持ってすぐに出て行きそのまた数分後。ようやく定位置に腰を下ろした彼はどこか優れない顔をしているように見えたが、彼女の看病に明け暮れていたのかと思えばペンギンは自然とその方を口にしていた。


「"元気"だが熱が引かねェ。…まだ無理はさせねェ方がいいだろうな」

「……そうか」

「今はそっとしといてやれ」


そのうち元通りになるだろうよ。その本意をペンギンが悟ったかは定かでは無かったが、それでもそれ以上ローがライについて口を割る事は無く、そしてペンギンもそれ以上何も言ってはこなかった。


「…航路は順調か」

「あぁ。あと二日もすれば次の島につくだろう」

「そうか」


一つ、コーヒーを啜る。周りを見ればいつも通りの風景がそこに広がっていて、何も変わらない。

…そう、これからも何も変わらないと思っていた。

そう思うようになってしまったのは、彼女という存在が現れてからのようにローは思う。自分達は海賊であって、その命をいつも天秤にかけていると言っても過言ではない。もちろん自分が死ぬなんて微塵も思ったことはないが、それでも絶えずこの世界は変化に富んでいて、それに自分達も順応してそうしてここまで来た。
いつ何が起こるか分からない時代なのにどうにも彼女がいるとそういう気が起こらないのは―起こらなかったのは…彼女自身に変化が生まれるのを恐れていたからなのだろうか。


「――なぁ、船長」


ペンギンの声色が変わった気がしてふいにローはペンギンに顔を向けた。そうしていつしか、その場所にはローとペンギンの2人だけになっていた。


「…今朝の新聞、見たか?」


バサリ、とテーブルの上に置かれたそれ。今までどこに隠し持っていたんだなんてそんなどうでもいい事を思いながら、ローはそれに手を伸ばす。


「…なんだ、俺の懸賞金が上がったってか?」


特に目立った記事などは無い。どこぞの海賊団が政府に捕まっただとか、どこぞの海賊団と海賊団が騒動を起こしただとか、いつも通りの見出しばかりなそれに、ローはどこに焦点を当てるでもなくそれをパラパラと捲り続ける。


「…覚えているか?」


それはつい先日滞在した村で見た、新聞の記事。若い女ばかりが誘拐されその消息を絶っていると、特に大きくもなく小さくもなく日常に起こった事件の一環として端っこに載せられていただけのもの。
彼女がいたからこそ目を止めたもので、それでもローは特にそれを気にしてはいなかったし、ペンギンもその後すっかり忘れかけていたくらいで…そう、その時はそれだけに留まっていた。


「あァ、アレな。…なんだ、進展でもあったのか?」


だからこの時もローはさほど気に留めていなかった。ペンギンは彼女の事となるとやけに心配性になるだなんて、それた方向に思考を向けていたのだが。


「進展といや進展だろうな。…その若い女達に一つ共通点が見つかったらしい」

「ほぅ、美人でスレンダーな巨乳だったと?」

「……いや、残念だがそうじゃない」


パラパラと捲っていたそれをローはピタリと止めた。ペンギンのその言葉が止まった直後、ローもようやくそれを見つけて、そして、


「小指にリングをはめている女。…だそうだ」


聴覚と視覚から入ってきた同情報に、一瞬世界が止まる。


「……」

「それだけじゃ何も分からない。…普通なら、そう思うだろうな」


仮にもし、自分の娘や恋人がそれに当てはまったとしよう。誰もが今度はうちの子が狙われるのではないか、被害者になるのではないかと懸念するだろう。そして娘や恋人にリングをはめて出かけるなと口酸っぱく言うだろう。それは今のローやペンギンにも当てはまる。
…だが、何も2人が思うところはそこだけでは収まらない。


「犯行はグループ単位で不特定多数だと推定されているが、発生場所もバラバラ」

「…」

「連れ去られ生きて返ってきた者は自分が何故攫われたのか知らない」

「……身代金目当てでもねェ」

「そう、ただの金目当てでも体目当てでも何でもない」

「『指輪について聞かれ答えただけ』」

「……偶然だと思うか?」


ただの気まぐれかと、特定のリングが欲しいだけなのかと、普通ならそう思考を持っていくだろう。しかし、依然として2人はそんな風に思えなかった。それには何か必ず意図がある。…犯人達は、"何か"を、探している。

――ガラスの靴の持ち主である、唯一の、シンデレラを。


「俺は他人事とは思えない」


指輪かその人物かをこんな薄っぺらい情報だけでは言い切ることは出来ないが、けれども人物に重点が置かれていると仮定するならば、ライは当てはまる説が多いにある。

…ライはこの世界の人間では、ないのだから。


「……そうだな、」


風向きは急に変わる。変化は唐突に訪れる。…そう、それは何の前触れも無く。


「……、」


ローは、胸のざわつきを覚えた。



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