03



ポタ、ポタ、ポタ_

一定の間隔で落ちて行くその音だけが静かに響く、オペ室。細い腕から伸びる点滴が少し痛々しく目に映ったが、荒々しい呼吸を繰り返していたその小さなオレンジは徐々に落ち着きを取り戻し、規則正しい呼吸をしている事を上下する胸元が示している。小さな体が一生懸命呼吸を繰り返すその様は、コイツも生きているんだという当たり前の事を今一度自身に教えてくれている気もした。

一向に目を覚まさない彼女の表情は、一度も自分たちに見せたことのないような穏やかな表情をしていた。…けれども何処か悲しげに見えるのは、その頬に未だ残る涙の痕のせいだろうか。


「……」


そっとその痕を、指で拭う。無意識に動いた己の手に、拭ってから何をしているのだろうと自分を自分で嘲笑う。
そうしてまじまじとその顔を見やれば、キレイに整った顔立ちだがどこかあどけなさが残っているような―自分とは正反対のそれに不覚にも目を反らせなくなっていて、


「――船長、」


…そこへ、良きタイミングでペンギンがやってきた。ローは気づかれないようにそっとその手を彼女の側から離す。


「…あァ、どうだった……?」


彼女が奇病を持っていては困るので、本人の承諾は得ていないが一通り血液検査を行っていた。そこはやはり医者として見て見ぬふりの出来ないところで、そしてそれは念の為のつもりだった。長年の経験からどうせ何もないだろうとは思っている。所謂、勘というやつである。

ペンギンも同様に、何もないと踏んでいた。久しぶりに回る血液検査の機械を眺めながら、彼女が目覚めたら船長は彼女をどうするのだろうという事だけを考えていた、…のに。


「…………それが、」


そうペンギンが言った途端、ローの眉間に皺が寄って行く。「何もない」という言葉を待っていたであろう船長のその反応に、ペンギンは意気込むように一つ深い息を吐いた。



***



「――……」


…眩しい。暗闇を抜けたその先の明るさにライは嫌気が差して、少しその眉間に皺を寄せた。
あの地下にこんな明るい光があったのだろうかと、しかし今はそれよりも忽然と途絶えた自身の記憶を呼び覚ます。ベポが出て行ってからのそれが全くない。寝てしまったのだろうか。泣きすぎて、呼吸が苦しくて、目が霞んで、そして――


「……目が覚めたか」

「!」


ビクっとあからさまに肩を揺らす。静かな空間に突如響いたその声には聞き覚えがあって、チラリと視線を向ければそこにはあのトラファルガー・ロー。その横に、ペンギンが立っていた。
そうして視界に入る景色に、今自分がいる場所はあの地下ではない事に気づく。横たわっているのもベットの上。腕に違和感を感じ視線を下ろせば左腕から伸びる透明の管。…あれ。一体何があったのだろう。自分、病人になっているではないか。


「……あ、あの、」


恐怖を目の前にして、けれども多少落ち着いた精神はようやく声を出すことを許してくれた。とりあえず自分だけが取り残されたこの状況の把握が第一である。


「……俺が行った時には気を失って倒れていた。…元々体調は良くなかったのか?」

「…………そんな事は、」

「知恵熱みてェなもんだ。大したこたァねえ」


気づかなかった。自分がそんな状態だった事。泣きすぎて体が悲鳴をあげたのだろうか。…驚きすぎて心臓が悲鳴をあげていたことは確かなのだが。

スパイ容疑のある自分を治療してくれたという事実に、そのことだけでまた目元が緩んでいく。おそらくそれは哀れみか、医師としてのただの事務的なものだろうが、助けてもらった事に変わりは無い。
ライはユックリ体を起こした。…お礼を言うのに、寝たきりでは申し訳ないから。


「……すみません、…ご迷惑を、」

「あァ。そうだな」

「…………」


緩んでいた目元に溜まっていたそれが一瞬で渇いていくのがわかった。ズキン。いちいち心に突き刺さる、目の前の隈の深い男の言葉。…やっぱり怖い。この人、怖いっす。


「お前を拾ったのが、俺たちの運の尽きだ」


…そこまで言われるとは思いもよらない。酷くないか。いや、酷い。弱っている自分に追い打ちを掛けるその言葉が、やけに体に重くのしかかってきた。
やっぱりトリップなんて楽しくない。自分はこのまま捨てられるのだろうか。だだっ広い海に、放り投げられてしまうのだろうか。そうして想像が一人歩きして少しずつ震え出す体は、脳にそれを訴える。

嫌だ。死にたくない。生きたい、と。

ライは震えを止めるように、キュッとベットのシーツを無意識に握りしめる。


「…………これを見ろ」


その思考をプツリと切ったペンギンの声。近づいてきた彼は一枚の小さな紙を差し出してきて、ライは何の躊躇いもなくそれを受け取った。
その紙には表のようになった四角の枠にアルファベットの文字が羅列されている。


「…変な病気を持ち込まれては困るもんで、勝手に検査させてもらった。悪く思うなよ」


検査にも色々あるが、表の多さからして自らが受けたものは血液検査か何かだろうか。
昔健康診断で受けたことがあるくらいで、そのアルファベットが何を表しているかは医療に関わった自分が知るはずもない。しかし普通、その横には数値が記載されている。その数値が既定値より上か下かそれが重要…の筈なのに。


「…………?」


アルファベットの横に記載されていたのは、数値ではなく"ERROR"の文字。それが連なりすぎて一瞬何が書いてあるのかわからないほどに。


「……何度やり直しても、お前の結果はそれだった」

「ERRORが出る理由はたくさんある。計量不足、手順違い、測定ミス、機械の故障」

「ミスと故障を懸念して、シャチで検査した。その結果は、…見ての通り。きれいに数値が出ている」


次に渡された同じ紙。良いのか悪いのかはわからないけれど、そこにはしっかりと値が記載されている。
つまり、これは、


「……考えられる線は、まだある。…だが考えるより聞いた方が早ェだろ?」

「っ、」

「……お前、何者だ――?」


血の気が引いた。そんな気がした。


「っ、――」


…その言葉が、意味する事。ドクドクと上がっていく鼓動は、違った意味でライの体の熱をあげていった。



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